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第14話 闘争 ―デュエル― ◇馬場信暁の制裁・前編

「何でこんなことになってんすか?」


 日和見警察署刑事課所属、銭丸(ぜにまる)保孝(ほたか)は呆然とつぶやいた。

 遥か下方から聞こえた、ボスっという重たい音。

 出会ってたった1日の相棒、由芽依(ゆめい)輝夜(かぐや)は3階から砕けた窓ガラスと共に外に放り投げられ、消えて行った。


 出会う前からいけ好かない女だった。


 銭丸たち日和見警察署が正規の捜査と手続きを経て事故と判断した案件を、いきなり外部から乗り込んで来て何の説明もせずに再捜査を行う。

 それだけでも、銭丸たちの面目は丸つぶれだった。


 だが、通常なら警視庁に抗議するべき署長たちは、苦虫を噛み潰した顔で「由芽依刑事の捜査に協力するように」との通達を出した。

 上層部の圧力というヤツらしい。


 利用できるものをなりふり構わず利用しきり、警察組織さえも道具にして私的な捜査に邁進する。

 ドラマの主人公でも気取っているのか。

 そんなもの、傍から見れば妄想に憑りつかれた危険分子以外の何者でもないというのに。


 実際に彼女に出会い、言動を見てその印象は強まった。

 秘密主義で何も語ろうとしない。

 周囲のことなどお構いなしで、他人のことを自分の頭の中のストーリーを進めるための配役か何かのようにしか考えていない。


 そんな由芽依輝夜の外見もまた、見るからに妄念に飲み込まれた人間の姿だった。

 櫛の入っていないボサボサの髪を無理矢理後ろで束ね、血の気の薄い顔はノーメイクだ。

 バーゲンセールで買ったと思われる没個性なダークグレーのパンツスーツ。アクセサリの類は一切身に着けていない。


 だが、1つだけ気になることもあった。

 彼女の目だ。

 やつれた隈に縁取られたその目には、苦悩の陰が満ちていた。

 妄想世界の住人特有の、自分の物語に都合の悪い現実を自動的にシャットアウトする澄んだ色のフィルターが無い。


 地獄で悶え苦しんでいる自分を俯瞰で眺めているような、暗く冷たい瞳。

 先月、心を病んで辞職した先輩のベテラン刑事を思い出した。

 「アイツは真面目過ぎた」と、彼を尊敬していた者も毛嫌いしていた者も口を揃えて言っていた。


「何やってんすか……」


 由芽依輝夜が何を見ていたのか、何に苦悩していたのか、もう誰にもわからない。


 ひとつ確かなことは、均整のとれた細身の体を血まみれの制服で包み、穏やかな笑みを浮かべるこの少女こそ、由芽依を突き動かしていた『何か』であるということだ。


「君が、姉原サダク……?」


 彼女は答えない。光の無い真っ黒な瞳で銭丸を一瞥し、それきりだった。

 ゆっくりと歩きはじめる姉原サダク。

 血糊の足跡を残しながら進む先には、やたら体格の良いスポーツ刈りの少年がいた。


「待て!」


 アレを少年に近づけてはならない――


 銭丸はサダクを取り押さえるべく彼女の腕に手を伸ばした。

 その瞬間、彼女の白く細い腕が蛇のようにうねった。


「コっ!?」


 喉から変な声が出て、視界がぐるりと回った。




  ◇ ◇ ◇




「何だコイツ……?」


 事態は馬場(ばば)信暁(のぶあき)の理解を超えていた。

 クラスメイトの久遠燕が、なぜか転校生の姉原サダクに変身し、女刑事を片手で窓から放り投げた。

 そして今、男の刑事も裏拳を顎に入れられてふにゃふにゃと崩れ落ちていく。


 その間も、姉原サダクの微笑みはずっと馬場に向けられていた。


「何なんだよお前……?」


 確か、彼女は女刑事に銃で撃たれていたはずだ。顔に銃弾を何発も何発も撃ち込まれていたはずだ。

 なのに、姉原サダクは今、無傷の状態で馬場に微笑みかけている。


「化け物――」


 足元からせり上がった恐怖が、馬場の脳天に到達するその直前だった。

 とん、と姉原サダクの細い指が無防備に突っ立っていた馬場の胸板を突いた。


「お?」


 思わず重心をずらす馬場の脚を、姉原サダクの脚がすこん、と刈った。


「あ――」


 馬場は間抜けな声を上げ、床に手を突いた。


「ッ――!」


 はっと首を巡らせる。漆黒の瞳が馬場を見下ろしていた。




 向こうが上。こちらが下。




「んのヤロウ!」


 にわかに雄の闘争心が燃え上がり、馬場の脳を沸騰させた。


 鈍重な外見に似合わず、馬場は全身をバネのようにして跳ね起きると、その勢いのままサダクの顔面に鉄拳を見舞った。

 机や椅子をなぎ倒しながら窓際へ吹っ飛んでいくサダク。

 馬場は追撃し、床に仰向けに倒れるサダクの身体に馬乗りになった。


「笑ってんじゃねぇぞコラァ!」


 左右の拳で容赦なく殴る。何度も何度も殴りつける。

 サダクの露わになった白い脚が、陸に上げられた魚のようにビクン、ビクンと跳ねる。

 馬場の顔に血の雫が跳ね返った。


 突き抜けるような爽快感が彼の脳を満たした。


「たまんねぇ! いっぺんこうやって女を殴ってみたかったんだ!」


 興奮のあまり、これで結婚とは生涯無縁となった言葉を漏らしたことにも気付かない。


「へ、へへ……あ?」


 暴力衝動の解放感に酔いかけていた馬場の目に、猜疑の色が浮かんだ。


 歪に腫れ上がったサダクの顔に、いまだ微笑みが浮かんでいる。


「あら、もう終わり?」


 のしかかる馬場の重さなどまるで存在しないかのように、姉原サダクは立ち上がった。


「え? お? おぉ!?」


 サダクの身体からずり落ち、床に尻をつく馬場。

 そんな彼に優しく微笑みかけるサダク。


 まただ。

 また見下ろされている。


 しかもサダクの顔はみるみる腫れが引き、青黒い痣は跡形もなく消え失せて従来の美白を取り戻していた。


「ふざけんなぁ!」


 サダクに向かって猛烈なタックルを仕掛ける。

 そんな彼の目の前に、サダクはすっと膝を差し出した。


 ごき、と。


 鼻が折れる音がした。

 鼻血のアーチを描き、もんどりうつように倒れる馬場の身体。

 膝蹴りのカウンターだった。


「ッ!」


 サダクを睨みつける馬場に対し、彼女は人差し指をくいくいと動かして挑発した。


「ンなろぉ……」


 だが、馬場の目からはさっきまでの本能を燃焼させたようなギラついた炎が消えていた。

 代わりに、冷たい刃を思わせる殺意の光が宿る。


 馬場はその場で軽やかなステップを踏み始めた。


 これが彼の秘密兵器だった。

 周囲からは和久井の忠実な番犬と思われていたこの暴力の信奉者が、自分の上に居座る和久井を倒すために密かに磨いていた牙。

 和久井や他の仲間に気付かれないよう、隔週で通う地元から電車で2時間の場所にあるボクシングジムこそ、彼の切り札だった。


「シュッ、シュッ!」


 鋭く吐き出される呼吸と共に繰り出されるジャブがサダクの顔を的確に捉えていく。


 サダクは避けない。


 馬場はジャブで牽制しつつ間合いを調整し、自分自身もリズムに乗って来たところを見計らって右手のストレートを放った。


(決まった!)


 映画の殴り合いで聞こえるような、ボスッという鈍い音ではなく、骨同士がぶつかり合う、パキッと軽い音が響く。

 サダクの身体がぐらりと揺れた。そのまま千鳥足で2、3歩彷徨い、誰かの机の上に倒れ込んだ。

 長い手足を投げ出し、ピクリとも動かない。


「ははッ!」


 勝利の快感が馬場の脳天を突き抜けた。

 同時にとてつもない解放感を覚え、初めて彼は自分がいつの間にか死地にいて、それを脱したのだと気付いた。


「……」


 緊張の糸が緩んだ彼の目に、サダクの滑らかな脚と、その付け根にのぞく白い下着が映った。

 暴力の勝者が敗者を手に入れる。

 彼は己の信仰に基づいて、周囲の目を気にも留めずにスカートをめくり、下着をずり降ろした。


 刹那、サダクの身体が跳ねた。

 両腕が人らしからぬ動きで曲がり、机の両端を掴む。彼女は机を支点に全体重を両足に乗せ、馬場のみぞおちに叩き込んだ。


 受け身が間に合わず、馬場は床に後頭部を打ってしまう。

 一瞬、意識が飛びかけた彼の顔を、白い布地が覆った。


 サダクが馬場の顔をまたぐように立っていた。必然的に降ろされたままの下着が、彼の鼻と口を塞ぐ。

 それは、馬場が味わっていた勝利の美酒に対する最大限の侮辱だった。


 朦朧とした意識が、怒りの炎によって覚醒する。


 馬場は自分の顔をまたぐ細い足首を掴む。だが、それらはまるで床に根を張っているかのように動かない。

 サダクは相変わらず微笑んだまま馬場を見下ろしていたが、やがて指先を唇に当ててぽっと頬を赤らめてから、いそいそと下着をはき直した。

 足首を掴む馬場の手など、ゆで卵の殻を剥くようにあっさりと引きはがして。


 見下され、愚弄され、時に存在を無視される。

 馬場は今だかつて、他者からこのような扱いを受けたことはない。

 あの和久井ですら、馬場の存在を無視したことはない。


 力ある者は、常に存在を意識され、畏怖されるべきなのに。


(何だコイツ……?)


 少女が、馬場の分厚い胸板の上にすとんと腰を下ろす。


(何なんだコイツ!?)


 わずかに小首を傾げ、真っ黒な瞳でこちらをのぞき込んでくる。


「いったい何なんだおま――」


 白い拳が、馬場のいかつい顔面に叩き込まれた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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今後ともよろしくお願いいたします。

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