第3話 獣 ―ヒエラルキー―
「どぅるるるるるるるるる……」
放課後、僕たちは部活動をしていた。
僕たちというのは、この学級のカースト最底辺に位置する者たちである。
僕、米田冬幸とヒョロガリの幕田、ちびデブの根津。
今はこの3人が男子の奴隷階級に位置づけられている。
日和見高校野球部。
だが、その実態は部室を占領する不良たちが、無理やり入部させられた奴隷たちから部費と称して金品を巻き上げる狩場である。
「本日のランキング最下位は~」
僕らの前で、粘っこい声でニタニタと笑う金髪ソフトモヒカンは田所。
その隣で偉そうに腕を組むドレッドヘアーが宇都宮。
まあ、この2人は絡まれればそれなりに痛いしお金も取られるので鬱陶しい存在ではあるが、所詮は下っ端である。
「根津くぅん。何よ2千円って。ふざけてんの?」
肩にがしっと腕を回され、根津は小さな体をさらに縮こませる。
「だ、だって……、こんな、何度も取られたら……、無くなるのは当たり前じゃないか……」
根津は震える声で真理を解いた。だけど――
「あっれ? コイツ口答えしたよ? 奴隷君のくせに逆らいやがったよ?」
聞こえよがしに喚く田所。
それを聞いて、のそりと動く影があった。
「ひぃ……」
根津の身体が、痙攣と見紛うほどに震え出す。
僕らの前に立ったのは、スポーツ刈りに無精髭、骨太の身体に筋肉と脂肪を積載量限界まで搭載した男。
高校生とは思えない、それどころか人間とは別種の獣性さえ感じさせるヤクザ者と言った方が適切な男。
馬場信暁。
「……」
馬場はゆっくりとガムを咀嚼しながら、じっと根津を見下ろした。
「ば、馬場く……ち、ちが……口答えなんて……ごめ……僕……あぉ……」
ガチガチと歯を鳴らす根津の口から出るのは、もはや言葉ですらない。
でも、根津の気持ちは痛いほど解かる。
馬場は加減を知らない。
檀や神保の狂暴性や残虐性とは、根本的なところが違う。
女子たちが『傷つけること』を躊躇わないのに対し、馬場は『殺すこと』を躊躇わない。
「ひぃぃぃぃ!」
根津は何も言われないうちから馬場の足元に這いつくばり、靴を舐め始めた。
プライドなんて、とっくの昔に壊れている。
それでも、死への恐怖は捨てられない。これが、僕たちに残された生物としての最後の価値観なのかも知れなかった。
「汚ェな」
低い声でぼそりとつぶやくと、岩のような手が根津の髪を掴んで持ち上げた。
「痛ッ!? 痛い痛い痛いィィィですゥゥゥ!」
半狂乱で泣き叫ぶ根津の腹に、拳が深くめり込んだ。
「ぶぐぶぅ」
噴き上がる胃の内容物を、根津は頬をぱんぱんに膨らませてこらえる。
万が一にも、馬場に吐しゃ物をかけるわけにはいかない。
これは、根津の生と死を賭けたあまりにも悲しい戦いだった。
根津は白目を剥いたところでようやく解放された。
地べたに座り込んだ彼は失禁し、上を向いたまま口から吐しゃ物をあふれ出させ、全身を汚すことになった。
「うっわ」
「ひっでぇなおい」
口々に囃し立てる下っ端2人。自分たちも密かに馬場にビビっていたくせに。
馬場は恐ろしい。遠くからその姿を見るだけで頭が真っ白になって身体が震え出すくらいに。
でも、僕らにとってさらに絶望的なのは――
「馬場、そろそろ行くぞ」
「うす」
この馬場が、不良たちのリーダーではないことだ。
和久井春人。
この物憂げな雰囲気を漂わせた長身の男子生徒こそ、この学校における生態系の頂点だ。
茶色の髪はサイドと後ろを刈り上げ、上部は本を開いたようなセンター分けのトランクスヘア。
両耳には小さなピアスが付いている。
浅黒い肌から発する威圧感は、静かだが底が知れない。
純粋な1対1の暴力なら馬場の方が上かも知れない。だが、この和久井には馬場さえも震え上がらせる冷酷さと、それを実行させるだけの力がある。
政治力。
和久井は、事実上この町の経済を支配し、政治家とも深く癒着している企業、和久井建設の御曹司なのだ。
実際、彼が引き起こした明確な犯罪行為がいくつももみ消されている。
中には堕胎を余儀なくされた女性も1人や2人ではないとさえ言われている。
和久井に対抗できるとしたら、資産だけなら和久井家を凌駕する檀家か、代々町長職を務め教育委員会などの要職にも一族を配置している千代田家くらいだろうが、ここまで来るともはや一介の高校生にどうこうできる話ではない。
しかも檀家は一人娘があの麗であるという絶望。
そして残る千代田家の息子は――
「大丈夫かい!? また和久井たちが君らを引っ張ってたって聞いて、探してたんだよ!?」
和久井たちの足音が聞こえなくなってから颯爽と現れたヒーローたち。
心優しき弱者の味方、男子サッカー部。
その部長がこの千代田育郎である。
「ひどいな。俺たちがもう少し早く来ていれば……」
汚物にまみれ、ひぃひぃと放心したように泣く根津を見下ろしながら、千代田は嘆息した。
「俺だって、このままじゃいけないとは思ってるんだ。和久井とは決着をつけなきゃいけない時が来るだろうな」
多分、その時は来ない。いや、すでに決着は付いていると言うべきか。