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第35話 欠片 ―ピース―

喧嘩(けんか)っすよ」


 海老澤(えびさわ)永悟(えいご)は、言葉を放り投げるように言った。


和久井(わくい)たちに喧嘩売って負けたんす。そんな奴が学校に居られるワケないでしょ」


 海老澤は私の隣に座る銭丸(ぜにまる)刑事を見た。「地元の人間ならわかるでしょ?」と言っているのだ。


「喧嘩の原因は?」

「さぁ、何だったかな……」


 言いながら、彼は作業服の胸ポケットから煙草(たばこ)ケースを取り出した。


「1本いいすか?」

「ええ、どうぞ――」

「いやいやいや!」


 銭丸刑事が慌てて止める。


「煙草は20歳になってから! 由芽依(ゆめい)さんも! 「どうぞ」じゃないでしょ」

「あ……、すんません、クセで」

「ごめんなさい、つい」


 煙草をポケットに仕舞う。彼が煙草を取り出す仕草があまりにも自然だったからついつられてしまった。

 一瞬見えた淡い色合いのパッケージデザインはピアニッシモだろうか。私も一時期愛用していた。


「喧嘩の理由なんてどうでもよかったんすよ。肩がぶつかったとか、ガンつけたとかきっかけは何でも。ただ序列付けがしたかっただけで」

「じゃあ、突っかかって来たのは和久井ファミリーの方なんだ」


 ぴくっと、海老澤の形の良い眉が動いた。


「どうしてそう思います?」

貴方(あなた)は群れるタイプの不良じゃない。どっちかと言うと、不器用なツッパリタイプ? ひと昔前の」

「体がデケェだけの根暗っすよ」


 少年は照れくさそうに自嘲する。


 序列だの何だのを気にするのは、自分の中で価値観が確立していない、芯の無い者がすることだ。だが、目の前に座る少年には大人びた落ち着きがあった。


「でもおかしいな。そういう格付けがしたいなら、1年の時にするものじゃない?」

「……確かにそうっすね。何でかな?」


 彼の瞳は揺るがない。


「話は変わるけど、佐藤(さとう)(あきら)さんのことは(おぼ)えてる?」

「ええ。2年で同じクラスになりました。クラス委員やってたと思います」

「彼女が今入院していることは?」

「風の噂で」

「入院のいきさつは知ってる?」

「……病気じゃないんですか?」


 一瞬流れる沈黙。

 先に沈黙を破ったのは私だった。


「晶さんとは親しかった?」

「え?」


 その時、わずかに少年の目が泳いだ。


「彼女が学校を休むようになった時期と、貴方が退学した時期が近いから、ちょっと気になって」


 正確には、海老澤永悟が学校を辞めたのが夏休みの直前、佐藤晶が野球部の部室で最初の暴行を受けたのが夏休みの中盤あたりである。

 たったこれだけの情報を引き出すために、私たちは数日かけて何人もの教師と生徒の間を行き来し、証言の矛盾を突きまくるという作業を強いられていた。


「別に。ただのクラスメイトです。ほとんど話したこともなかった」


 だが、その苦労も今回は空振りに終わりそうだ。

 その後もあの手この手で揺さぶりをかけてみるも、彼はどっしりと構えて動かなかった。


「手強いっすね」


 作業に戻る彼の後姿を見送りながら、銭丸刑事が語りかけて来る。


「銭丸さんもそう思いますか」

「こういう時、肝の据わったツッパリタイプは厄介っすよ。ただ、嘘をつくタイプじゃないっすね。黙して語らないってだけで」


 私もそう思う。こちらが確かな事実を突き付ければ、彼は素直に語ってくれる。そんな気がする。


 その時、プレハブ小屋の陰から声が聞こえてきた。


「ええ、大丈夫です。警察には何も。はい」


 海老澤社長――永悟の父親の声だ。


「はい、(せがれ)は私が責任をもって、はい」


 社長がこちらに気付いた。引きつった笑顔で会釈をし、逃げるように去っていった。


 やはり海老澤永悟は何かを隠している。いや、隠すことを強要されている。


 そもそも、日和見高校の書類上では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。


 昨年度と今年度の生徒名簿を照らし合わせていなければ、私は彼の存在すら知ることはなかっただろう。


 鍵が必要だ。

 海老澤永悟の心を開くための(キーワード)が。




  ◇ ◇ ◇




 『出ていけ』『呪われろ』『人殺し』『売春宿』。

 かつては下宿業を営んでいたという久遠(くおん)家の塀は今、心無い落書きで染め上げられていた。


「これが、孫を(うしな)ったばかりのお(ばあ)ちゃんにすることかなぁ」


 憤然と(つぶや)く銭丸刑事。

 ほとんどの場合、落書き犯は事件とは無関係な第3者にすぎない。

 彼らを突き動かすものは、悪を裁く正義の心などではない。立場の弱い者を傷つけようとする悪意ですらない。

 視聴者参加型番組でテレビのリモコンを押すように、手軽な刺激で憂さ晴らしがしたいだけだ。


 塵も積もれば山となる。彼らのゴミクズのような遊び心も集まれば醜悪な呪いとなる。


 チャイムを鳴らし、インターホンに「警察です」と告げると、小さな声で「どうぞ」と返って来た。


「俺は外で待ってますよ」

「え? いや、それはちょっと……」


 正直困る。本当の警察は彼だけなのに。


「今さらつまらないこと気にしないでくださいよ。俺も来月には転勤ですから好き放題やらせてもらいます」


 玄関に向かう私の背後で、おそらく洗車用のブラシが塀をこするガシガシという音が聞こえて来た。

 私はどうやら、「頼りない男」という彼の印象を改める必要がありそうだ。


 久遠家の中は薄暗く、独居老人の家特有の枯れた臭いがした。

 仏壇に手を合わせる。そこには遺影も位牌も置かれていなかった。


「お孫さんのことは、お気の毒でした」


 敷きっぱなしの布団の上で、小さな老婆はもごもごと口を動かしたが、言葉を聞き取ることはできなかった。


 久遠つる、98歳。息子は3人いるが長男と次男は別居、三男は事故で他界している。久遠(つばめ)はこの亡くなった三男の子である。


「単刀直入にお伺いします。久遠さん、貴女(あなた)姉原(あねはら)サダクを知っていますね?」


 老婆は小さく頷いた。

 80年前、村1つを壊滅に追いやった大量殺人。様々な事情により世間から秘匿され、戦争の混乱の中で公的な資料も失われ、歴史の闇に葬られた名もなき事件。


 事件の存在は以前から知っていた。

 15年前のあの時、犯人とされた男性の家系を辿った先にあの村があったから。


 久遠つると姉原サダクのつながりは私の憶測である。ただ、久遠燕と姉原サダクの間にはこの老婆がいると踏んでいた。


「姉原サダクが怨霊となっていることも、貴女は知っていた」


 頷く。


「貴女は、姉原サダクと契約する方法を知っていますね? それをお孫さんに教えた」


 老婆は首を横に振った。


「骨が教えてくれる……黒い骨……」

「サダクの遺骨ですね」

「骨が語りかけて来る……己の命を差し出せば恨みを晴らしてやると……」

「貴女はそれを知っていて、黒い骨をお孫さんに譲ったんですか? あんな恐ろしいものを――」


 老婆の喉がゴロゴロと鳴った。それが笑い声だと気付くのに少し時間がかかった。


「憎んでいたんですか? お孫さんを」

「……」


 久遠つるは、もう私の問いには答えなかった。

 ただ、万年床の上でうずくまり、口をもごもごと動かしていた。


 それは、呪詛(じゅそ)の言葉だった。


 燕に友達ができた。好きな人ができた。燕の中で、自分の順位は彼らよりも下になってしまった。

 家庭を優先し、自分を捨てた息子たちのように。

 そんな、幼子(おさなご)(ひが)みのような感情。


 これが、100年近い歳月を生きた者の孤独と絶望なのだろうか?


「お孫さんがどうしてサダクと契約したか、知っていますか?」


 垂れ流され続ける呪詛。もう、この老婆から聞けることは何も無かった。


「どうでした?」


 久遠家を出た私を迎える銭丸刑事。塀の落書きはだいぶ薄くなっている。


「新しいことは何も」


 隠し事はしないと言った矢先だが、久遠つるとの話は少なくとも今の彼にはしたくなかった。




 久遠つるは、自分の憎しみを晴らすために姉原サダクを利用したと思っているかも知れない。

 自分の命を差し出すことなく、呪いを成就させることができたとほくそ笑んでいるのかも知れない。

 でもそれは、これから彼女が払う代償に見合っていると言えるのだろうか?


 数々の苦難を乗り換え、激動の時代を生き抜いた先にたどり着いたのは、軽率な人生を歩む者たちの短絡的な憂さ晴らしにされされながら朽ちていく孤独な終点だ。

 それで本人が満足だと言うのなら、もう私がどうこう考えることではない。


「ところで由芽依さん。さっきあの子に会いまして」

「あの子?」

「えっと、ほら、前髪の長いガリガリの……」

(くすのき)比奈(ひな)?」

「そう! 楠さん!」


 まいったまいったと頭を掻く銭丸。自分が救助した少女の名前だと言うのに、やはり彼はどこか頼りない。

 それにしても、意外なところで意外な名前が出て来た。


「彼女からこんなものをもらいまして」

「あら、ラブレター?」


 だったらいいんですどね、と、彼は取り出したのは一枚の画用紙だった。

 破れ目から察するに、スケッチブックから切り取ったのだろう。


「……上手い」


 画用紙には、シャープペンシルで描いたとは思えない、モノクロ写真のような絵が描かれていた。

 1冊の本を2人で読む男女(カップル)。微細に描き込まれた背景は図書館、もしくは学校の図書室だろうか。


「何つーか、ラブラブっすね」


 2人の顔は本に向かっているが、目線は互いの顔を見つめている。絵には2人の瞳に宿る、ちょっと気恥ずかしさが混じった温かさまで見事に表現されていた。

 思わず「爆発しろ!」と叫びたくなる、甘酸っぱい幸福感。


 ただ。

 この絵には1つ問題があった。


「この子たち、誰?」


 2-Aの生徒に、この2人が存在しないことである。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

筆者としても早くサダクを大暴れさせてあげたいのですが、今しばらく2-Aの生徒たちにお付き合いいただければ幸いです。


続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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