第140話 殺意 ―シェフズナイフ―
その後のことは、聖ガラテア女学院事件として知られているとおりである。
最初に殺害されたクラス委員長や、姉原サダクに命乞いをしようと近づいた生徒は割と幸せな死に方をした方だと思う。
彼女たちが苦痛と共に死の恐怖を感じた時間は極めて短かっただろうから。
抵抗を試みたごく少数の生徒や、サダクを止めようと立ち向かった教師たちには地獄の苦痛と絶望がもたらされた。
ある体育教師などは、刃渡り27センチの西洋包丁で顔面を削ぎ落とされた。
だが、もっとも悲惨だったのは私を含めたその他大勢――逃走を選んだ者たちだったろう。
姉原サダクが使った人外の能力。無限に再生する肉体にものを言わせ、ガラスの破片で全身を引き裂く程度では1秒の足止めにもならない追撃、こちらの行動を見透かすように現れる毒蜘蛛や百足の大群。
時間にしてわずか十数分。その間でほとんどの者が発狂した。
結局、事件は姉原サダクの自爆という形で終結した。そして彼女の代わりに被疑者死亡で書類送検されたのが、30代の無職男性だったのも以前に述べた通りである。
犯人を含め死者10名という結果は、今回の日和見町のケースに比べるとかなり小規模のように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。
後に私が警察に入り、別件として処理されていた事件や事故を調べ直したところ、当時姉原サダクが関わったと思われる案件がいくつも見つかった。
抗争により壊滅したとされる不良グループや半グレ集団。
未成年売春をあっせんしていた業者や客の不審な事故死。
聖ガラテア女学院事件の生存者はそのほとんどが遠くの地へ移り住んだが、彼女たちも1年以内に事故や原因不明の疾病、はたまた精神を病んだ末の自殺といった形で悲惨な死を迎えていた。
最終的な死者の数は、私が把握できただけでも103名。
その中に、私の家族は含まれていない。
◇ ◇ ◇
事件を機に、私の平穏な生活は崩壊した。
姉原サダクから逃げ延びるため、私は何人かのクラスメイトを盾や囮に使ったが、遺族を中心にそのことを非難する声が上がったのだ。
さらには『システム』の存在も明るみに出、数々のいじめの主犯が私であると名指しする者たちが現れた。
それらのことで私が罪に問われることはなかったが、周囲の私を見る目は完全に変わった。
「すまない朔夜。私たちはお前の育て方を間違えた」
その最たるものが私の両親だった。
「お前を名門校に入れることばかりを考えて、人の心を教えることを怠っていたんだな」
「……」
私は答えなかった。父の言っていることが的を外しすぎていて、理解に時間を要したからだ。
私は両親から中学受験を強要されたと感じたことは1度もない。
教科書を読むのも、小論文の書き方も、面接の受け方も、基礎を身に付けさえすればあとは応用するだけなのだから、同級生が四苦八苦する姿がむしろ不思議だった。
ヒトの心とやらも、私はすでに知っている。知っているからこそ、言葉で他者の心理を読み、誘導することができるのだ。
「私たちは離婚することにした。お母さんと輝夜は苗字を変えて、おじいちゃんおばあちゃんの所で暮らすんだ。朔夜は私と行こう。誰も知る人のいないところで、2人でやり直そう」
「え……」
初めて――サダクに襲われたときすら感じなかった――血の気が引くという感覚を覚えた。
自室のベッドで能天気に眠っているであろう、輝夜の寝顔が頭に浮かぶ。
あの子と引き離される? あの子が私の知らない場所で生きる? それだけは許されない。
輝夜は私の分身だ。
それは移植の件はもちろんだが、私がこの目であの子が生まれた時からその変化をずっと観察してきたという信頼の上に成り立っている。
空白の期間などあってはならない。私の知らない輝夜は、輝夜ではない。
私はよほど説明しようかと思った。
クラスメイトを盾にした件は緊急避難ということで不問に付されており、たとえ民事訴訟を起こされたとしても勝算があること。
『システム』の件は、私はあくまで善意で交流の場を提供しただけであり、その後のトラブルはあくまで当事者間の問題であること。
だがこの場合、それは逆効果であると判断した。
「嫌……私、輝夜と離れたくない……、お母さんと離れたくない……」
ニンゲンは感情に沿って動く生物だ。感情にいくら理屈をぶつけた所で意味はない。
「私頑張るから。頑張って人の心を勉強するから! お願い、家族が離れ離れになるなんて嫌だ……!」
わざわざ罪悪感の存在も教えてくれたのだから、それも効果的に使うことにする。
「朔夜……」
父の目線が揺らいだ。あと一押しだった。だが――
「嘘」
母の冷たい声が私の言葉を遮った。
「朔夜、あなたは私を母親だと思ったことはないでしょう?」
「!?」
虚を突かれた。
「輝夜は私の子供。あなたの所有物じゃない。これ以上、あなたと輝夜を近づけるわけにはいかないの」
その目は、完全に外敵を見る目だった。
そこには、私という敵から輝夜を守るという確固たる意志があった。
(仕方ない)
私に背を向けて荷造りを始める母を見ながら、思った。
(この2人は殺すしかない)
もう、あの灰色の砂漠のような世界に取り残される感覚は嫌だ。あの世界で生きるくらいなら、死んだ方がマシだ。
だが自分が死ぬくらいなら、他人を殺した方がもっとマシだ。
両親の背中に「おやすみなさい」と声をかけ、自室に向かう私の服の中には、すでに台所から盗み出した包丁が忍んでいた。
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