第42話 吹き溜まり ―オブリヴィオンダスト―
鍵を握る人物は、存外近くにいた。
病棟の隅にある薄暗い病室。私は1度、ここを訪れたことがある。
抜け殻となった佐藤晶の横たわるベッドの向かい側。
そこに彼女はいた。
妹尾真実。
ベッドの足元側の格子に付けられた名札にはそう書かれている。
灰色の影に溶け込むように、彼女は病床に腰掛けていた。
「初めまして。由芽依輝夜といいます」
話しかけると、彼女はどこか空虚な微笑みを浮かべて会釈した。
「……」
刑事のふりをして根掘り葉掘り質問することもできた。実際、私は彼女の微笑みを見るまではそうしようと思っていた。
でも、結局私は、会釈を返すことしかできなかった。
――私は全てを受け入れます。
あの微笑みは、私にそう語りかけていた。
それは、利田寿美花の博愛のようであり、鹿谷慧の媚態のようでもあり、そして何よりも――
私は何も聞かずに病室を出た。
何も聞く必要は無かった。妹尾真実の顔を見た瞬間に、私は目的を達していた。
◇ ◇ ◇
病院の外で銭丸刑事と落ち合った。
「どうでした? 各務野紗月の様子は」
私の問いに、銭丸は疲れた笑みを浮かべた。
「傷害事件のことは素直に話すんですが、桂木志津殺害についてはどうも……」
「自供したって聞きましたけど?」
「取り調べ初日だけです。その後はどうも……、彼女、自分が親友を殺したことを忘れてしまったみたいで」
「現実逃避ですか」
銭丸は頷いた。
「彼女、ずっと折り紙で鶴を折ってます。で、出来上がってる千羽鶴を俺に見せて『志津がお見舞いに来て持ってきてくれた』って言うんです。それはもう綺麗な瞳で」
銭丸の疲労はよく解る。精神が時空を超えてしまった人間と相対するのはとにかく疲れるものだ。「お疲れ様でした」としか言いようがない。
「そちらはどうです? お目当ての人は見つかりました?」
「ええ。案外あっさりと」
各務野紗月の事情聴取は建前だった。
私の目的は病棟に潜り込むことであり、迷って各務野紗月の病室を探すふりをして長期の入院患者を片っ端から当たるつもりだった。
もっとも、捜査を始める前に佐藤晶の顔を見ておこうと思い立った時、同時に捜査も終わってしまったのだが。
今にして思えば、あの薄暗い病棟の一画はこの町の空気中に漂う汚い塵の吹き溜まりなのだろう。
佐藤晶と妹尾真実。2人が一緒にいたのは、この町にとっては必然だったのかもしれない。
隠し撮りをした妹尾真実の画像を銭丸に見せる。
「そっくりですね」
隣町の図書館で仲睦まじく本を読む男女の絵と見比べる。
見るべきは、消えた男の子の方だ。
少年と妹尾真実の顔は、とてもよく似ていた。
「親子でしょうか?」
「恐らくは」
「楠比奈の言葉を信じるなら、この人は息子を殺されて、事件も我が子の存在も消されたんすよね」
「そうなります」
銭丸刑事は、今一度母親の画像を眺め、ため息をついた。
「どうして、こんな笑ってられんすか……」
それは違う。
笑うしかないのだ。すべてを諦めさせられた人間は。
姉原サダクが笑っているように。
そう、妹尾真実の微笑みは、何よりも姉原サダクの、あの弥勒菩薩のような微笑みに似ていたのだ。
現世に対する絶望を超越した、諦念。
「じゃあ、妹尾真実が姉原サダクの契約者?」
「いいえ、違うでしょう」
姉原サダクと妹尾真実は、本質は同じでも進む道は真逆だった。
サダクは全てを拒絶し、際限なく破壊する。真実は全てを飲み込み、自らを無へと帰す。
死と破壊を望んでいるのは、少年の消滅を受け入れられず、行き場の無い怒りと哀しみをため込んでいる者だ。
絵の中で少年に寄り添い、熱っぽい視線を送る少女。
貧弱な少年の体を、少女は守るように包み込んでいるようにも見える。
この母性に勝るとも劣らない愛情がその対象を失い、外界への憎しみに転化した時、彼女が望むものは――
「銭丸さん、1つ実験に付き合っていただけませんか?」
「うーん、正直そろそろ限界なんすよね。桂木志津殺害事件がひと段落ついて、紛れるドサクサが無くなっちゃって……」
「危ない橋ではありません。この絵と同じ場所で写真を撮りたいんです」
「それが何かの証拠になるんすか?」
証拠にはならないだろう。
だが私の目的は犯人を起訴することではない。
でも、姉原サダクの復活を止めるために必要なものだと、私の元刑事の勘が告げていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
陰鬱な展開が続いておりますが、姉原サダクの復活も近い状態ですので、お楽しみにしていただければ幸いです。
続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。