第43話 契約者 ―コントラクター―
「お父さん」
背中越しに声をかけられ、彼は振り返った。
「そろそろ行くね」
「おう。こっちも出来てるぞ」
彼は大きなショルダーバッグを娘に渡す。
「重いぞ」
「うん。大丈夫」
娘の姿を見つめる。
黒いヘアバンドでサイドアップにまとめられた栗色の髪。
肩出しの白いブラウスに、シックな黒いハイウエストのロングスカート。
(すっかり女の顔になりやがって)
その雰囲気は清楚ながらもどこか艶っぽい。
それはほんのりと施されたメイクのせいか、それとも愛に生き愛に殉じる覚悟を決めた少女の強い眼差しのせいか。
「綺麗だぞ。世界一綺麗だ」
「……お母さんより?」
「母さんの次に」
微笑み合う父娘。
おずおずと抱き着いてきた娘の身体を、父親はしっかりと抱きししめた。
「今までありがとう。お父さん」
バッグを担ぎ、振り返ることなく去って行った娘の背中を、父親は誇らしさと、寂しさと、わずかな後悔の入り混じった目で見つめていた。
◇ ◇ ◇
白いダンプトラックが出て行くのを待って、土埃と鉄錆の臭いが充満する解体工場の敷地に私はレンタカーを乗り入れた。
もう警察署から情報を引っ張ることができなくなってしまった銭丸刑事とは別行動を取ることになっている。
「俺は俺でやりたいことがあるんで」
もともと、彼と私の目指す場所は似て非なるところにあった。
私は姉原サダクの復活を阻止し、それができないならば彼女の撃破が目的だ。
でも銭丸刑事は、あくまでこれ以上犠牲者を出さなことを目的としている。
むしろ、よくここまで付き合ってくれたと思う。
「アポも取らずにすみません。また息子さんに会わせていただけませんか?」
銭丸刑事がいない今、私はただの一般人だ。
「やあ、刑事さん」
まるで作業服を着るために生まれて来たような、いかつい体が振り返った。
幸い、私はまだ刑事として認識されているようだ。
でも、私を見る海老澤車輌の社長の顔に、以前の作り笑いは無かった。
「うちに息子はいません」
その言葉で、私は全てを察した。
「……気付いていらしたんですね」
海老澤社長はふっと鼻を鳴らす。
「一応、父親ですから。刑事さんはどうして気付いたんですか?」
「勘です。女としての」
例えば、吸おうとしていた煙草が女性をメインターゲットとする銘柄だったこととか、自宅に警察が押しかけて来たというのに長々と身だしなみ――特に体臭を気にしていたこととか。
ひとつひとつは好みや性分の範疇に収まるものの、小さな印象の積み重ねの結果、私はある結論にたどり着かざるを得なかった。
そして決定打となったのは――
「これを見ていただけますか?」
楠比奈が描いた、男女の肖像を見せる。
「……よく描けてるなぁ。幸せそうな顔しやがって」
「そしてこちらは、同じ場所を撮影したものです」
スマホで撮影した画像を見せる。
隣町の図書館の一画に座る銭丸刑事が写っている。
「この絵の作者と同じ目線の高さで撮影しました。こうして背景の本棚と比較すると、この刑事の座高は丁度この男の子と同じくらいです」
この男子は、身体つきは貧相だが背丈は決して低くなかった。
「脚の長さも同じくらいであろうという大雑把な目測ではありますが、少年の身長は170から175センチ。すると体格だけなら姉と弟にも見える彼女の身長は180センチをゆうに超えている可能性が高い」
「もう結構。認めますよ。この女の子は、私の娘の永悟です」
2-Aから抹消されたのは、2人だけだった。
「永悟さんに会わせていただけませんか?」
「なぜ? 永悟が何をしたって言うんです?」
「今はまだ何も。ですが、これからとんでもないことをしようとしています」
海老澤永悟。野性的で精悍な男性の体に、1人の少年への想いに殉じようとする魂を秘めたこの少女こそ、姉原サダクの2番目の――いや、真の契約者であると私は確信していた。
「妻は……永悟の母親は……我の強い女でね」
「永悟さんは今どこに?」
「不況で会社が傾いた時、私は工場をたたもうかと思いました。でも女房は『子供みたいな顔で機械いじっているアンタを愛してるんだ』なんて、古い映画みたいなこと言ってね……」
「社長、永悟さんはどこですか!?」
「嫌な相手にも頭下げて回って金借りて、工員と一緒に真っ黒になって働いて。末期癌だってのに気付きもせずにね。まったく、炎みたいな女だった。私なんかにはもったいない……」
「海老澤さん!」
「永悟は母親似だ。そりゃね、これでも親ですから子供には自分より長生きして欲しいですよ。でも仕方ないじゃあないですか。あいつが愛した者のためにその命を燃やしたいって言うなら、私に止められるはずがないじゃあないですか」
「たくさんの人が死ぬかもしれません」
「……」
「最悪、この町が滅んでしまうかもしれない!」
「滅んじまえばいいんだこんな町ァ!」
社長の怒号が工場の中に木霊した。
そしてこの時、私は初めて工場内に社長以外の人間がいないことに気付いた。
「社長、あなたまさか――」
彼は全てを知っていて、娘の復讐を後押しして自らも命を絶つつもりなのか。
(しまった――)
入れ違いにここを出て行った白いダンプトラック。あれを運転していた者こそ、海老澤永悟だったのだ。
彼女を追おうとする私を、海老澤社長は止めようとはしなかった。
それは、彼の心のどこかに娘を止めてほしいという気持ちがあったためではなく、もう彼女は誰にも止められないと確信しているためだと思えた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
陰鬱な展開が続いておりますが、姉原サダクの復活も近い状態ですので、お楽しみにしていただければ幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。