第31話 2-A ―ロスト・ラムズ―
日和見町高校生連続殺傷事件。
発生から2週間。事件は今のところそのように呼ばれている。
犯人は死亡した女子生徒S。Aではないのは、かつて世間を震撼させた殺人事件で固有の意味を持つようになってしまった『少年A』との差別化を図るためである。
当初、マスコミはこの事件をセンセーショナルに盛り上げようとしたのだが、被害者数などの必要最低限の情報しか公表しない警察はもちろん、近隣住民も申し合わせたように口をつぐみ、事件はその概要さえ曖昧模糊としたまま、早くも大物芸能人の大麻乱用疑惑にトップニュースの座を譲ろうとしていた。
この間、日和見高校は学校閉鎖を余儀なくされていた。
そして当事者である2年A組は、そのほとんどが放心状態で過ごしていた。
怨霊、姉原サダクによる殺戮。
多感な思春期の真っただ中、子供と大人の間を手探りで生きていた彼らにとって、この事件は突然頭上から降り注いできた無数の剣のようなものだった。
それはあまりに刺激が強く、あまりに理不尽だった。
そんな中で最初に動いたのは、町一番の資産家と言われる檀家の息女、麗だった。
この日、いつもはきりっと引き締まっている麗の端正な美貌はどんよりと曇り、明らかに精彩を欠いていた。
片方の頬が赤くわずかに腫れている。
「麗ぁ……」
そんな彼女の服にすがり付き、グスグスとぐずる神保ここあの頭を撫でながら、麗は「ごめん……」と掠れた声を絞り出した。
「気にすんな」
そう返したのは、燃えるような赤い髪をした少女、紅鶴ヘレンだった。
「手紙、ちゃんと書いてよ」
麗は力なく頷いた。
檀家は、この町を捨てる選択をした。
麗は友人と離れたくないと残留を希望したが、当然容れられるはずはなかった。
それどころか、友人たちとの絶縁を言い渡され、スマートフォンとタブレットを破棄されてしまったのである。
「ヘレン、あたし……」
「わかってる」
ヘレンの手が、麗の腫れた頬にそっと触れた。
そのまま、3人の少女たちは無言で身体を寄せ合った。
「いい加減にしろ麗! 行くぞ!」
そこへ、鋭い大声が投げ込まれた。
その途端、麗の背筋がピンと伸びた。
「はい! ただいま参ります!」
そこに、麗が学校で見せる粗暴で傲慢な態度は微塵も存在しない。
エンブレムの輝くイタリア製の高級車に向かって走り出す麗。最後に一瞬だけヘレンたちを振り返り、無言のまま車に乗り込んだ。
「……」
走り去る車を、ヘレンは憮然とした顔つきで睨み続けていた。
麗がヘレンたちに向けた目。それは、寒風にさらされて震える捨て犬のような、心細さと寂しさを湛えた瞳だった。
「麗、大丈夫かな……」
ここあが涙に詰まった声を上げる。
「あと少しの辛抱だ」
ヘレンは、自分に言い聞かせるように告げた。
「学校を卒業たら、うちらもこの町を出る。そしたら麗を取り返す。絶対に」
ここあの小さな手をぎゅっと握る。
「うん。絶対に、3人で幸せになろう」
その小ささに似合わない力強さが返って来た。
◇ ◇ ◇
「ダメだ、あいつ電話も出ねぇわ」
田所時貞の報告を興味なさそうに聞き流しながら、和久井春人は男子にしては繊細な指先で前髪をいじりつづけていた。
学校閉鎖を歯牙にもかけず、日和見高校野球部は今日も活動を続けていた。
和久井の足元には、裸にされた上半身のいたるところに青あざを作った男子生徒が2人正座させられている。
この日、彼らは2リットルの水を飲んで殴り合いをし、先に水を吐いた方が有り金もすべて吐き出すというゲームをしていた。
もちろん、参加者はこの2人だけである。和久井たちは観客だ。金を取ってショーを観る者たちを客と呼ぶかどうかは別として。
だが、この日の部活はいつものように盛り上がらなかった。
こういう時にノリのよい実況をしてくれる宇都宮直樹をはじめ、取り巻きが2人ほど足りなかったのだ。
宇都宮は事件以来精神が不安定で、家はおろか自室から出ようとしないと聞いている。
「……」
和久井はいら立ち紛れに奴隷の1人を蹴りつけた。
「おめーら気合足りねぇんだよ! あぁ? オラァコラァ!」
汚い声でがなり立てるのは田所である。
和久井の機嫌が悪い時、怒りの矛先が向くのが奴隷だけとは限らない。和久井の気まぐれな一挙手一投足に常に気を配り、何か動きがあればすかさず太鼓を叩くのが田所の処世術だった。
ひれ伏す奴隷たちと、必死に騒ぎ立てる田所を見て、和久井はわずかに溜飲を下げた。
殺された馬場信暁が信仰していたのが衝動的な暴力だったように、和久井が信仰していたのは場の空気だった。
この和久井春人こそがこの学校の王である認識を、生徒も教師も共有していることが何よりも大事だった。
その認識とは、恐怖である。恐怖とは狂気だ。
和久井春人は何をするか、どこまで行くかわからない。
その空気こそ、和久井の価値観の全てだった。
これこそ、檀麗や紅鶴ヘレンが持っていない、王の王たる所以だった。
だが、この事件で空気がわずかに変わった。
姉原サダク。
和久井は、彼女の凶行を見ていない。
あの日、突然教室に現れた由芽依とかいうやけに病的な女性刑事に空気を乱されたのが気に喰わず、帰宅してしまったのがある意味では幸いし、ある意味では災いした。
幸いとは、あの時彼がそこにいれば、死者の列の先頭を歩いたのは馬場ではなく和久井だったであろうということ。
災いとは、図らずも自分が姉原サダクから真っ先に逃げた形になってしまい、自分の与り知らぬ所で格付けがなされてしまったことだ。
さらに悪いことに、そのサダクを退けた利田寿美花の英雄的行動がある。
和久井が王なら、姉原サダクは魔王であり、利田寿美花は勇者だった。
誰も口には出さないが、今やこの学校の者たちの深層心理は和久井よりもサダクを恐れ、和久井よりも寿美花を敬っていた。
今はまだ表面化しているわけではない。臣民たち自身もまだ気付いていないだろう。だが、誰よりも空気に敏感な和久井は確かに感じ取っていた。
「宇都宮な……」
和久井が口を開くと、田所をはじめとした取り巻きや奴隷たちに緊張が走る。まだ、彼らに王の神通力が有効なうちに新たな恐怖を植え付ける必要があった。
「あいつも明日から奴隷な」
一瞬、その場にいる全ての顔から血の気が引き、やがて「へへ……」と歪んだ笑みが浮かんだ。
(取り返さないとな)
もし、また姉原サダクが現れた時は――。
2-Aで唯一、惨劇を見ていない男はそんなことを考えていた。
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