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最終話 輪唱 ―カノン―

 地元の人間でない限り、地図を見ずにそこが東京都に属していると気付ける者はいないだろう。

 緑に覆われた山々を背景に、のどかに広がる田園と新築と古家が混在する住宅地。

 小さな駅前の小さな商店街は3分の1ほどが閉店している。


 ここから発展するのか、このまま衰退するのかは成り行き任せ。来るものは拒まず、去る者は追わず。


(……今のあの子たちには、このくらいがちょうどいいかもな)


 山間(やまあい)に沈むオレンジ色の夕日を浴びながら、銭丸(ぜにまる)保孝(ほたか)はそんなことを考えた。


 商店街を通り抜け、住宅地の外れにある1軒のこぢんまりとした小料理屋の前に立つ。古びた看板には『美樹』と書かれている。


「いらっしゃいませッ!」


 店の雰囲気には若干そぐわない、甲高い張りのある声が銭丸を迎えた。


 「や」と手を上げる銭丸の前に、小柄な店員がぱたぱたと駆け寄ってきた。


「いらっしゃい、兄貴」

「元気そうだね」


 五分刈りになったその頭を軽く撫でてやると、和久井(わくい)(しゅう)はほっとしたような笑顔を浮かべた。




 ――あれから数年が経った。

 それでもなお、日和見町を襲った災厄を正確に把握している者はいないだろう。

 世間では日和見町山火事事件と呼ばれ、炎により閉鎖された町の中でパニックが起き、暴動により死者が出た事件として片づけられている。


 全国ニュースにも取り上げられたが、その話題は1カ月ももたず、芸能人の不倫ニュースに取って代わられた。

 火事の原因は不明ながら放火の可能性は極めて低いとされ、政治家や大企業が不祥事を起こしたわけでもない。誰を責めることもできない自然災害の亜種としてこの件は片づけられつつあった。


(それでよかったんだ)


 銭丸はそう思うことにしている。

 この山火事のおかげで、高校での殺傷事件も、その模倣事件も、和久井ビル襲撃事件もいっしょくたに流されてしまった感がある。

 そこにはマスコミが大好きな――ひいては一般大衆が大好きな青少年の闇があり、政治家や企業の横暴があり、何より理不尽に虐げられたか弱いいち家庭があったのだが、今は世間の無関心が幸運だったと思いたい。


「お義姉(ねえ)ちゃんは元気?」


 銭丸の問いに、終は少しだけ影のある笑顔で「うん」と答えた。


 佐藤(さとう)(あきら)。だが、その名前はネット上に流出してしまったため、今は美樹(みき)(あきら)となっている。

 暴行と薬物の後遺症は今も彼女の心身を苛んでいる。悪夢にうなされ、パニック障害による発作を起こすため睡眠薬と精神安定剤を手放せない。


「それでも、前よりはずっと良くなってるんだ。会計なんとかの資格取って、ちょっと前から在宅の仕事も始めたし」

「強いなぁ」


 それでも、彼女が完全に立ち直るまではどうかそっとしておいてもらいたかった。もし、彼女が生涯この心傷(トラウマ)と付き合ってきなかればならないのだとしたら、生涯そっとしておいてもらいたい。


 誰も事情を知らないこの土地で、()()2人で支え合って生きてほしい。


 事件の後、終と晶はこの店の主人に養子として引き取られていた。

 終も今のフルネームは『美樹終』であり、晶とは血のつながらない姉弟となったのだ。


 終の実母である和久井紫里(ゆかり)は山火事事件のさ中に自ら命を絶っていたが、そのずっと前から縁戚であるこの店の夫婦に終の今後を相談する手紙を送っていたのだった。


 とある難病で息子を失っていた美樹夫妻は、終と晶を快く迎え入れた。

 そこには、彼らの人柄はもちろんあっただろうが、終が成人するまで面倒を見るに十二分な金額が紫里から夫婦の口座に振り込まれていたことが大きいだろう。


 義理と人情だけではどうにもならないこともある。


 だがむしろ、息子に母としての愛情を示すことができなかった紫里にとっては、金銭(カネ)人脈(コネ)だけが終に示すことができる最大限の愛情表現だったのかもしれない。


「あの」


 終の目が、掬い上げるような角度で銭丸を見上げていた。


(けい)姉ちゃんのこと、何かわかった?」


 終の問いに、銭丸は力なく首を振った。


 銭丸は現在、埼玉県のとある警察署の刑事課に所属している。日々の激務に追われながらも、彼は常に日和見町にアンテナを張っていた。

 だが、事件以来、鹿谷(ろくたに)(けい)由芽依(ゆめい)輝夜(かぐや)の名前は生存者にも死亡者にも上がっていない。


(少なくとも、2人がまだ一緒ってことはないと思うけど)


 このことを終に告げるべきかどうか、銭丸は迷っていた。


 今、日本各地で発生している中高生の殺傷事件。

 1つ1つは単発の事件として扱われているが、銭丸はその中にいくつかの共通点のある事件を見出していた。

 管轄が違うため、このことに気付いている者はまだ銭丸だけだろう。

 それに警察もマスコミも『犯人』には多大な関心を寄せているが『被害者』にはあまり注意を払わない。


 だが――銭丸は思う。

 『事件』とは、どこからどこまでを指すのか。

 『被害者』とは何か、『加害者』とは何か。

 これからの時代は、錯綜する情報や相違する見解の中からいかに客観的な事実を拾い上げ、人々の中で千変万化する『真相』をどう捉えていくかが問われることになる、と。


 今もそうだ。

 被害者として片づけられている死者の中に、1カ月以内に転入してきた女子生徒がいる事件がある。半年の間に、すでに3件。

 それぞれ名前は異なるが、共通する事情がある。

 1つは、遺体は身元が確認できないくらいに損壊していること。データベースには一致するDNAも存在しない。

 2つ目は、彼女たちは天涯孤独で遺体の引き取り手がなく、火葬後は無縁仏として葬られること。

 3つ目は、いずれも精神錯乱や妄言として片づけられているが、犯人はその転校生であると証言する者がいることだ。


「はい、お待ちどう」


 店の主人がカウンター越しにビールとつまみを差し出した。


「それじゃ兄貴、ごゆっくり」


 それを合図に、終は仕事に戻っていく。

 ぱらぱらと入って来る常連客を、終の元気な「いらっしゃいませッ!」が迎え入れた。




  ◇ ◇ ◇




 深町(みまち)(かなで)は、今日も必死にスマートフォンを繰っていた。


「違う……違う……」


 何度もキーワードを打ち込み、SNSを検索する。

 『いじめ』『告発』『マンガ』そして『姉原(あねはら)サダク』。


 それは、ある都市伝説だった。

 ある時、どこかで起こったいじめの光景を詳細に描いたマンガ作品がSNSに公開された。それはセリフの無い、鉛筆描きの画像を撮影したお粗末とも言える作品だったが、作者の執念が宿ったようなその異様なリアリティと凄惨極まりない内容から広く拡散され、今も有志によって清書されたものやセリフが入ったもの、カラーになったものなどを比較的容易に閲覧することができる。


 だがどういうわけか、オリジナルはアカウントの消失と共にネット上から忽然と姿を消した。

 多くの人々が画像を保存したと思われるにも関わらず、一部では感染源も正体も不明のコンピュータウィルスによりその画像だけがピンポイントで消去されたと証言する者もいた。


 ここまでは実際にあった話である。




 伝説はこう語る。




 同じようにいじめで苦しんでいる者たちは、SNSを彷徨(さまよ)っているうちにオリジナルのマンガ画像を見ることができる。

 もしオリジナルを発見できたら、すぐにそのアカウントをフォローし、DMを送れ。

 DMに記載する文章はただ一言、『姉原サダク』それだけである。




 姉原サダクは絶望と死をもたらす怨霊(おんりょう)の名。

 姉原サダクは、いじめの加害者を決して赦さない。

 姉原サダクは、加害者を擁護した者、黙認した者も決して赦さない。

 その代償はただ1つ、契約者の肉体である。


(かまうもんか。あいつらを全員地獄に堕とせるのなら、私の命なんかいくらでもくれてやる!)


 ――初花(ういか)

 私の娘。たった一人の家族。何よりも大切な宝物。


「ごめんね初花。ママは一緒に行けないけど、天国は優しい人がいっぱいいるから。初花ならきっと、ママがいなくても楽しく暮らせる……、そうだよね、初花……」


 光る画面に涙が落ちる。その上を、ギザギザに欠けた爪がタップした。


「――あった!」


 直感で(わか)った。

 そこらに転がっている贋作(にせもの)とは、漂うオーラが違っていた。


(同じだ)


 どす黒い闇。

 線の1本1本から放たれる、血涙が噴き出ているような怒気。

 人の気持ちなど何とも思わず、食事よりも気軽に残酷な行為を行う者たちに対する怒り。

 自分には関係ないと高みの見物を決め込み、いざ自分に矛先が向いたらのらりくらりと躱そうとする者たちへの苛立ち。

 何より、見ているだけで何もできなかった自分の首を絞め殺そうとするかのような自責の念。


(これは、私の心だ)


 深町奏は1つ1つの動作を確かめるように画面をタップしていった。


(復讐は何も生まない? こんなことをしても初花は喜ばない? そうだ、その通りだ。だから教えてやる。お前たちがお気楽な顔で、お得意気に生み出したモノが何なのかを!)




  ◇ ◇ ◇




 私立天嶺(あまね)高等学校。

 その2年4組にある転校生がやってきたのは季節外れな11月のことだった。


「あ、あの……」


 170センチ後半の長身に日本人離れしたモデルのような体格。

 だが、彼女はその恵まれた身体を持て余すように、体の前でせわしなく指を組み、両肩をできるだけ近づけて大きな体を少しでも縮めようとしていた。


「ろ、鹿谷慧です。よろしくお願……」


 蚊の羽音のような声。


「聞こえませーん」


 声を上げたのは、クラスのお調子者ではなく、普段は教室で発言などすることのない女子不良グループとされる生徒の1人だった。


「あ、すみません、えと、鹿谷慧といいますッ!」


 教室がどっと笑いに包まれた。

 それは歓迎の意思表示などではなく、慧にはそれが一斉に牙をむいた獣の群れに思えた。


「あは……」


 口元に浮かぶ媚びた微笑み。

 その瞬間、彼女のクラス内の位階は確定した。


 女子の何人かが意味ありげに目配せを交わし、男子の何人かは軽薄な目で少女の肢体をなめ回すように値踏みする。




 彼らは気付いていない。

 すでに人を1人死に追いやり、達成感と自己肯定感に酔いしれる彼らの目には見えていない。


「……」


 教壇から彼らを見つめる転校生の瞳。

 歪んだ微笑を浮かべる仮面の奥にあるのは、一切の光を映さない真っ黒な瞳。


「短い間ですが、よろしくお願いします」


 少女の声は、教室の喧騒に紛れて誰の耳にも届かなかった。

本作をお読みいただき、誠にありがとうございます。

今回で本編は最終回となります。


次回はサダクをはじめ思い入れのあるキャラクターについて、おまけ的に語ってみたいとおもいます。


改めまして、本作をお読みいただいた読者の皆さまにお礼を申し上げます。

最後まで書ききることができたのも皆さまのおかげです。

本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] (*´ω`)穏やかな日常と語られる僅かに不穏な空気、そして歪みに潰される怨叉の声と新たなる始まりの光景。余韻を遺す読後感はまさにパーフェクトのひと言であります! 8ケ月にも及ぶ執筆お疲れ様…
[一言] 本編完結おめでとうございます!! この小説を初めて見つけた時、いじめやホラーという題材から陰鬱で救いようのない物語を想像していましたが、自分の想像する悪霊(リングの貞子)という言葉からかけ離…
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