表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/151

第135話 防衛 ―アンコンシャス―

「あ……あ、あ、ああああッ!!!」


 (けい)が胸を掻きむしるような動作で(もだ)え始める。


「慧!」


 慧は「はっ、はっ、はっ」と犬のように浅く息を吐きながら、何とか頷いた。

 怨霊・姉原(あねはら)サダクが慧の意識に侵入したのだ。


 私はリモコンのスイッチを切り替える。

 慧の左まぶたに埋め込まれた、3対の極小ピアスがばちんと音を立てて慧の左まぶたを再び縫い付ける。

 ピアスには強力な電磁石が仕組まれている。

 姉原サダクが『視線』を媒介として他者の身体に乗り移っているのは、これまでの観察から明らかだった。これで彼女は、完全に慧の身体の中に閉じ込められたことになる。


「しっかりして、慧!」


 私は彼女の大きな身体を抱きしめた。


 あまり時間は無い。慧の脳にサダクの意識が完全に乗り移っ(インストールされ)ると、身体組織は1度崩壊してサダクの身体に再構築される。

 私が慧の身体に施した数々の仕掛けも初期化されてしまうだろう。


 このわずかな時間で、姉原サダクを完全に(たお)さなければならない。




 そして、鹿谷(ろくたに)慧はそれができる少女なのだ。




「大丈夫、大丈夫だよ慧。自分をしっかり持って。私を感じて」

朔夜(さくや)様……」


 この時まで、私は昼も夜もなくわずかな暇さえあれば慧の身体を抱き、愛撫してきた。

 私の肌や体温の感触を、彼女の敏感な肌に覚え込ませるために。

 私に抱かれれば、慧の心が安らぎを感じるよう条件反射を植え付けるために。


「大丈夫。大丈夫だからね。力を抜いて、私に全部委ねるの」

「はい……」


 愚かしいほど素直に、少女の身体は弛緩(しかん)し、私にしなだれかかって来る。


「それでいい。可愛い慧。愛してる」


 慧の身体に染み込ませるように愛の言葉を囁いていく。


貴女(あなた)は頑張った。とっても頑張ったね。長い間ひとりぼっちで、辛かったね」


 少女のこれまでの人生で、誰もかけてくれなかったであろう言葉。少女が焦がれるように欲してきたであろう言葉をかけてやる。ひくひくと弱々しく震える肩を温めるように抱きしめる。


「好きだよ、慧。私は、辛い日々をじっと耐えてきた貴女が大好き。これからは私が貴女を守る。ずっとずっと、死ぬまで愛してあげる。だからね、慧……」




「もう、()()()()()()()()()。痛かったことも、怖かったことも、恥ずかしかったことも、全て」




「朔夜様……わ、わた……し……」


 激しくしゃくり上げながら、必死に首を振る慧。


「いいのよ慧。貴女はもう、じゅうぶんすぎるほど苦しんだ。心も身体もボロボロになるほど罰を受けた。だから、もういい。もう苦しまないで。貴女はもう許されているのだから」

「ッ――」

「これからは私が貴女を幸せにしてあげる。だからもう、忘れなさい」




  ◇ ◇ ◇




「そう来たかー」


 暗闇の中で、姉原サダクは(つぶや)いた。

 もっとも、今の彼女は肉体を持たないため、呟いたというより思念したと言ったが近い。


 本来ならば前後も上下もない無限の空間を、彼女自身も無限に広がっていておかしくないこの精神世界で、サダクは今だ自分を人型であると認識し重力の存在を感じて――あるいは錯覚して――いた。


「……」


 果てしない闇の中に、サダクは立っていた。

 だが今、彼女の足元は泥のようにぬかるんでおり、じわじわと彼女を飲み込もうとしていた。


(忘却の河か)


 それはまさに、緩やかに流れる淀んだ大河(たいが)だった。

 流れているのは情報だ。鹿谷慧が五感で感じた情報、思考した情報が入り混じり、混沌となって流れている。


 落書きだらけの教科書。

 引き裂かれた下着。

 自分を見下ろす血走った目。

 針で刺される痛み。

 親の財布からお金を抜き取る罪悪感。

 真冬の風と冷たい水。

 向けられるスマートフォン。


 毎日が剣山の上で綱渡りをするような恐怖だった。


 ――私が悪いんだ。私が(のろい)いから。私が木偶の坊だから。


 何をやっても、何もしなくても、周囲の人々は彼女を(なじ)り、罰した。

 彼女のやることなすこと、すべてが不正解だった。


 彼女は正解を探し続けた。

 自分がみんなに迷惑をかけているから。自分のせいで父や母、大切な人を困らせているから。

 だから私は罰を受けている。

 みんなが簡単に出している正解を出せないでいるのだから、これは当然のことなのだ。




 だがある時、彼女は気付いてしまった。




 本当は、正解なんてどこにも無いんじゃないか?




 私は生まれてきたことがそもそもの×違いで、×ぬ以外にみんなを×らせない方×は××ん×ゃな×か?




 サダクの手から情報がこぼれ落ち、沼の奥底へと消えていった。


 ――私が悪いんだ。私が(のろい)いから。私が木偶の坊だから。


 そして思考は堂々巡りを続ける。

 これが彼女――鹿谷慧の自己防衛だった。

 学校にも、家にも、自分自身にすら逃げ場が無かった彼女にとって、忘却こそが自分の心を崩壊から守る最後の手段だったのだ。


「……」


 記憶をすくい上げていたサダクの手の平に、酸で溶かされた金属のような穴がぽっかりと空いていた。

 無意識の領域に沈められた情報と共に、サダクの存在も持っていかれたのだ。

 どうやら、鹿谷慧が忘れ去ろうとしている膨大な苦痛の記憶に、サダクの存在も紐づけられてしまっているようだ。


 サダクのことを憶えている限り、慧はつらい記憶を忘れることができないのだろう。

 すでに、サダクの思念は半分以上が忘却の淀みに沈んでいた。彼女にしてみれば、下半身が沼に飲み込まれているイメージだった。

 そしてサダク自身、脚を動かす感覚はおろか自分に脚があったという記憶すら失いかけていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 女刑事と女子高生の組み合わせだから忌避感が出ないけど、(・Д・)これどっちかを♂にしたら生々しくて読んでて困ったと思うオッさんメンタルな読者でした♪ [気になる点] 依代に細工を施しそれを…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ