第20話 怨霊 ―スペクター―
――繰り返します。校舎の3階で火災が発生しました。皆さんは落ち着いて先生の指示に従って避難してください。くり返します……
「ごぼっ、げほっ」
せり上がる赤黒い塊を吐き出し、ようやく呼吸が楽になった。
身体を起こすと、全身の関節が悲鳴を上げる。だが、校舎が騒がしくなってきた今、ここでじっとしているわけにはいかない。
私は立ち上がった。
(急がなきゃ)
避難した生徒たちはこのグラウンドに集合するだろう。今の私の状態を見られたくなかった。
膝が笑い、がくんと地に着いた。さすがに3階から転落したのはきつかった。
再生率はまだ5割といったところか。姉原サダクと戦うには、せめて7割は回復しておきたい。
体育館の出入り口から校舎に入ろうと思ったが、生徒たちと彼らを引率する教師の声が聞こえて来たので断念し、正面玄関に回った。
そこで、生徒の一団に出くわした。
2-Aだ。無事、教室から逃げて来たのだろうが、何人かはおびただしい血を浴びていた。
すでに何人か血祭りにあげられたのだろう。
誰もが生気を失った顔で地べたにへたり込んでいる。
「おい、あんた」
生徒の1人が目ざとく私を見つけて近づいてきた。
可愛いおでこに似合わない底冷えのする瞳。そして燃えるように紅い髪。紅鶴ヘレンだ。
「あんた知ってんだろ!? あの転校生! 何なんだあいつ!?」
形の良い眉を吊り上げ、射貫くような目線をまっすぐに突き込んでくる。
「そうね。教えてあげる。でもその前に1つ聞かせて」
「あ?」
「何人死んだ?」
「な――」
紅鶴ヘレンは一瞬狼狽えたが、寸でのところで後退しようとする足を踏みとどめた。
「2人……」
「ってことは、米田君と久遠さんを入れて、すでに4人か……」
その瞬間、ヘレンは猛禽の瞳を取り戻して私につかみかかって来た。
「テメェ、やっぱ知ってやがったな!? こうなることを初めから!」
「ええ。でも、事前に言えば信じてくれた? 姉原サダクは人間じゃないって」
「ッ……。でも、他にやりようはあっただろうが。アンタは知ってて何もしなかった! アンタはあいつらを見殺しにしたんだよ!」
「私を責めたいのか、姉原サダクのことを知りたいのか、どっちかにしてくれる?」
――いけない。
こう真っ直ぐに敵意を向けられると、ついむきになってしまう。
「……教えろよ。アイツ一体何なんだ?」
紅い髪の少女の向こうに、いくつもの怯えた目がある。
今の彼らなら、真実を受け止めることができるかも知れない。
「姉原サダクは、この世の者じゃない。人間の強い怨みに惹かれてこの世に現れる、怨霊なの」
◇ ◇ ◇
「怨霊!?」
廊下を走りながら、銭丸刑事は素っ頓狂な声を上げた。
「だ、そうです」
利田寿美花はグラウンドで由芽依刑事から聞いたことを伝える。
「この世で何かしらの強い怨みを持つ人と契約を交わして、契約者の身体と命と引き換えにその人の恨みを晴らすって……」
「そんなバカな……」
あの惨劇の過程を見ていない銭丸は一笑に伏そうとする。だが――
「やっぱり……」
鹿谷慧ががくんと膝から崩れ落ち、またガタガタと震え始めた。
「ちょっと鹿谷! いい加減にしろよお前!」
銭丸にほぼお姫様抱っこで抱えられながら、各務野紗月が喚き散らす。
「ケイちゃんお願い、今だけ。今だけ頑張って!」
寿美花は慧の手を強引に引っ張り上げた。
「何がやっぱりなの? 言ってみて。1人で抱えないで。話せば少し楽になるよ」
「あ、あの日、お社の神様が騒ぐから……、私、見に行ったら、神社に米田君と姉原さんがいて……」
鹿谷慧が、地元の神社の娘であることはこの場の誰もが知っている。
慧自身はほとんど口に出さないが、彼女は霊感が非常に強いことも寿美花は知っていた。
慧の喉がゴクリと鳴った。だが、ろくな唾液が出なかったのだろう、声は恐怖にかすれたままだった。
「守り神も、祟り神も、みんな姉原さんに怯えてて……、姉原さん、『短い間ですがお世話になります』って……」
「随分、律儀な怨霊なんだな……」
銭丸が呆れるが、慧は問題はそこじゃないとばかりにぶんぶんと首を振った。
「この土地の神様はもう、姉原さんを止められない……」
廊下の向こうから、重い金属が転がる大きな音が響いた。
その場を見なくても、誰もが姉原サダクが消火器の呪縛から解き放たれたのだと悟った。
◇ ◇ ◇
「何が怨霊だよ。ふざけんな……」
精いっぱいの悪態をつくものの、紅鶴ヘレンの声はどこか弱弱しい。
恐らくは彼女が納得せざるを得ないほどに、2人の犠牲者は凄惨に殺されたのだろう。
「今回の契約者が久遠燕なのは間違いない。問題は、彼女が抱いていた恨みがどんなものだったのか。サダクが狙うターゲットが誰なのか。今度は私からみんなに質問する。2-Aで何があった?」
恐怖におののく視線が交差する。
「黙秘権は認めるけど、自分の権利には自分で責任を持ってね」
「アンタ警察だろ! あたしらを守る気あんのかよ!?」
「ない」
この際だから、私ははっきり告げることにした。
「姉原サダクは、公式には50年前に死んでいる。死人の相手は警察の管轄外」
「じゃあ、何でアンタは……」
「私は姉原サダクと個人的な決着を付けるためにここに来た。姉原サダクは15年前にも現世に呼ばれている」
15年前。
私の人生の、終わりと始まりの年。
「聖ガラテア女学院事件、知ってる?」
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