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第137話 妹 ―ユメイ カグヤ―

「急性骨髄性白血病です」


 まるでテレビドラマのワンシーンのようだった。

 でも医師の口調は、ドラマで観るよりもはるかに淡々とした事務的なものだった。

 それでも、その宣告の衝撃は大きく、母はくらりと気を失いかけ、それを支える父も呆然と立ち尽くしていた。


 私もまた、それまで元気そのものだった輝夜(かぐや)が一転して重病人となったことに驚きを隠せなかった。


「白血病……」


 母は自分にわかる部分だけを繰り返した。


「治るんでしょうか?」

「最近は白血病の治療法が進んでいます。まずはオーソドックスな化学療法を行いながら検査を進めていきましょう。ただ、場合によっては……」


 そこで、医師は初めて私を見た。


「骨髄か末梢血幹細胞を移植をする必要があるかもしれません」




 そして、治療の経過は考えられる最悪な方向へ進んでいった。


 輝夜の体内で生じた白血病細胞は、通常の化学療法では再発率が高いタイプであると判明したのだ。


「造血幹細胞移植をおすすめします」


 医師の顔は、最初に見せた淡白な雰囲気が後退し、まるで自身が病に(おか)されているような沈痛な陰りが見えた。


 輝夜に関わった者は大抵こうなる。

 あの子は我が妹ながら妖精のような子だ。陽気で人懐っこくて悪戯(いたずら)好き。好奇心が旺盛で興味を持ったものには目をキラキラさせて食いついて来る。

 何事にも全力で楽しみ、遊び疲れたら電池が切れたようにストンと眠る。


 その満ち足りた間抜けな寝顔を見た者は、みんな輝夜の保護者を気取るようになってしまう。


提供者(ドナー)の負担や危険性はゼロではありません。そこは我々が全力でサポートします。いかがですか、朔夜(おねえ)さん」


 医師の目は、まるで私に(すが)りついて来るようだった。

 先ほど病室で見た、シュークリームをちまちまと(かじ)る輝夜の姿を思い出す。可愛らしかった癖毛は抗がん剤の副作用ですっかり抜け落ちてしまい、今は毛糸の帽子をかぶっていた。

 輝夜は良くも悪くも正直な子だ。病に活力を奪われている姿を隠そうともしない。輝夜を輝夜たらしめていた瞳の輝きは日に日に曇り、(あか)くふっくらとしていた頬は今は生白くしなびている。


 かろうじて残っているあの子らしさが、食い意地というのは天性の愛嬌だろうか。


「わかりました。よろしくお願いします」


 私は周囲の求める通りに振舞った。私とて、この世界でもっとも信頼できる存在を失うのは惜しい。




 この時はその程度の認識だった。

 提供者(ドナー)として血を抜かれる費用(コスト)と、輝夜の健康という効果(リターン)。取引としては悪くない。


「移植にあたって重要なのは、HLA型と呼ばれる白血球の型になります。兄弟姉妹の場合、一致する確率は4分の1ですが、親子では(まれ)にしか一致せず、非血縁者間では数百から数万分の1の確率でしか一致しません」


 つまり、私のHLA型が輝夜のものと一致しなかった場合は骨髄バンクに頼ることになる。


 だが幸い、私と輝夜のHLA型は完全に一致した。


「今回行うのは末梢血幹細胞移植となります。朔夜さんにはあらかじめ白血球を増やす薬を注射させていただき、当日は3時間ほど血液中から造血幹細胞を採取します」


 医師の説明によれば、私は3時間ほど病院のベッドに座り両腕を動かせない状態におかれるとのことだった。血圧が下がるため眠ることもできず、テレビを見るか音楽を聞くくらいしかやることがなさそうだった。


 だが――


「輝夜さんは1週間前から抗がん剤と放射線による前処置を行います。以前と違って正常な造血細胞もろとも死滅させるわけではありませんが、それでも一時的に血液を作る力が大きく落ちます」


 輝夜はこれから1週間、無菌室の中で激しい嘔吐感や脱力感と戦うことになる。


「お姉ちゃん、行かないで……」


 2日目にして、輝夜は早くも音を上げた。

 吐き気のせいで眠れない夜。悪寒に震えながら過ごす長い時間。それがあとまだ6回残っている。いや、輝夜の身体から血液が減り、体力が衰えるにつれてより過酷になっていく時間が――


()()()握って……。お願い、一緒にいて……」

「輝夜……」


 私と輝夜の間を隔てる、透明な1枚のビニール。

 この世界で1番身近な存在だったはずの輝夜が、やけに遠く感じる。

 そう感じた瞬間、私は愕然(がくぜん)となった。




 ――言葉が出ない。




 私にとって最も使い慣れた道具(ツール)であるはずの言葉が、最も操りやすいニンゲンであるはずの輝夜を前に、ひと言も出てこない。


 今すぐにでもビニールを引き裂いて、無菌の空間に飛び込んで行きたい衝動に駆られる。

 暴力的な苛立ちが私の体内を荒れ狂っていた。


 この感覚には覚えがある。

 幼いころ。ずっとずっと幼いころ。

 まだ言葉を巧く扱えず、脳内を駆け巡る情動を整理できなかった時の、あの苛立ちだ。


「か……ぐや……」


 母が、ハンカチで私の顔を拭いた。

 なぜ?

 涙を拭くなら母の方ではないか?




  ◇ ◇ ◇




 そして、地獄のような連夜を輝夜は耐え抜いた。

 輝夜の過ごした時間に比べれば、私の退屈な3時間など在って無いようなものだった。

 私から血液を採取する時間は、本当に、驚くほどあっという間に過ぎ去った。


 そして、私の血が点滴の管を通して輝夜の身体に入っていった。


「えへへ、お姉ちゃんだ……」


 久しぶりに輝夜の笑顔を見た気がした。


「何だか、あったかい気がする」

「そんなわけないでしょ」


 チューブを通った血液に私の体温が残っているはずがない。この子はたまにわけのわからないことを言う。


「2、3週間で白血球の量が増えてくれれば成功です」


 医師の言う通り、日に日に輝夜の中で白血球の数は増えていき、頭にはくりくりとした髪の毛と、顔にははつらつとした笑顔がよみがえり始めた。


「お姉ちゃん」

「ん?」


 リハビリの運動をしていた時、不意に輝夜が改まって私を見た。


「ありがとう」

「いきなり何? 頑張ったのは輝夜でしょ」


 私は3時間テレビを見ながらぼーっとしていただけだ。


「今、私の中で頑張ってくれてるよ」


 またわけのわからないことを言っている。

 でも、その言葉は妙に心地よく私の記憶に残った。


(そうか。この子は私なのか)


 私もまた、わけのわからないことを考えた。これまでの私なら思い浮かぶことさえなかったであろう、非合理的な思考。

 でも、今の私はなぜかこの考えを捨て去ることができなかった。


 輝夜。

 生まれた時から、ずっと私の側にいる妹。

 私と同じHLA型を持ち、私の血で生きている存在。


 輝夜の頭を撫でてみた。新たに生え始めた、柔らかいクリクリの髪。小さな顔がくすぐったそうに笑い、私の胸にぐりぐりと頬を摺り寄せて来る。




()()……」


 この時、私は初めて、本当の意味で彼女の名前を呼んだ。




 この世界には、私とこの子がいる。




 私はもう、1人じゃないんだ。




 輝夜の身体は、抱きしめると確かな熱があった。脈打つ心臓が生み出す熱。生命の熱だ。




「お姉ちゃん、大好き」

「私も」




 その言葉は私が意識して発したものではなかったが、間違いなく私の言葉だった。




「大好きだよ、輝夜」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

ちょっと体調不良が長引いております。

中々連日更新が難しい状態ではございますが、続きが気になるという方は広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


みなさまもお体にはお気をつけて。


今後ともよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ううう、(ノД`)ジャンルがヒューマンドラマのような姉妹のふれあいに泣ける、言葉を失い自然に言葉を発した 朔夜はこの時はじめて[お姉ちゃん]になれたんですなぁ。(血まみれスプラッタなバイオ…
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