第26話 宴 ―フューネラル―
「嫌です!」
逃げるようにとの私の言葉を拒絶した利田寿美花の目には、境界線を越えてしまった者特有の冷気と、覚悟を決めた者特有の狂気を孕んだ炎が宿っていた。
――床には、胸に杭のようなものを突き立てられた姉原サダクが微笑んでいる。
人ならざる者が相手とは言え、寿美花の倫理観はある一線を越えてしまったのかも知れない。
時が経てば、冷気と炎は入り混じり、混沌とした闇と化す。
そんな予感が私の背筋を震わせた。
「わかった。好きにしなさい」
もう、そう言うしかなかった。
何が少女をここまで突き動かしたのかはわからない。これから先もわかることはないだろう。
――もし仮に私たちが姉原サダクに勝てたとしても、私と利田寿美花のどちらか、もしくは両方が死ぬことになるのだから。
私は姉原サダクの身体に乗っかると、警棒でその笑顔を殴打した。
姉原サダクは、最初に契約者の身体を媒体にこの世に顕現する。
姉原サダクは、乗っ取った身体を本来の能力の限界を超えて使役することができる。特に黒色化した骨格の耐久性は炭素合金に匹敵する。
姉原サダクは、傷ついた身体を瞬時に回復させることができる。ただし、心臓や主要血管を激しく損傷した場合は回復に数分の時間を要する。
そんな不死身とも言える姉原サダクにも、弱点がある。
魂の入れ物たる、脳である。
今のサダクの脳は、本来は蒲生一真のものでありそこに姉原サダクの魂がインストールされている状態である。
その脳細胞を破壊することで容量を減らし、魂を強制的にアンインストールさせるのだ。
破壊された脳に代わる『依り代』が無ければ、彼女の魂は地獄に還るしかない……かも知れない。
ただし、彼女の脳は黒色化し超耐久力を得た頭蓋骨に守られている。
したがって、彼女の脳にダメージを与える数少ない手段の1つが、脳震盪である。
だから私は、姉原サダクの顎を執拗に殴打しているのである。
姉原サダクは、そんな私に抵抗するでもなく、胸に刺さった杭を抜くことに集中しているようだった。
やがて杭が抜けた。
激しい血飛沫が天井まで達し、赤い雨となって降り注ぐ。
「くっ――!」
それは、私に対しても一種の目つぶしになった。
その一瞬の隙を突いて、サダクは私を押しのけて立ち上がった。
みるみるうちに出血が収まっていく。
だが、サダクの姿勢はまるで水中をゆらゆらと揺蕩うクラゲのようにおぼつかない。
(どうする? 姉原サダク?)
サダクは首を巡らせ、寿美花を見た。
ゆらゆらと彼女へ近づいていく。
「利田さん!」
きっとサダクを見据える寿美花に警棒を投げ渡し、私は拳銃の銃口側を握った。
銃の握りをハンマーに見立てて、サダクのこめかみを狙って振り抜く。
同時に、利田の警棒がサダクの顎を反対方向から薙ぎ払った。
奇跡と言えるタイミングだった。
カコン、と軽い音がしてサダクの首はほぼ90度傾き、そのまま戻らなくなった。
両ひざがガクンと床に落ちる。
「気を付けて!」
だが、サダクにはある奥の手がある。
床に両ひざをついた彼女の身体を中心に、黒い影がぞわぞわと広がり始めた。
「ひっ!?」
寿美花が悲鳴を上げるのも無理はない。
黒い影の正体は、無数の百足と蜘蛛だった。
怨霊である姉原サダクが使役する眷属たち。
「毒を持ってる! 離れて!」
ここが理科室だったのが幸いした。
長机の上にはいくつかのアルコールランプがあった。
私はそれらを片っ端から黒い絨毯に投げつけ、点火した。
黒い蟲たちが、青味がかった炎に包まれる。
「姉原サダク!」
強烈な悪臭を放つ炎の中心で、依然として微笑みを崩さない彼女に叫ぶ。
「あなたの敗けよ。大人しく地獄に還りなさい!」
「……」
私に向ける微笑の質が、ほんの少しだけ変わった。
笑いから嗤いへ。
姉原サダクが、この世で私にだけ見せる特別な笑顔。
彼女の細い身体が蛇のようにうねり、利田寿美花を見つめた。
「――!?」
利田寿美花の、恐怖に見開かれた目が私を見る。
「ごめんなさい、利田さん」
私の謝罪の意味を知り、利田寿美花はこくんと頷いた。
焦げた蟲の上に、姉原サダクの身体が崩れ落ちる。
いや、その胴体は久遠燕であり、転がった頭部は蒲生一真だった。
「がは……」
利田寿美花が、頭を押さえて苦しみ始めた。
顔中の穴から、赤黒い血がどろりと流れ出る。
煮えるように溶けていく皮と肉。
白い骨をのぞかせながら、利田寿美花は私を見つめた。
「みんなを……お願い……」
そうだ。
この時を、私は待っていた。
周囲に誰もいない閉鎖空間で、姉原サダクが今の肉体を捨て、別の肉体に乗り移るこの瞬間を!
骨の黒色化が完了するまでのわずかな時間で、新しい脳を完膚なきまでに破壊する!
「うわあああああああああッ!!!!」
自分でも意味の分からない叫びをあげ、私は理科室の隅に並んでいたガスボンベのバルブを拳銃で撃ち抜いた。
寿美花が、「ありがとう」と呟いた気がした。
閃光と爆風に意識を奪われる刹那の時間を、私は利田寿美花への祈りに捧げることにした。
――ごめんなさい。
本当は、私の身体を使ってやりたかった。
そうすれば、全ての罪を贖うことができると思っていた。
あなたは見抜いていたのだろうか?
私が、この状況を作るためなら生徒を何人か生贄にすることも考えていたことを。
あの時のあなたの目は、姉原サダクとの戦いだけではなく、私との戦いも覚悟した目ではなかったか。
本当にごめんなさい。
あなたは、強くて、優しい女だった。
利田寿美花。
あなたのことは、絶対に忘れない。
☆ ☆ ☆
日和見高校2年A組 久遠燕:姉原サダクに身体を乗っ取られて死亡。
日和見高校2年A組 利田寿美花:爆死。
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