第38話 親友 ―ベストフレンズ―
各務野紗月は日和見警察署で事情聴取を受けていた。
机を挟んで彼女の向かいに座るのは、穏やかな微笑みを浮かべた中年の婦人警官だった。
「すみません、微笑むの、やめてもらっていいですか?」
「え?」
「女子生徒Sのことを思い出すんで。あいつ、馬場や蒲生を、うっすら笑いながら――」
「そうだったの」
婦人警官は笑みを収めた。代わりに目線で精いっぱい紗月を安心させようと努めているのがわかる。
紗月は頭を下げてその配慮に感謝した。
「殺された桂木志津さんとは仲が良かったと聞いているけど?」
「はい。親友です。小学校の頃から」
「これはみんなに聞いているから気を悪くしないでね。昨日の夜はどこにいたの?」
「昨日は、志津と隣の町まで買い物に行って、家まで送ってもらって、その後はずっと家にいました」
「送ってもらったの?」
「はい。まだ脚が……」
2人の目線が、机に立てかけられている松葉杖で交叉した。
「それを証明できる人はいるかな?」
「買い物に行ったことはバスの運転手さんが覚えていてくれるかも知れません。よくあいさつするし、前に車の下に入っちゃった杖を拾うのを手伝ってもらったことがあります。家に帰る時は近所の人と何人かすれ違いました」
「うん、うん」
婦人警官は頻繁に相槌を打つ。
「家に居た時のことは……、証明……、今はちょっと思いつきません」
「まあそうよね。気にしないで、そういうものだから。でも友達と電話したりラインとかしなかった?」
紗月は首を振る。
紗月にとって、部活メンバー以外に交流のある生徒はいない。
それにあの事件以来、彼女も志津も他のクラスからは敬遠されていた。
そのほか、色々な質問をされたが事件の解決につながるような答えをすることはできなかった。
犯人に心当たりなんて無かった(怨霊を除く)し、変わったことと聞かれても変わったことが多すぎた。
「桂木志津さんは、どんな子だった?」
「……いい子、かな」
正直言って、一言で答えられるような質問ではなかった。
小学生の時からずっと一緒。中学に上がり制服を着るようになってからは、志津と共に過ごす時間は親よりも多いのではないだろうか。
当然、短所や嫌なところもたくさんある。だが、それ以上に彼女の良いところ、自分と合うところがなければここまで一緒にやって来れない。
そういったあらゆる感情をひっくるめた結果の「いい子」という感想だったのだが、伝わっただろうか。
「バスケ部のメンバーとしてはどう? 顧問の先生からは名コンビだったって聞いたけど」
「……どうですかね。私は、志津の背中を追いかけるので精いっぱいだった」
桂木志津。身長は紗月よりも2、3センチ低いくせに、リバウンドしたボールを奪えるのはいつも彼女の方だった。
跳躍力、腕力、巧緻性――あらゆる身体能力において、志津は紗月の上を行っていた。
強いて弱点を挙げるとしたら、精神力の弱さだろうか。
志津は試合中、想定外の出来事や相手の気迫に呑まれてしまい、その高い実力を発揮できないことが多かった。
だから、紗月は自然と志津の弱点をカバーするようになった。
ピンチの時こそ、紗月が志津の前に立つ時だった。
明らかに実力が上の相手に対しても臆することなく攻める。攻めて攻めて攻めまくる。なぜなら、志津の心が折れてから立ち直るまでの間、そのわずかな時間だけが紗月の輝ける瞬間だったから。
「その足は?」
「――!」
嫌なタイミングで嫌な質問をされた。
逃げ惑うクラスメイトの渦の中で、無様にも転倒してしまった紗月の脚を踏んだのは間違いなく親友の志津だった。彼女は完全に取り乱していた。
「待って! 志津! 置いて行かないで!」
振り返ることさえしなかった志津の背中を見ながら、紗月は心の奥底でこの事態をどこか納得していることに気付いた。
いつか、この時が来ると思っていた。
あらゆるスペックが紗月よりも優れている志津が、紗月を置き去りにしていく瞬間が。
2人の友情が終わる時。その時はきっと、捨てるのは志津で、捨てられるのは紗月。そんな予感が深層心理に堆積していたのだ。
志津のことを恨んではいない。身体能力の優れた者がより高みへ向かうのは当然のことだ。
ただ、哀しかった。自分がとても惨めに思えた。
あの後、必死に謝る志津につい意地悪をしてしまったのも、本当は紗月が志津に捨てられたくないあまりにとってしまった行動だったのかもしれない。
「逃げる時に転んで、誰かに踏まれました。誰かはわかりませんし、知りたいとも思いません」
そう告げた瞬間、紗月の目から涙がこぼれ出た。
志津の死を聞いてもまるで出なかった涙が、どうしてこんなタイミングで、しかも止まらないのだろう?
◇ ◇ ◇
できるだけさりげなく、佐藤晶暴行事件の関係者を警護する案を提示した銭丸だったが、努力の甲斐なく黙殺されてしまった。
そもそも、日和見警察署は佐藤晶の件を事件として扱っていない。
主に男子生徒間に流布された画像や動画も、被写体の少女の口元が笑っているように見えること、ピースサインと思しき手の形をしているカットがあるなどを理由に、双方合意のもとに行われた悪ふざけとして処理されていた。
現在、病床に横たわる彼女の状態については、「医師の判断を待つ」の一点張りである。
佐藤晶の両親は今も毎日のように警察や病院に通い、娘の状況を探ろうとしているが、日に日にやつれるその顔には疲れと諦めの気配が漂い始めている。
このような状況で関係者の警護(もしくは張り込み)を行うことは、警察がこの件を事件として認めることになりかねない。
そんな警察の怠慢を尻目に、事件は第2の被害者を生み出すことになった。
幸い、その被害者は頭を殴られ、病院に担ぎ込まれはしたものの一命は取り留めた。
「くそ。何が検査だ。人を機械に突っ込むだけで2万もボリやがって……」
悪態をつきながら病院を後にする少女に、小柄な少女が子犬のようにコロコロと駆け寄る。
「ヘレン! 大丈夫!? 心配したよォ!」
シャツに涙と鼻水をこすりつけて来る神保ここあの髪をくしゃくしゃと撫で、紅鶴ヘレンは笑った。
チャームポイントであるおでこには包帯がぐるぐると巻かれている。
「皮は何針か縫ったけど、中身に異常は無いってさ。あー、でも傷痕は残るかも。前髪下ろすかな」
「……ごめんなさい。私のせいで」
「ここあの顔に傷がつかなくて良かったよ」
ヘレンの言葉に、ここあの顔がぱぁっと輝く。ヘレンを見つめる子犬のような瞳には崇拝の色が宿っていた。
「警察には何か聞かれたか?」
「大丈夫。刑事さんは優しかったよ」
「だよな。あたしら被害者だし――いっ痛ッ」
「ヘレン!?」
「大丈夫。痛み止めが切れたんだと思う」
「お水買ってくるね!」
1分もかからず、ここあはミネラルウォーターを買って駆け戻って来た。
「許せない。ヘレンに痛い思いをさせた奴、絶対許せないよ」
「あたしもだ」
ここあの柔らかい頬をぷにぷにと揉む。
(ヤロウ。よくもここあを――!)
昨夜。襲われたのは神保ここあの方だった。
麗のいない、少し寂しい2人カラオケを終えた帰り道のこと。
ここあと別れ、家路の途中でヘレンは借りていたコミックスを返し忘れていたことに気付いた。
普段ならラインで一言謝って翌日に回そうと思ったのだろうが、この時のヘレンはなぜか引き返す道を選んだ。
麗のいない寂しさに、もう一度ここあの顔が見たくなったのかもしれない。
そんなヘレンの気まぐれがここあの命を救った。
引き返したヘレンが見たのは、暗がりで棒状の鈍器を持った人物に襲われているここあの姿だった。
「やべで! やべでよォ!」
地べたに尻もちをついたここあの、涙と洟にまみれたくしゃくしゃの顔が目に入った瞬間、ヘレンは目の奥で何かがぷつんと切れたような感覚を憶えた。
正直、その後のことはよく憶えていない。
気が付いた時はもう不審者の姿はなく、ヘレンは額の皮を抉られてかなり激しく出血していた。
激しく取り乱し、わんわんと泣き叫んで話にならないここあの代わりに、ヘレンは血だらけの手で何とか110番通報し、ここあの鳴き声を子守唄代わりに眠るように失神したのだった。
痛み止めが効いてくるまでの数分間。額を苛むズキズキとした痛みに耐えながら、ヘレンはあの夜のここあの顔を思い出していた。
噛みしめた奥歯が、ギリっと音を立てる。
その音を敏感に聞き取ったのか、ここあがびくりと肩を震わせ、不安げな瞳を向けて来る。
(よくも、ここあを不安にさせやがって。あたしの友達に手を出したこと、後悔させてやる)
いまだかつて、相手が誰であろうと、ヘレンは自分の友達を傷つけた者を許したことはない。
ヘレンの瞳に獰猛な光が宿る。それに感化されたように、ここあの瞳も爛々とした狂気が宿りはじめた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
サダク復活に向けて物語も動き出しておりますので、お楽しみにしていただければ幸いです。
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