第21話 事件 ―コールドケース―
聖ガラテア女学院事件。
20××年3月21日、刃物を持った男が宗教系の中高一貫校、聖ガラテア女学院の中等部校舎に侵入した。
授業時間中だったため、男は校舎内では誰にも咎められることはなく、やがてある教室に乱入した。
そこには、体育の授業のために教室で着替えをしていた女子生徒たちがいた。男は少女たちを次々に襲い、その場にいた十数名を死傷させた。
続いて、悲鳴を聞いて駆け付けた教師2名を殺害して逃走。
さらに逃走の過程ですれ違った生徒2名に切り付け、うち頸動脈を切られた1人が死亡した。
最終的に犯人は無人の教室の1つに立てこもり、あらかじめ用意していた爆発物で自殺した。
この時、爆心地の側に居た生徒の全身に無数のガラス片が突き刺さり、その生徒も搬送先の病院で死亡している。
最終的な死者は犯人を含めて10名。顔に傷を負うなどした重傷者が3名、軽傷者は約20名。
犯人は遺体の損壊が激しかったものの、DNA鑑定により近所に住む30代の無職男性であることが判明した。
「15年前だから、みんなは幼くて憶えていないかも知れない」
私の言葉どおり、事件については数人が名称を知っている程度の様子だった。
「でも、この事件には不可解なことが1つあった。犯人は30代の無職男性であったにも関わらず、事件の目撃者はみんな口を揃えて言ったの。犯人は事件の数日前に転校してきた女子生徒で、名前は『姉原サダク』ってね」
だが、目撃者が証言できる精神状態になる頃にはすでに警察は犯人の氏名を公表していたし、マスコミは学校のセキュリティが当時でも考えられないほど甘かった点を暴き立てることに集中していた。
結果、証言を取材したのは写真週刊誌数社に留まり、まともな記事を書いたのはオカルト系雑誌1社のみだった。
警察やマスコミの怠慢を責めるつもりはない。むしろ仕方のないことだと思う。
なぜなら、学校のどこにも姉原サダクなる女子生徒が転校してきた記録など無かったからだ。
姉原サダクの存在を示す証拠は、書類からもデータからも完全に消えていた。
メディアを責めるとしたら、それは犯人の動機を掘り下げなかったことだ。
死人に口なしとばかりに、彼らは安易なイメージに犯人像を当てはめた。
30代で無職の引きこもり。部屋には大量のアニメグッズ。
社会の底辺に生きる孤独な男が、被害妄想と自己顕示欲を募らせた挙句、注目を浴びて死にたいなどと身勝手な絶望の果てに犯した無差別殺人。
それは、綿密な取材の結果として行き着いた答えではなかった。
少しでも足を使って調べればわかったはずなのだ。
彼にとって、大量のアニメグッズは単なる消費物ではなかったこと。
彼の正体は、ネット上では知る人ぞ知る個人のアマチュアCGアニメ作家であり、少数ながら年季の入った固定ファンもいた。
彼の実生活は確かに極貧ではあったが、彼が充実した創作ライフを送っていたことは、ファンとの交流の記録や作品そのものから見てとれる。
そして、そんな彼を支えていた最古参のファンが、聖ガラテア女学院中等部のとある生徒だった。
その生徒はある時、校舎の3階の窓から落ちて亡くなった。
遺書は無く、学校は「いじめはなかった」とし、その子の死は事故として処理された。
だが、遺書はあったのだ。
男が一番最初にネット上に公開したアニメ動画のコメントの中に。
その子が苛烈ないじめに悩んでいたこと。教師は味方してくれず、親にも迷惑をかけられず、孤独であったこと。
コメントは、その子の死の前日に投稿されていた。
男は、たしかに狭い世界に生きていた。
だからこそ、彼にとって自身の作品のファンは家族に勝るとも劣らない、かけがえのない、愛すべき存在だった。
でも彼には力が無かった。
彼の手にはマウスをクリックするだけの力しかなく、彼の足には自宅とコンビニを往復するだけの力しかなかった。
あるのは、理不尽に愛する者を奪われた哀しみと怒り。
それが彼の真の動機だった。
だから彼は、姉原サダクと契約したのだ。
「彼は犯行の前に、自身の作品をすべて削除している。遺書となったコメントも一緒に」
私が真実を知ったのは、警察に入ってからだ。データ復元ソフトと国家権力を使ったプロバイダーへの開示請求を駆使して掴んだ情報である。
あの事件の真の姿は私だけが知っている。
「姉原サダクは、文字通り復讐者に成り代わる怨霊なの。一見言葉が通じるように思えるけど、実際は何ひとつ伝わってなんかいない。彼女がこの世に顕現したら最後、復讐を果たすまで姉原サダクは止まらないし止められない」
「ばっかばかし」
紅鶴ヘレンは、紅い髪をかき上げながら吐き捨てた。
「アンタの話は妄想だらけだ。その生徒がいじめで自殺したってのも不確かだし、犯人の男が何を考えていたのかも、結局確証はねぇんだろ」
「あなたも見たでしょ。姉原サダクの人間離れした力――」
「アイツはただ頭がイカれてるだけだ! ブレーキがぶっ壊れてんだよ!」
紅鶴がむきになって怒鳴る。
「時間の無駄だ! とっとと応援を呼べよ! イカれた殺人鬼が学校にいるって! 狙撃でも空爆でもしてとっととアイツをぶっ殺せ!」
「ふふっ」
つい私は笑ってしまう。
「何だよ?」
「あなた、15年前の私と同じことを言ってる」
「は――?」
生乾きの血が染み付いたシャツを、少しだけはだけて見せてやる。
「何だよ……その傷……」
私の胸に刻まれた傷。
あの穏やかな微笑みと真っ黒な瞳の記憶と共に刻まれた呪わしい傷痕。
「私は15年前の生き残り。だから、私は確信を持って言える。あの時、いじめはあったし、あの子は自殺した。そして、姉原サダクは私たちに復讐するために現れた」
紅鶴ヘレンの顔を引きつらせたこの傷はまだほんの一部だ。
私の身体には、左肩から右わき腹にかけて、長い一本の切り傷がある。
周囲の肉が感染症とは似て非なる謎の壊死を起こしたため、傷痕は溝となり、周囲の皮を引きつらせている。
例えるなら、身体に巨大な百足が一匹埋まっていて、それを引きはがしたような形だ。
もっとも、サダクが私に残した後遺症はこれだけではないが、今はいい。
「相手は、人間じゃない。常識で測れる存在じゃない。警察ではあなたたちを守れない」
あちこちから、ひくひくとしゃくりあげる声が聞こえ出した。
「どうして……こんなことに……」
「私もそれを知りたいの」
ようやく、話が本題に戻る。
「2-Aで何があったの?」
はじめは、15年前と同じいじめ問題だと思った。
米田冬幸のスマホを見て、鹿谷慧に目を付けたのだがそれは見当違いだった。
契約者は久遠燕。
「久遠燕は最期に『アキラ』って名前を口にした。答えなさい。『アキラ』って子に何があったの?」
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