第44話 明 ―ブライト―
かなり無茶苦茶な運転をした甲斐あって、私は案外あっさりと白いダンプトラックに追いついた。
そのまま対向車線に飛び出してダンプの前に回り込み、強制的に停車させる。
「無茶しますね、刑事さん」
「海老澤永悟……?」
運転席から降りて来た長身の美女に、一瞬私は言葉を失う。
さぞセットに時間がかかったであろう、サイドアップにした栗色の髪。
長いまつ毛と、ほんの少しだけ入れられたアイシャドウによって強調された目元からは、健全な色気が溢れ出ている。
間違いなく、あの絵に描かれていた少女だった。
これがあの野生の狼を思わせるツッパリ不良、海老澤永悟と同一人物だとはとても思えなかった。
いや、彼女にしてみれば、こちらが本当の姿なのだろう。
「でもよかった。刑事さんとはもう1度会いたいと思っていましたから。私が私であるうちに」
「知ってるんだ。姉原サダクを呼び出した本人がどうなるか」
「燕が身を以て教えてくれましたから」
永悟の手に、黒い骨の欠片があった。
「それを渡して」
「できません」
「一体、あなた達に何があったの?」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
そうか。私にもう1度会いたいと言ったのは、私に動機を聞いてほしかったのか。
「刑事さんはどこまで調べたんですか?」
「正直、何もわかってない。確かなことは、かつて2-Aには一組の恋人同士がいたということ、そのうちの1人が貴女、海老澤永悟。もう1人はもうこの世にはいない。この町に存在自体を消されてしまったということ」
永悟は頷く。
「病院で彼の家族、たぶん母親に会った。これは私の憶測だけど、彼の名前は妹尾……」
永悟の、細く整えられた眉がぴくりと動く。
「妹尾アキラ……。違うかな?」
「その通りです。明るいと書いて明。それが彼の名前です」
2-Aには2人の『アキラ』がいた。
佐藤晶と、妹尾明。
以前、桂木志津が告白した事件の被害者は佐藤晶、そして久遠燕が死の間際に言った『アキラ』は妹尾明を指していたのだ。
「妹尾明に、何があったの?」
「別に何も」
「そんなはずない。だったら貴女はどうして復讐をしようとしているの?」
通行を妨げられた車がクラクションを鳴らしている。
「この町にとって、彼はいじめてもいい人間だった。彼は生まれた時から迫害されるのが当たり前でした。だから、何も起きていないんですよ。彼が無視され、痛めつけられ、苦しめられるのがこの町の日常だったのだから」
海老澤永悟は黒い骨を握った。手を開くと、骨は黒い粉末になっていた。
「それがこの町の罪。そして彼が死んだのは私のせい。私が、彼を愛してしまったから」
「待って。それだけはダメ。この際、復讐をやめろとは言わない。でもそれだけは、姉原サダクに頼るのだけは――」
「仮に私が自力で復讐を果たしたとしても、そこから新しい憎しみが生まれる。憎しみの連鎖が続いてしまう。そんな連鎖に彼が囚われるのは耐えられない。それを止めるにはどうしたらいいんでしょう? 『許し』ですか? それは泣き寝入りと何が違うんですか?」
薄暗い病室で眠る佐藤晶と、その側で空虚な笑みを浮かべる明の母――妹尾真実の姿が浮かぶ。
「被害者がすべての憎しみを抱えて静かに消えていくのが最良の選択だとは思えない。それじゃ彼が何のために生きて、死んでしまったのかわからない」
「久遠さんの家が今どんな状態か知ってる? 貴女のしようとしていることは、妹尾明の名誉をさらに貶めることになる」
クスっと、永悟は笑った。
彼女の背後では、しびれを切らした運転手たちが「早くどけ!」「クソアマ!」などと喚き散らしている。
「名誉? 今さらこんな町に認められても、もう遅い」
「待って――!」
黒い骨の粉を、彼女は一息に飲み下した。
◇ ◇ ◇
海老澤信悟は、小さな仏壇の前で妻の遺影に手を合わせていた。
「すまん、永子。俺はあの子を止められなかったよ。でも、あいつはお前そっくりの立派な女になった。それだけは認めてくれるよな?」
小さな茶の間の、古びたちゃぶ台の前に腰を下ろす。
「あの世では、4人で飯食いたいな。はは、ダメか。俺も永悟も地獄行きは確定だもんな」
信悟には、幸せだった思い出が2つある。
1つは、妻と永悟との3人で囲んだ食卓。
もう1つは、永悟と明の3人で囲んだ食卓だ。
妹尾明との出会いはあまり良いものではなかった。
あれは子供たちがまだ小学生の時だ。工場から銅線が頻繁に盗まれるようになった。
当時、工場は妻永子がその命の引き換えるようにして借金地獄を脱してはいたものの、防犯カメラを設置したり見張りの人間を雇ったりする余裕はなかった。
そんな中で、永悟が犯人を捕まえて引っ張って来た。
当時はまだ信悟は永悟を息子だと思っていたのだが、別に見張りを命じたわけではなく、永悟は黙って毎晩工場を見張っていたのだった。この頃から永悟はそういう子だった。
そうして引っ張り出されてきたのが、妹尾明だった。
信悟は頭を抱えた。
妹尾明。彼は、この日和見町の町長、千代田純太郎の隠し子と言われている少年だった。
その真偽はわからない。
彼の母親である妹尾真実とは同級生だ。確かに彼女は主体性が無いと言うか、自我が希薄なところがあった。
不良に命じられるまま身体を開くという噂が絶えず、同級生――特に女子からはまるで病原菌のように扱われていた。
そんな彼女と父親不明の息子の明は、その存在そのものが町長の妻である千代田青華の憎しみの対象となり、奥様連中を中心に半ば公然と村八分にされている状態だった。
「……」
永悟に引きずられる明は、哀れなほどに痩せこけていた。瞳は虚ろで、口元にはその年代の少年が決して浮かべることのない類の微笑みが浮かんでいた。
信悟は察した。
彼は生活のために、不良たちの言いなりになって盗みに手を染めているのだと。
警察に突き出すのは忍びなかった。
かと言って、不良たちと縁を切らせ、明を更生させる力も無かった。
恐らく不良たちは和久井とつながっている。和久井家から千代田家に情報が流れれば、千代田青華の怒りを買ってしまう。
この町では町長の純太郎よりも烈女と言われる妻青華の方が恐ろしい存在だった。
「銅線は多めに仕入れておくから、次は工場じゃなくて家に来い。飯、食ってけ」
それが、彼にできる精いっぱいだった。
以来、妹尾明は週に2、3回、海老澤家の食卓で晩御飯を食べていくようになる。表向きは盗みに入っていることになっているので、和やかに団欒している時間は無い。
「うまいか?」
「はい」
交わされる会話は極限まで軽量化されている。永悟は黙っていることが多い。
でも、このわずかなひと時は不思議と親子2人きりで摂る夕食よりも温かく、楽しく感じられた。
やがて2人は中学校に上がり、同じクラスになった。
永悟は小学校高学年から急激に背が高くなり、中学に入ってすぐ一匹狼の不良という地位を確立した。
こうして永悟は明を舎弟のように扱い、常に引き連れるようになる。
――この頃が一番幸せだった。
表向きはそうすることで、永悟は明を守ることができたのだから。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
陰鬱な展開が続いておりますが、姉原サダクの復活も近い状態ですので、お楽しみにしていただければ幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。