第128話 餓鬼 ―レギオン― ◇千代田育郎の制裁その3
百段階段の最上段に腰掛ける姉原サダクは、組んだ脚の上に肘をつき、頬杖をついていた。
その姿は、今どきの気だるげな女子高生のようでもあり、穏やかに現世を見つめる弥勒菩薩のようでもあった。
「やめろ! やめろやめろやめろォォォーーーッ!!!」
もっとも、見つめられる方は穏やかどころではなかったが。
「人殺し……人殺し……人殺し……」
焦点の合わない目で、同じ言葉を延々と垂れ流す餓鬼を思わせる人間たち。
時折体に激痛が走るのか、しゃっくりのような悲鳴を上げながら激しいひきつけを起こす。
彼らはサダクの足元に千代田育郎の身体を放り投げると、媚びた微笑みをサダクに向けて跪いた。
「お前ら……」
育郎は呻いた。
首を垂れ、媚態をさらす民衆。
それは本来、育郎の物であってしかるべきだった。
それがどうして姉原サダクを崇め奉り、育郎のことは人殺し呼ばわりでまるで供物のような扱いをするのか。
「姉原さん……君は、彼らに何をしたんだ?」
「……」
相変わらず、サダクは答えることなく小首を傾げる。
そして足元にかしずく者たちに向けて何かを次々に放り投げた。
木の枝、石ころ、朽ちた木材、コンクリート片、そして、育郎手製のブラックジャック。
そのすべてに赤黒い血液が付着している。彼らが妹尾真実に対して振るった凶器の数々だった。
「う……あ……あ……」
凶器を拾う者たち。彼らの虚ろな目が、一斉に育郎を見た。
「待て……、ちょ、待てって……」
育郎は慌てて手を振った。
「君たちも分かるだろ? 姉原サダクはテロリスト……いや、それどころか人間ですらない化け物だ。戦うべき相手を見失っぢゃいげない!」
いつもの弁舌を披露しようとする育郎。だが、他の誰でもない、彼自身が違和感に気付いていた。
(声が枯れてる?)
悲鳴を上げ過ぎた。大声で叫び過ぎたのだ。
彼の言葉にカリスマ性を付与する、声の張りが失われていた。
「待で……僕の言葉を聞いでぐれ……。僕は……僕は……ごの町の未来のだめに……」
ぺち、とサダクが指を鳴らした。
「……」
鳴った音が不満だったのか、眉をひそめて指先を見つめるが、とにもかくにもほどなく効果は現れた。
「「「アガ! ガ・・・ガ・・・ガ・・・ッッッ!!!」」」
一斉に白目をむき、泡を吹いて痙攣し始める町民たち。
「頭! 頭ァァァ!!!」
「痛い! 痛い! 痛いィィッ!!」
「何でもします! 何でもしますから! この痛みを! 痛みをッ!!」
サダクは微笑みを崩さないまま、ちらりと育郎を見る。
その瞬間、人々の目はまるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように育郎に視線を向けた。
「待で! 僕の話を聞いでげれ! 冷静に考えるんだ! 我々が立ぢ向がうべぎ相手は――」
「うるせぇ!」
何者かが投げつけたコンクリート片が育郎の顔面にぶち当たった。
「こここの! いい痛みから! 解放されんなら何でもいいんだよォォォッ!!」
「ぶげェェェッ!!」
鼻血の螺旋を描きながら回転する育郎。
「ごの愚民共がァァァーーーッ!!!」
育郎の濁声もまた回転する。
「誰がアンタみたいな不細工の言葉なんか!」
誰かが振り下ろした木材が育郎の脳天を直撃する。
(ブスだと!? この俺が!?)
腫れ上がった頬骨、折れた鼻、失われた前歯。
なまじ元が整っていただけに、その歪みがもたらす生理的な嫌悪感もまた強烈だった。
父譲りの美貌が失われていたことに気付いていなかったのは、その持ち主だけだったのだ。
「お前のせいだ! お前のせいで俺たちはこんな苦しみを!」
「どうしてくれる!?」
「責任を取れ!」
無数の殴打に、育郎は体を丸めて耐えながら必死に叫ぶ。
「バカ! やめろ! バカヤロウ! 俺の話を! 話を!」
言葉巧みに民衆の心理を操り、扇動してきた千代田の者たち。
だが、長い年月の中で彼らは見落としていた。
代々にわたって手懐け、思考力を奪ってきた町民。自分の頭で考えることを鈍らせてきた彼らが、百の言葉よりも、幾千幾万の目先の利益よりも、たった1発の鞭を恐れる可能性を。
猿と見下してきた愚民たちが、自立した人間性を摩耗させて本当の猿に成り下がっていた可能性を。
ぺち、とサダクの指が鳴る。
「「「あ゛ァァァァァァァーーーーーッッッ!!!」」」
悲鳴を上げる人々は、苦痛を与えるサダクにではなく、育郎に怒りの目を向ける。
人は勝てそうにない相手よりも、確実に勝てる相手を敵として認識する。
「あ、あ、あ、あ、あ……」
蹴りと踏みつけの豪雨が育郎を襲った。
「やめろォォォーーーッッッ!」
集団暴力の奔流に圧され、育郎の丸まった体が階段を転がり落ちた。
「待て! 危なッ! タイム! タイムッ!」
だが、我先にと群がる人々は、サッカーのドリブルのように育郎の身体を蹴り続け、下段へ下段へと転がしていく。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーッ!!!」
切れる筋、折れる骨、全身の至るところが破損し、激痛を発していく。
「ぐは――ッ!」
百段階段を転がり落ちた育郎は、それでもまだ生きていた。
「あ、あ、あ……」
口内のあちこちを噛んでしまい、まともにしゃべることはおろか息をするのもままならない。
それでも彼は、四つん這いになりながらも逃げた。
(生きる! 俺は生き延びる!)
自分は選ばれた人間だ。
声も、顔も、金さえ積めば元に戻すことができる。
何よりもこの頭脳があれば、自分は何だってできるのだ!
(まずは金だ。それで俺の手足として動く人間を――)
その時、一瞬、育郎の思考が停止した。
(金?)
育郎はキャッシュレス派。現金はほとんど持っていない。
電子マネーを使うにはスマートフォンを操作しなければならない。
(この手でスマホを操作できるのか?)
階段から落ちたせいで、両手の指がそれぞれあらぬ方向にねじ曲がっていた。
いや、それ以前に、スマートフォンは無事なのか?
(大丈夫だ。こういう時の俺なら……)
激痛に耐えながら、何とかポケットから引きずり出したスマートフォンは……無事だった。
(ほらな。俺は『持ってる』男だからな)
だが、この複雑に骨折したひしゃげた手で普通にスマホを操作することは困難をきわめた。
仕方なく、育郎はスマホを地面に置き、自らは地面に這いつくばってスマホを操作し始める。
折れた指のではパネルをタッチするだけでも一苦労だ。
(クソ! なんて不便な道具なんだ!)
数字をあと1つタッチしてロックを解除しようとした、その時だった。
革靴が、スマホを軽く蹴とばした。
「なッ!?」
スマホは回転しながらアスファルトの上を滑っていく。
カッと頭に血が上る。
怒りに任せて顔を上げた育郎が見たのは――
光の無い、漆黒の瞳である。
「うわああああああァァァァァァァーーーーーッッッ!!!」
育郎の痛んだ声帯に、さらなる負担がかけられていく。
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