第27話 不穏 ―サスペンス―
彼女の空虚な瞳は、姉原サダクのあの瞳に似ていた。
半開きの口からあふれ出るよだれが一本の筋を描いている。
「佐藤、晶さん……」
私の呼びかけにも、当然のように反応はない。
痩せこけた少女の身体は、手首と足首、そして胴体にベルトが巻かれ、ベッドに固定されていた。
こうなる前は、さぞ美しく利発な顔立ちをしていただろう。
「薬物ですか?」
傍らに立つ初老の医師は、きまり悪そうに頭を掻いた。
「……症状を見る限り、その可能性は否定できません」
事情は知っている。
佐藤晶は、この病院に担ぎ込まれてからというもの、ろくな検査を受けていない。
ナンバーを隠した軽ワゴンが、下着姿の彼女を病院前に放り出して走り去った。
このような形で運び込まれた急患は、血液や尿の検査はしないか、記録を残さないのがこの町の暗黙の了解らしかった。
よそ者の私がこの事実を知るには、私自身いくつかの法律と倫理を踏みにじる必要があった。
「ご家族は?」
「面会謝絶ですから。本来は」
私は鼻の先で笑った。
医師が面会を許可すれば病院から家族へ連絡すると言っているらしいが、その時はおそらく来ない。
次の連絡は死亡通知だろう。
「……」
横目で医師を見据えると、彼は老いた顔に開き直ったような威厳を浮かべて胸を張った。
◇ ◇ ◇
「由芽依さん!」
病院のロビーに銭丸刑事がいた。
「もういいんですか?」
「ええ。かすり傷ですから」
「……」
銭丸刑事は、私の右腕を吊っている三角巾をまじまじと見ている。
「何か?」
「いえ。やっぱりアレは見間違いだったのかなぁ?」
「当然でしょう。私の右腕はここにあるんですから」
あの時。
理科室のガスボンベを爆破した私は、爆風で吹き飛ばされて校舎の中庭に転落した。
その際、銃を握っていた右手が窓枠に引っ掛かり、肩が外れたのもあって腕が千切れてしまった。
銭丸刑事が私を発見した時、私は右腕を失っていた。
「私に何か御用ですか?」
話をそらす意味も兼ねて、彼に尋ねる。
「今日の聞き込みの報告に来たんすよ」
「いいんですか? 私もう、刑事じゃなくなったんですけど」
独断専行で案件を引っ掻き回した挙句、死者4人、負傷者多数、校舎半壊の大惨事を引き起こした私が、社会的に無傷であるはずがなかった。
表向きは一身上の都合による依頼退職だが、実質的には懲戒免職である。
本庁の鑑識課のデータ復元・解析ソフトやSATの拳銃を盗んだ件が不問にされ、さらに退職金まで出るのは、私が現職中にかき集めた上層部や政財界の醜聞に対する口止め料の意味合いが強い。
もしかしたら、近いうちに私は消されるかも知れない。
まあ、消すことができれば、の話だが。
「……俺も、次の人事でこの町を出ることになりました」
彼は遠い目をして言った。
「どうも、センパイ方は何か隠してるっぽいんすよね。下っ端の俺にそれを嗅ぎまわってほしくないみたいなんです」
「そのまま忘れてしまうのも、1つの選択ですよ?」
私のせっかくの提案を、彼は「そうっすね」と受け流した。
「ところで、日和見町の東側の峠なんですけどね」
「峠?」
「県道沿いのパーキングエリアから約3キロにわたって、崖下から大破したバイクが見つかりました」
「和久井春人とつるんでいたという珍走団ですか」
「ちん? ああはい、暴走族っす。んで、パーキングエリアで1人、あとは崖の下で6人、死体が見つかりました。まぁ、死体と言うか、男性7人分の残骸と言うか。アレじゃ死因もわかりませんよ」
随分とお楽しみだったようだ。
「由芽依さん、気にしてましたよね。百足とか蜘蛛がどうとか」
黒い百足と蜘蛛は、姉原サダクが使役する眷属だ。
サダク本体は、バカげた耐久性と回復力を除けばその能力は人間の域を出ない。
それをカバーするのが眷属たる百足と蜘蛛である。時にサダクの目となり耳となり、猛毒を持つ暗器となる。
15年前も、校舎を覆った蟲によって私たちはどこに隠れても発見され、追い立てられた。
「……大丈夫っすか?」
「ああ、大丈夫です。続けてください」
知らず知らずのうちに、私は自分の身体を抱きしめていた。
銭丸は時折私をチラチラと見ながら資料をめくる。
「どういうわけか、死体は損壊が激しかったそうで、もうほとんどひき肉状態だったそうです。監察医が言うには、死体は大量の虫に食い荒らされたっぽいと」
「……一度、町を上げて大々的に害虫駆除をした方がいいでしょうね」
状況をまとめると、7人の男たちは山道のパーキングエリアでたむろしていたらしい。
そこで何者かに襲われ、まず1人が血祭りにあげられて大量の蟲の餌にされた。
男たちはバイクで逃げたのだろう。
峠の下り3キロの間を死に物狂いで走る間に、1人、また1人と崖下へ転落していったのだ。
町の東にある峠は、私も車で走ったことがある。
全体的に勾配もカーブもゆるやかで、事故を起こすような道ではない。
「よほどスピードを出していたのか……」
「タイヤ痕を見る限り、時速100キロは優に超えてたみたいです。あと、どの現場もブレーキ痕が異様に短いんですよね」
転落直前までカーブに気付かなかったということか?
「彼らは追われていた?」
「ええ。後ろを気にしすぎて、前方のガードレールに気付けなかったんだと思います」
銭丸刑事はふっと自嘲気味に笑った。
「由芽依さん。怨霊って、時速100キロで走れるんすかね?」
「パーキングエリアで1人殺したのなら、バイクが1台余ったはず」
「……怨霊がバイクに乗るんすか? そんなの聞いたことありませんよ」
「そう? 首無しライダー、ゴーストライダー、サムライダー……」
「あ、意外といましたね」
「まぁ、終わったことを気にするのは現職の方々に任せます」
私は腕を吊っていた三角巾を取り、ギブスを外した。
「え?」
ぐるんと腕を回すと、ずきりと鈍痛が走った。
「痛ぅ……」
「無理するから」
「……」
「姉原サダクは倒したんでしょう? まだ何かあるんすか?」
確かに、私はサダクを倒した。
サダクが利田寿美花に憑依した瞬間を狙い、ガス爆発で木っ端みじんに吹き飛ばした。
他に憑依する先が無ければ、サダクは地獄に還るしかない。多分。
「彼女は怨霊。そう簡単に復讐を諦めるとは思えない……」
佐藤晶。彼女を弄んだ者たちはまだ生き残っている。特に、元凶たる和久井春人が。
銭丸刑事は、やれやれと肩をすくめると私の側を素通りして歩き始めた。
「しょうがない。俺が運転しますよ。行きましょう」
「え?」
「俺、由芽依さんと違ってまっとうな警官なんで。危ない人は張り込んでおかなくちゃ」
「はぁ……」
ふと思う。彼の言う危ない人って、もしかして私のことだろうか?
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