第147話 転生 ―リ・インカーネイション―
今だ焦げ臭い空気の漂う山道を、1台のワンボックスカーが猛スピードで走行していた。
車のボディにはとある放送局のイニシャルとロゴマークがプリントされており、天井には無骨なアンテナが積載されている。
「大丈夫ですかね?」
車内の機材をいじりながら、男が不安げに呟いた。
「警察を振り切って来ちゃいましたけど……」
「バカヤロウ」
無精ひげを生やした男がぶっきらぼうに答えた。
「メディアが権力に屈してたまるかよ」
その無精ひげはよく見ると入念に整えられており、着崩したスーツも英国の高級ブランドの仕立てだった。
「お前らは黙ってカメラを回してりゃいいんだ」
山火事により孤立した町。
SNSなどで発信された断片的な情報では、取り残された住民がパニックに陥り、少なからぬ犠牲者が出たという。
「真実を伝えるのが俺たちの使命だ」
そう嘯く男の口元には、下卑た笑みが浮かんでいた。
「……」
車には、機材をいじる男の他に、運転手とカメラマンがいた。いずれも30代半ばほどの男性である。彼らはそれぞれの仕事に専念するふりをしながら、見えないようにそっと肩をすくめていた。
男の肩書きはテレビディレクター。だが、彼の真の地位はとあるキー局のトップ、代表取締役CEO(最高経営責任者)の又甥である。彼の一族は警察の幹部ともつながりがあり、多少のトラブルならば上同士が話をつけてくれる。
コネでテレビ局に入社し、形だけの現場経験を経てゆくゆくは組織の幹部として経営面に関わってゆくことが決まっている男。今、彼が先陣を切って災害地に乗り込んだのは、野次馬根性を満たすため以外の何物でもない。
「……にしても、なんかただ事じゃない雰囲気ですね。静かすぎるっていうか」
放送技師がまた口を開いた。彼はつい先月このディレクターの下に異動してきたばかりで、警察ともめたのはこれが初めてだった。
不安と興奮で浮ついている彼の様子を鼻で嗤いながら、ディレクターは「焼死体でも落ちてねぇかな」と半ば本気で呟いた。
「あ……」
その時、カメラマンが声を上げた。
「何だ? 死体か?」
「いえ、女の子が……」
「おい! 止めろ止めろ止めろ!」
ワンボックスカーが急停車する。
「どこだおい!?」
女性には不自由していないはずなのに、この飢えっぷりは何なのだろうと訝しみながら、カメラマンはその方向を指す。
そこには、ぶすぶすと黒煙を上げる半壊したジープと、その側でぺたりと座り込む全裸の少女がいた。
「おいおい、世紀末かよ」
長い脛が目を引く。やや日本人離れした体格の少女だった。両手で抱え込むように隠す胸元にはくっきりと谷間ができている。
そんな女豹のような身体と野性的なショートヘアをしていながら、こちらを見つめる瞳は完全に臆病な小動物のそれだった。
「おい、カメラ止めんじゃねぇぞ」
その言葉に、居合わせた男たちはみな嫌な予感を覚えた。
◇ ◇ ◇
「私、これからどうすれば……」
人気のない山道のど真ん中、一糸まとわぬ姿で鹿谷慧は呟いた。
それは、他者からは途方に暮れた少女の独り言に聞こえただろう。
「……」
だが、彼女はまるで誰かが答えてくれるのを待つように口を閉ざし、やがて「答えてくださいよぉ」とため息まじりの言葉を漏らした。
(とりあえず何か着なきゃ)
そう思った矢先に、テレビ局の車が通りかかったのだった。
「ひ……」
人が来たことに対し、「助かった」とは思わなかった。むしろ彼女の鋭敏な神経は、身の危険を伝える激しい警告を発していた。
(どうしよう、こんな姿を映されたら――)
想像するだけで背筋が凍る。
慧にとって、素肌に向けられるカメラはトラウマそのものだった。
(逃げなきゃ……)
――頭で考えてから身体を動かすのが貴女の悪い癖ね。
脳裏に声がよみがえる。
聞いただけで頭が真っ白になるほど恐ろしいのに、自分の全てを投げ出してでも聞き続けていたいと思わせる呪いのように魅力的な声。
その声の言う通りだった。
必死にあれこれ考えて、ようやく答えを出した時にはもう何もかもが手遅れだ。
「おい、どうしたんだ? そんな恰好で、何があったんだ?」
「ひぃッ!?」
車から男たちがどやどやと降りて来る。
しかも、よりによって1人は大きなテレビカメラを構えていた。
「何があった? 君1人か? え? 何か言いなよ」
白い歯をむき出して笑いかけて来る無精ひげの男。ギラギラと光る瞳が無遠慮に慧の身体を眺め回す。
頭の中に鳴り響く警告。
あれは獣の顔だ。
クラスの男子たちが、教師たちが、近所の男性が、実の父親さえもが向けて来る雄の眼光。
隙さえあれば、状況さえ許せば、慧の心など一切顧みることなく欲望の限りを尽くそうとする暴君の目。
「嫌ッ!」
逃げ出そうとする前に、腕を強く掴まれていた。
「声出すな! こっち来い!」
有無を言わさず、慧を車に引きずり込んでいく無精ひげの男。
だが、慧がもっと恐れるのは彼の後ろに従う他の3人だった。
仕方がない。
リーダーには逆らえない。
自分たちは悪くない。
悪意は無い。ただ、状況が許したから。
「嫌――ッッッ!」
口を塞がれた慧の身体が車の中に飲み込まれ、ドアが乱暴に閉められた。
ワンボックスの車体が激しく揺れる。
「うっ……うぅっ……」
やがて再びドアが開き、裸のままの慧がふらつきながら降りてきた。
汗に濡れ、乱れた髪。
光の無い、虚ろな目。
「やめてって……言ったのに……」
呆然と呟く彼女の全身は――
真っ赤な血で染められていた。
「嫌だって、言ったのに――!」
車道に赤黒い足跡を残し、走り去る少女。
残された車が発進することはなかった。
だが、ガラス窓の奥には真っ黒な何かがもぞもぞと蠢いている気配があった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回で本編は最終回となる予定です。
更新は12月6日を予定しております。
続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




