第36話 影絵 ―シャドウ―
調べれば調べるほど謎の絵だった。
描かれている男女の身元もそうだが、この場所もまた謎だった。
日和見町にあるすべての図書館、中高の図書室を調べても同じ場所が存在しない。
結局、私は自力での謎解きを早々に諦め、手っ取り早く作者に会いに行くことにした。
「やっと見つけた……」
楠比奈は郊外にある県道脇のバス停にいた。
ささくれ立った固いベンチを朽ちた木材と錆びたトタン屋根で覆った、古臭い停留所である。
次のバスが来るのは1時間半後。たしかに、その間ならこの場所は1人になるにはもってこいだ。
楠比奈は1秒ほど顔を上げて私を見たが、すぐにまたスケッチブックに目を戻した。もっとも、彼女の目はほとんど前髪に隠れているので実際に私を見たのかは憶測だが。
「あの絵のことで聞きたいことがあるの」
とは言え、彼女は言葉を発せない。生来の脳障害により、他者の話や文章は理解できるらしいが、自分は言語を使うことができない。話すことはもちろん、文字を書くことも。
「私の質問に『はい』か『いいえ』で答えて。『はい』なら頷く、『いいえ』なら首を振る、オーケイ?」
少女の小さな顔がこくんと頷く。
よかった。謎解きモノによくいる、意味ありげに謎をぶん投げて後は沈黙する無責任な子ではないらしい。
「まず、この男女について」
一冊の本を2人で読む、仲睦まじい光景。
男子の方はやや童顔で、レンズの大きな眼鏡をかけている。
ナチュラルな髪は少しだけクセがあり、体格は華奢、と言うか栄養失調を疑うほど貧弱に見える。
女子の方は対照的に彫りの深い、大人びた顔立ちをしていた。
前髪は真ん中分け、後ろ髪はサイドアップにしてくるりと丸くまとめている、なかなか凝った髪型だ。
デートのために気合いを入れてセットしたのだろうか。
スポーツをしているのか、体格もいい。
彼女が相手に向けている、このとろけるような眼差しが無ければ姉弟の絵と言われても違和感はないだろう。
「2人は実在の人?」
頷く。
「2人は恋人同士ってことでいいんだよね?」
頷く。
「2人は日和見町に住んでるの?」
頷く。
「私はこの2人を見たことがないんだけど、2人に会える?」
……沈黙。
「ああ、ごめん。『はい』でも『いいえ』でも答えられない場合は首を傾げて」
首を傾げる。
どういうことだろう、と考えかけて、私はすぐに自分が愚かな質問をしていたことに気付いた。
「男の子には会える?」
首を振る。
「女の子には会える?」
頷く。
「もしかして、男の子はもう亡くなっているの?」
頷く。
嫌な予感がする。
「男の子は、2-Aの生徒?」
頷く。
やっぱりか。あの学校の教師たちはいったいどこまで隠し事をすれば気が済むのか。
そこでふと思い立ったことを聞いてみる。
「もしかして、この女の子も2-Aだったの?」
頷く。
つまり、学校はクラス名簿から3人の生徒を抹消していることになる。
亡くなった男子生徒、その恋人の女子生徒、そして喧嘩を理由に自主退学した海老澤永悟。
「男の子は、いじめられていた?」
男の子の貧弱な体と、学校の隠ぺいという言葉から連想した質問だった。
比奈は頷く。
「男の子が亡くなったのは、自殺?」
首を振る。
ぞわっと、背中に寒気が走った。
「……殺されたの?」
頷く。
「犯人も、2-Aの生徒なの?」
頷く。
「あなたは犯人を知ってるの?」
首を傾げる。
犯人は2-Aの誰かであることは間違いないが、名指しすることはできないということか。
この時、私のスマホが振動した。銭丸刑事からだった。
「ちょっとごめん」
比奈は頷く。律儀な子だ。
「はい、由芽依です」
『わかりましたよ、絵の場所。隣町の図書館です』
つまり2人は人目を忍んで逢瀬をするような関係だったということか。
「ありがとうございます。あと1ついいですか?」
『はい?』
「日和見高校で殺人事件ってありました? 今回のことよりも前に」
『は? まさか!』
比奈はまた憑りつかれたように絵を描いている。写実的な一枚絵ではなく、コマ割されたマンガのようだ。
「行方不明事件でもいいですけど」
『ありませんね。あればとっくに言ってますよ』
「……ですよね。ただ、楠さんが、例の絵に描かれている男子は殺されたと証言しているんです」
『えっ――』
すぐに署に戻って記録を確認すると言って、彼は電話を切った。
だが、私の予感では警察署にも事件の資料は無いだろう。
「ごめんね」
首を振る。
私は再び比奈の隣に座る。
「この、恋人を殺された女の子は、やっぱり犯人を憎んでいるのかな」
頷く。
我ながら愚かな質問だ。
だが、問わなければならない。
「男の子はいじめられていたんだよね。いじめっ子たちも憎まれてる?」
頷く。
「見て見ぬふりをした、2-A全員」
頷く。
「いじめや殺人を隠蔽した学校、父母、関係者」
頷く。
ふと、この女の子は比奈自身なのではないかと思ったが、その考えはすぐに捨てた。
まず体格が違い過ぎる。それにこの絵は写実的だ。これは比奈の目から見た男女の図なのだ。
「彼女は、姉原サダクを再び呼び出そうとしている?」
……沈黙。
「この絵を私たちにくれたのは、彼女を止めてほしいから?」
楠比奈は顔を上げた。
目元は見えないが、じっと私の目を見つめているのがわかった。
楠比奈はスケッチブックのページを繰り、1枚の絵を見せて来た。
「ウッ――」
その瞬間、激しい吐き気がこみ上げた。
それは、凄まじい筆圧で荒々しく描き殴られていた。
画用紙を埋め尽くす黒い人影。
その誰もが丸の中に黒点を打ったような無機質な目で、三日月型の酷薄な笑みを浮かべている。
彼らの足元には、何人かの人間らしきものが横たわっている。白いのは、裸ということか。
そして何よりも恐ろしいのは、消しゴムで強引に消された中央に描き加えられた少女の後ろ姿だった。
「姉原サダク……」
そう直観した。
だが、直線的な線で描かれたその姿は、髪や服の質感を記号的に簡略化され、効果線で演出されたその姿は――
「違う!」
叫びが破裂した。
「あなたは間違ってる! 姉原サダクはヒーローじゃない!」
首が振られる。
「サダクが蘇ったら、今度こそあなたも殺される!」
頷く。
その口元に、小さな微笑みが浮かんだ。
儚げな微笑みを最後に、少女は静かに私の前から去って行った。
「……」
楠比奈が描いた男女の絵は、女の子を止めてほしいという願いではなかった。
止められるものなら止めてみろ。
そんな、私への挑戦だったのだ。
◇ ◇ ◇
そして、沈黙の時間は終わりを告げる。
この日の夜、日和見高校は全校生徒に翌日からの授業再開を通達した。
日が昇り、登校した生徒たちを迎えたのは――
首に縄をかけられて吊り下げられた、下着姿の女子生徒の姿だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
筆者としても早くサダクを大暴れさせてあげたいのですが、今しばらく2-Aの生徒たちにお付き合いいただければ幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。