第47話 襲撃 ―アサルト― ◇和久井建設襲撃事件
「そうかい。腹ァ決めたかい。安心しな、俺がついてる。大船に乗った気でいな」
電話の向こうが緊張を緩めている様子を感じながら、和久井准二はほくそ笑んだ。
(代議士なんて御大層な名誉はくれてやる。だが、実際に力を使うのはこの俺だ)
日和見町の外から見た和久井家が猿山の大将に過ぎないことは知っている。だが、自分は歴代当主のようにこの事実に目をつぶり、猿山の上で胡坐をかいて満足するような腑抜けではない。
地元においても、『王道の千代田、邪道の和久井』などと言われている。詐欺まがいの手口で成り上がり、暴力を背景とした脅迫で権力を守るヤクザ者。
人々の畏怖の視線の中に見え隠れする潜在的な侮蔑を、和久井准二は敏感に感じ取っていた。
(邪道じゃねぇ。覇道だ)
そのことを内外に証明する。
その第一歩として、彼は本来ライバルである日和見町の現町長、千代田純太郎を国会議員に祭り上げる計画を進めていた。
(腰抜けめ。ようやく決断しやがった)
千代田純太郎は、外見だけは精力的な男前で大口も人一倍だが、いかんせん胆も器も小さく、目先の努力で得た小さな成果に満足してしまうところがあった。
その努力も、先祖代々受け継がれてきた千代田家の威光の範囲を出ていない。
今回、純太郎が国政に出る決意を固めたのは、妻である青華の説得が大きかった。強欲で飽くことなく権力を求める青華に道を示したのが和久井准二である。
千代田青華と和久井准二。2人は互いに利用し合う関係であり、互いの欲望を高め合い、慰め合う関係だった。
2人の間に愛情はない。そもそも、この2人に愛という情動が存在するかどうかも定かではない。あるのは果てしない欲望と執着である。
「んじゃ、さっそく具体的なプランを決めようか。つっても、もういくつかこっちで準備しているから、あとはアンタの決断を――!?」
その時、和久井の足元がぐらりと揺れた。
「何だ? 地震か!?」
だが、電話の向こうからは「こっちは何ともないぞ?」と怪訝な声が返ってきた。今日は純太郎もこの町にいるはずだ。
「社長!」
ノックもせず、大柄な男が飛び込んできた。元レスラーで和久井の秘書兼ボディガードである。
「どうした!?」
「わかりません。今、専務が様子を見に下へ――」
秘書の携帯が震える。
「はい、社長室。え? ダンプが? はい、はい……」
秘書は全身に緊張を走らせ、和久井の前に立った。
「何があった?」
「このビルにダンプが突っ込んで来ました。事故じゃないっぽいです」
和久井建設本社ビル。
日和見町を睥睨する8階建てのビルディングは今、正面玄関に白いダンプトラックが突き刺さり、もうもうと黒煙を上げていた。
◇ ◇ ◇
和久井建設専務、馬場篤は男というより雄ゴリラだった。パンチパーマに覆われた小さな頭と、対照的に大きく角ばった顎。顔の大きさの割に小さな丸い目。その体は隆々とした筋肉に覆われているものの、足が短いため全体的な身長はそう高くはない。
彼は自分を映画『ゴッドファーザー』の登場人物、ルカ・ブラージになぞらえていた。ルカはマフィアの首領・コルレオーネの忠実な部下であり最強の殺し屋である。
イタリアンなファッションに着られた馬場もまた、和久井建設の力の一翼――暴力を象徴する存在として認知されていた。
「何じゃこりゃあ!?」
和久井建設本社ビルに突っ込んできた白いダンプトラックに向かって、馬場は吠えた。
「おいゴラァ! ここがどこだかわかってんのかゴラァ! おぅ? ゴラァ! ただじゃ済まんぞゴラァ!」
それは、人の言葉というより動物の鳴き声と表現した方が適切だった。
ダンプトラックを何度も蹴りつけるその無駄な行為も、動物の示威行動のようだった。
そんな彼を嘲笑うように、ダンプは荷台をゆっくりと上げていった。
「何しとんのじゃあ!?」
耳障りな轟音と共に流れ落ちる大量の廃材。これによって、和久井ビルの正面玄関は完全に塞がれた。
ようやくダンプのドアが開き、運転手が出て来る。
「あぁん?」
目をむいたゴリラが首を傾げる。
現れたのは、見上げるような長身の女だった。肩に大きなショルダーバッグをかけている。
「何のマネだ、ねえちゃん?」
女に詰め寄る馬場の反応は素直だった。
息子の信暁が殺された時も「ガキはまた作ればいい」と豪語したこの男は、女の顔には目もくれず、その身体を無遠慮に眺め回した。
そして腰回りがそれほど大きくないことを見て取り、彼はフンと鼻を鳴らした。
「エラいことしてくれたなぁ。こりゃねえちゃんの家族が一生タダ働きしても返せんぞ」
万人を怯えさせてきた馬場の凄みを、女はろくに見もせずに言った。
「社長はどこ?」
「あぁ!?」
無視。
それは暴力による恐怖こそが至上とするこの男にとって、この上ない侮辱だった。
一瞬で怒りが沸点を迎え、彼女の声が女性にしては妙に低いことにも気付かない。
「んなろうなめんなろあゴラァ!」
太い血管の浮いた顔を真っ赤に染め上げ、馬場は解読不能な言葉を叫びながら女の胸倉を掴んで殴りつける。
だが、女は冷静にその鉄拳をショルダーバッグで受け止めた。
その瞬間、ブォン! というバイクのエンジンがかかったような音と共に馬場の拳を異様な振動が襲った。
「う、う、うおぉぉああああああ!?」
バッグの布地が裂け、馬場の手を呑み込んでいく。
強烈な鉄と油の臭い。
赤黒い、細かな飛沫が天井まで届いた。
「あああああ! あああああーーーっ!」
飛び退る馬場専務。その腕が割れていた。手の平から肘にかけて、割れた竹のようにぱっかりと。
「何じゃそりゃあ!?」
「見りゃわかるでしょ?」
確かに、見ればわかる。だが、わからない。
ショルダーバッグを引き裂いて現れたもの。それは一見すると刃渡り30センチにも満たない小型チェーンソーだ。
だが、かつて土木で働いていた馬場をして、片腕に装着するチェーンソーなど見たことがない。
馬場の喉がゴクリと鳴った。
ただでさえ、パワーと引き換えに振動と騒音が激しいエンジン式チェーンソーである。そんなものを片腕で振り回したら、腕にかかる負担は計り知れない。
しかも構成は刃とむき出しのエンジン、そして最低限のフレームのみと極限まで軽量化されている。耐久性はおろか持ち主への安全性すらかなぐり捨てたその装置を、果たしてチェーンソーと呼んでいいのだろうか?
それはもう、木を切るための道具ではない。
使用者の腕1本を代償に人間を何体切断できるか、それだけを追求した殺戮の化身。それはもはや暴力の領域すら超えている。
鈍い銀色の凶器からは、製作者の怨念が漂っているようだ。
「何じゃそりゃあ!?」
恐怖は未知から始まるが、真の恐怖は認識によって始まる。
50余年の歳月を、映画の登場人物になり切って生きてきた男。彼が歩んできたのは暴力の世界などではなく、キャラクターたちが彼をもてなす夢の世界だった。
現実の痛みと真の恐怖によってその夢が醒めた時、男は失禁しながら膝から崩れ落ちた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
いよいよ姉原サダクの復活が近づいてまいりましたので、お楽しみにしていただければ幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。