第130話 雄 ―チヨダ イクロウ1― ◇千代田育郎の制裁その4
佐藤晶のことは、あのようなことになる前から気にかけてはいた。
彼女の顔立ちはやや癖が強く、好みが分かれるところだろう。
細い顎に通った鼻筋。時折、フレームレスの眼鏡をかけて読書をする姿は、まさに『できる女』だった。
だが一方で、シャープな顔立ちの割に小さな目と、何より女子にしては太い眉が彼女の印象を非常に田舎っぽいものにしていた。
しかし、千代田育郎は彼女のそんなところも気に入っていた。
(母さんとは違うタイプの女だ)
強気で行動的な顔と、純朴で世話好きな顔。そのギャップが魅力的な少女だった。
(容姿は合格だ)
むしろ、育郎の後継者に彼以上の華やかさは必要ない。千代田家は統治者の家系であり、芸能人を生みたいわけではないのだ。
日本人は過度な華やかさには不信感を抱くことが多い。
そして能力。その点については佐藤晶は申し分ない資質の持ち主だった。
育郎と共に2年A組の学級委員を務め、リーダーシップだけなら育郎以上とも言われている。
成績は常に上位。
教師からの覚えもよい、まさに優等生だった。
(俺の子を産む女としては申し分ない)
ただ、唯一の欠点は、彼女が処女ではないということだった。
彼女はクラス1のイケメンである、蒲生一真と付き合っていた。
もっとも、晶は蒲生の容姿に惹かれたのではなく、その容姿を持て余してあちこちでトラブルに巻き込まれる彼の危うさを放っておけなかったらしい。
それはともかく、育郎は蒲生たちが聞くに堪えないゲスな話に花を咲かせる様をいつも腹立たしく見つめていた。
(よくも、俺の嫁候補を……)
千代田育郎にとって、生涯の『妻』は実母青華である。だが、それはあくまでプライベートの恋愛の話だ。
彼の人生設計では、対外的にきちんとした正妻を娶り、その子を嫡子として育てるつもりだった。
その意味では、佐藤晶は育郎にとって有力な嫁候補だった。
(色々あったが、やはり君は俺の子を産む運命だったんだ)
電柱の影に身を潜めながら、育郎の目は佐藤晶の後ろ姿に――長い入院生活で大きく肉を落としながらも、なお張りのある形を保つ腰回りに――熱い視線を注いでいた。
育郎自身は気付いていないが、『全てを持っている男』を自称するこの少年は『手放す』ことを極端に嫌う強い執着心を持っていた。
彼が、母であり最大の想い人だった青華をあっさりと捨て去ったのは、むしろその裏返しである。彼が女性に見る最大の価値は『容姿』であり、容姿を崩した者に価値はない。
逆に言えば、容姿さえ彼の基準を保っていれば、相手が人妻であろうと子持ちであろうと彼はその女性に執着し続ける。
事実、佐藤晶が和久井春人率いる不良たちによって暴行を受け、薬物漬けにされてしまった後も、密かに性病と妊娠能力を検査させるほど彼女を気に掛けていた。
(やはり、俺は選ばれている。晶が子を産む能力を失わなかったのは、俺の子を産む運命にあったからだ)
彼は観察を続けた。
晶の手を引く少年、和久井の次男坊。そして彼らの肩を抱くようにして守ろうとする刑事。
育郎は気付いていた。
彼ら男たちの手が晶の身体に触れるたび、彼女の身体にかすかな震えが走ることに。
(あんな目に遭ったんだ。男が怖くなっても無理はない)
だが、その恐怖心はすぐに克服されるだろう。
(優秀な男に抱かれれば、すぐに悦びに目覚めるさ)
その救世主の名は、もちろん千代田育郎である。
(待つんだ。辛抱強く……)
女性が1人になる瞬間は意外に多い。いくら騎士たちが彼女の周囲を固めたとしても、いや、彼らが騎士だからこそ、避けられない瞬間がある。
(トイレだ。トイレでやる)
口の端からじゅるりとよだれが垂れたその時だった。
コツ、コツ、コツ……。
背後から、あの足音が聞こえてきた。
(クソ!)
絶望を運ぶ死神の足音。育郎は目を閉じ、全身を耳にするように神経を集中させる。
コツ、コツ、コツ……。
(まだ遠い)
少しでも気を散らせたら、町の喧騒に飲み込まれてしまうのではないかと思えるほどに足音は小さい。
だが、そんな遥か彼方から、育郎の全身を凍えさせる冷たい風が吹き込んでくるような気がしてならない。
奥歯がガチガチと鳴り、脚が震え出すのを止められない。
育郎は決断を迫られていた。
晶の身体を諦め、今はサダクから逃げることを優先するべきか。
サダクとの距離に注意を払いつつ、晶を見張り続けるか。
(いや、ここは命あっての物種だ)
ここで自己保身を最優先させたのは、果たして母譲りの賢明さか、父譲りの臆病さか。
育郎は逃げる前に、もう一目だけ自分の子供を孕み損ね、男性に怯え続けることになるであろう哀れな女を見てやろうと、電柱から顔を出そうとした。
「……」
「……」
ふと、気配を感じた。
それも自分のすぐそばに。
「……」
「……」
育郎の顔のすぐ下に、黒い艶やかな髪がある。
育郎と電柱の間にすっぽりと収まる細い身体。彼と一緒になって電柱の影から顔を出している少女。
「姉……原……」
喉の奥からあえぐように絞り出される枯れた声。
意識を集中するために目を閉じたのは失敗だった。だが、彼には後ろを振り返る勇気がなかったのだ。
(でもなぜだ? 足音は、ずっと遠くだったはずなのに)
「……」
サダクは育郎を見上げると、手に持った革靴を掲げてぺろっと舌を出して見せる。
彼女は裸足だった。
「じゃあ、あの足音は……?」
「……?」
さぁ? と小首を傾げるサダク。
(俺はずっと、全く関係のないどこかの誰かの足音に怯えていたというのか!?)
真っ黒な瞳が育郎を見上げている。
「ま、待て、待ってくれ姉原さん……。お、俺は、やらなきゃいけないことが――」
その瞬間、激痛が育郎の身体を貫いた。
「ウギィィィーーーッッッ!!!」
食いしばった歯の間から、泡立つ唾液と共に悲痛な悲鳴が漏れる。
「や……め……てェェェ……」
サダクの細い指が、育郎の股間に深く食い込んでいた。
「それ……だけ……はァァァ――ッ!」
髪の毛が逆立ち、顔中の穴という穴から分泌物が滝のようにあふれ出す。
睾丸をじわじわと握り潰される、男として最大級の苦痛に悶える少年の姿は、電柱の影に隠れて誰にも顧みられることはなかった。
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