第34話 欠番 ―ヴォイド―
「まったく、叩けば叩くだけ埃が出る……」
もう、口に出さなければやっていられない。
「すんません、こういう町なんす」
私の悪態を受けて、銭丸刑事はバツが悪そうに頭を掻いた。
「あ、すみません」
私は慌てて頭を下げる。生まれ故郷を悪し様に言われて気分を害する人は多い。
「つーか、由芽依さんは今何を調べてるんすか? もういい加減隠し事は無しっすよ」
「そうですね」
隠ぺい体質はお互い様だとやり返された気がするのは私のうがち過ぎだろうか。
私とて、これ以上彼を置き去りにして独走するつもりはない。
銭丸保孝。
一時的なものだと思っていた相棒は、どういうわけか今も私のそばにいてくれている。
ひょろっとした体格に締まりのない顔。でも、時折見せる据わった目つきには、確かに警察官の魂が宿っている。
彼はきっと、生まれ育った地元で刑事になるのが夢だったのだろう。
口には出さなくても、何となく想像がつく。
私は、自分の身勝手な行動でそんな彼の夢を奪ってしまった。
「佐藤晶」
私は一枚の資料を彼に渡す。
添付されている顔写真は、彼女の恋人だった蒲生一真のSNSからプリントアウトしたものだ。
これが、まともな彼女が写っている現状では最後の画像である。
佐藤晶は、この町にある喫茶店でラテアートが浮かんだコーヒーカップを持って微笑んでいた。
「何て言うか、優等生オブ優等生って感じっすね」
ポニーテールにまとめた長い黒髪、切れ長の眼から発する目力は強く真っ直ぐだが同時に優しさに満ちている。
きりっとつり上がった太目の眉がアクセントになっていた。
利田寿美花が「優しいお母さん」なら、佐藤晶は「厳しいお姉さん」だろうか。
「小学校では児童会長、中学では生徒会長。2-Aでもクラス委員長だった」
リーダーシップに優れ、ボランティア活動にも積極的。太陽に照らされた王道を堂々と歩む学生生活。
このまま行けば、どんな幸せな人生が待っていただろう。
「で、何が気になるんすか?」
「彼女の転落は、和久井春人に目を付けられたところから始まった」
和久井の名前を聞いて、銭丸は渋い顔を隠せずにいる。
この町の不良たちを束ね、暴走族や半グレ、暴力団にとも関係を持つ、闇の御曹司。
すでに何件もの障害や窃盗が、彼が主犯であることは明らかであるにも関わらずお宮入りとなっている。
「ただ彼女、1年の時も和久井とは同じクラスだったんですよね」
和久井が彼女の人柄に惹かれたというのなら、なぜ1年の時は手を出さなかったのか。
中学生の時、すでに保険医を妊娠させ、わずかな金と脅しの言葉を送って遠方へ追いやったと言われる彼が。その気になれば平凡な家庭のいち女子生徒などいつでもモノにすることができただろうに。
「彼氏から略奪したかったんじゃないすか?」
一理ある。だが、気になる。
もし、和久井が彼女に惚れる劇的なきっかけがあったとしたら。
そこにまだ隠されている秘密があるとしたら。
「……精神攻撃で一番きついのはどんなだと思います?」
「へ?」
私がいきなり変な話題を振ったせいで、銭丸刑事は目を丸くして呆けた顔をさらした。
「監禁や拷問でしばしば使われる手です。被害者にわざと隙を見せ、自力で脱出させる。そして被害者が「助かった」と気を緩めた瞬間、再び絶望に叩き落とすんです」
この手の恐ろしい点は、希望が信じられなくなることである。
これをやられた被害者は、もうどんな救いの手も加害者の手にしか見えなくなり、やがて思考を放棄し、自ら加害者の奴隷に成り下がる。
「15年前、私は姉原サダクにこれをやられました。もしかしたら、今も攻撃を受けている最中なのかもしれない」
「……」
「姉原サダクがあの程度で消えるはずがない。彼女が再び現れた時、絶望はどこまで広がるのか……」
今回の姉原サダクの襲撃をしのいで、「助かった」と気を緩めている者は果たして2-Aの生徒だけなのか。
私の中で嫌な予感が際限なく広がっている。
「今はひとつひとつ探っていくしかない。刑事は足を使うものです」
もっとも、私はもう刑事ではないが。
◇ ◇ ◇
株式会社海老澤車輌。
小さな工場で自動車やバイクの修理や解体を行う小企業。株式の40%は和久井建設の保有であり、大口の取引先も和久井建設のみという事実上の子会社である。
事務所と言う名の、工場に併設されたプレハブ小屋に向かう途中、私は1人の作業員に目を止めた。
若い男――いや、少年だ。埃や油に汚れてもなお10代の肌の張りとみずみずしさがわかる。
背が高く、シルエットはスリムだが、作業着をまくった二の腕にはがっしりとした筋肉がのぞいている。
長い髪を後ろで束ね、板金を塗装している姿に、私はなぜか無性に惹き付けられた。
「ささ、どうぞどうぞ」
作業服の似合ういかつい外見に似合わず、やけに腰の低い社長に促され、私たちはプレハブ小屋に入った。
「どうぞ、座ってください。すぐ倅を呼んできますんで。あ、そこのお菓子はご自由にどうぞ」
社長は私たちにソファを勧め、自分は薄っぺらい引き戸の向こうに消えた。その瞬間――
「永悟! 早ぅ来い言うとんのじゃ! 警察が来とんのじゃあ!」
雷鳴のような怒号に、私と銭丸刑事は思わず姿勢を正してしまった。
「すみませんねぇ、作業中だったもんで、すぐ! すぐ来ますから!」
わずかに開いた戸口からぬっと差し込まれるにこやかな顔。
「あ、あの、お気遣いなく。お邪魔しているのはこちらなので」
「コラ永悟! 急げ言うとろうが!」
そんな社長の1人芸を眺めること5分。ようやく1人の少年が不器用に会釈をしながら入って来た。
(やっぱり)
さっき見かけた若い作業員だ。束ねていた髪は下ろしている。やや癖のある跳ねた髪がライオンや狼を髣髴とさせる、ワイルドな印象の少年だった。
涼やかな目元をした精悍な顔立ちながら、眼差しはどこか柔らかい。
「すんません、お待たせしました……」
挨拶慣れしていない、ぼそぼそとしたしゃべり方だが、低い声はよく通っている。
「海老澤永悟君」
「はい」
「座って」
海老澤永悟はわずかに頭を下げ、私たちの正面に腰掛ける。ふわっと制汗スプレーの爽やかな匂いがした。
「早速だけど、事件のことは知ってる?」
「ニュースでやってたんで」
私は頷く。報道番組を観ただけなら、ほとんど何も知らないと変わらない。
「まずは、貴方が高校を中退したいきさつを教えてくれるかな。元2年A組、海老澤永悟君」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
筆者としても早くサダクを大暴れさせてあげたいのですが、今しばらく2-Aの生徒たちにお付き合いいただければ幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。