第125話 死神 ―ザ・デス―
炎を纏った告発状が舞い踊る夜の山中。オレンジ色の炎に照らされる罪人たちの顔を、姉原サダクの漆黒の瞳がひとつひとつ見つめていく。
「姉原サダク……」
そんな彼女に、銭丸は問わずにいられなかった。
「比奈ちゃんをどうしたんだ……?」
サダクは、指先をそっと自分の胸に這わせた。
「その身体、比奈ちゃんなのか? どうしてあの子を殺したんだ! 明君の死体を運ばされたからか? あの子に何ができたって言うんだ!? 抵抗なんかできるもんか! あの子は罪を黙認していたか!? していない! あの子はずっと自分の罪を見つめてきた! この町の罪を見つめてきた! それをこうやってあの子のできる精一杯の方法で訴えているじゃないか! 比奈ちゃんに選択は無かった! 他にどんな手段があったって言うんだよ!」
「……」
炎に照らされているせいだろうか。
サダクの微笑みに、少しだけ陰りが差したように思える。だが、それきりだった。
「君は、やはり怨霊……化け物なんだな……」
光の無い瞳。そこには一切の『人間味』も存在しない。
餌としての条件を満たした相手がたとえ生みの親だったとしても容赦なく捕食する昆虫のように、彼女の前ではどんな情状も意味を為さない。
骨の髄から凍り付くような恐怖が銭丸を襲った。
姉原サダクは死神、いや、死そのものだ。
人の形を得、ほんの少し指向性を持ってはいるが、その本質は変わらない。
平等。
絶対的平等。
妹尾明を害した者、加害者を擁護した者、黙認した者、すべての者に死を。
罪の軽重に意味はない。その事情に関係はない。彼らの心情に価値はない。
彼女の黒い瞳に、その鏡に、罪が映った時点でその人間の命は終わる。
「ッ!」
銭丸は側に立つ和久井終と佐藤晶の肩を抱くようにして走り出した。逃げ出した。
「振り返るな! 何が聞こえても、絶対にだ!」
振り返れば、そこには数多の死があるだろう。
それらを見捨てて逃げ出したという事実があるだろう。
(それは俺が背負う)
警察官でありながら、市民を見捨てて逃げ出した自分にこそ、その責がある。
未来のある若者には、彼らひとりひとりに背負うべき罪がある。仮に今は無くても、これから背負うことになるかもしれない。
自分の罪で精一杯な彼らに、大人の負債を背負わせるわけにはいかないのだ。
◇ ◇ ◇
「いい加減にそこをどけェ!」
サダクの座る畳を押しのけ、初老の男が立ち上がった。
「まったく失礼な! 名前と連絡先を言え! 治療費とクリーニング代を請求する!」
「姉原サダクと申します。住所不定の無職です。手持ちのお金は……」
スカートのポケットから小さな古いがま口を取り出す。
「わ、427円ですね」
「大人をバカにするな!」
「私の生きてた頃なら、半年はご飯に困らないんですけど……」
しみじみとつぶやくサダクに、男は肥え太った顔を真っ赤に高揚させる。
男の胸には、天秤の紋章にひまわりの花びらをあしらった金色のバッジが輝いている。
弁護士徽章。彼は和久井建設の顧問弁護士を務めていた。
「この小娘が! お前の家庭なんて簡単に――」
サダクは地面に落ちていた燃える画用紙を拾い上げると、炎などお構いなしにくしゃくしゃと丸め、わめき続ける男の口に突っ込んだ。
「おがああああッ!?」
火の玉を食わされた男は慌てて吐き出そうと身をかがめる。その瞬間、残り少ない頭髪を掴まれ、口に膝蹴りを叩き込まれた。
「おごェ!?」
一瞬気が遠くなり、地面に膝をつく。
だが、頭皮をはぎ取らんとする強さで握られる少女の手が気絶を許さなかった。
少女は穏やかに微笑みながら、男の目を覗き込む。
ぽとり、と。
どこからともなく、一匹の黒い蜘蛛が男の頬に落ちた。
「~~~ッ!!!」
燃える画用紙を突っ込まれた口から、ありったけの悲鳴を絞り出す。
うずらの卵のようにパンパンに張った腹をした蜘蛛の嫌悪感もさることながら、より恐ろしいのは、この蜘蛛からかすかにガソリンの臭いがすることだった。
何とか手で打ち払おうとするが、蜘蛛は皮膚に張り付いたように動かない。
「~~~ッ!!!」
パニックを起こした男の手が、勢い余って蜘蛛の腹をつぶした。
その刹那――
ぼん!
蜘蛛が爆発した。蜘蛛の腹には揮発したガソリンが詰まっており、それが画用紙の炎によって引火したのである。
「グゥヤアアアアァァァーーー!!」
顎を粉みじんに吹っ飛ばされた男は、地面に伏して悶絶する。
「請求書は地獄宛てでお願いします」
その言葉を最後に、サダクは冥府への坂道を滑り落ちる以外に選択の無くなった男への興味を失った。
「「「……」」」
呆然と立ち尽くす町民たち。
「この、テロリストがァーッ!」
そんな中、ブラックジャックを振りかざした男がサダクにとびかかる。
その血に酔っ払った両眼に向け、サダクはそのほっそりとした人差し指と中指を差し出した。
「ぬガァァァァァァ!」
両目を抉られた男が斜面を転がり落ちていく。
「誰かァ! 助けてくれ! 救急車! 救急車ァーッ!」
闇の奥から助けを求める男の声が聞こえてくる。だが、その声はしだいに――
「何だ!? 何だコレ!? わッ!? うわッ!? 来るな、来るなァ!」
切迫した悲鳴へと変わり、そして――
「ギャアアアアアーーーッッッ!!!」
断末魔の叫びとなった。
「痛い! 痛いィィィィッ! 悪かった! 俺が悪かった! 頼む! 許してくれ! 許し、許し、許し……」
徐々に弱まり、消えていく声。
「「「……」」」
静まり返る夜の雑木林。
風が運んでくるざわめきは、木々のこすれ合う音というより、無数の何かが群がり蠢いているおぞましい音のように感じるのは気のせいだろうか?
「違う……違うの……」
たまたまサダクに最も近い場所にいた女性が、必死に首を振っていた。
年齢も雰囲気も見るからに結婚後間もない風情の若い女性である。
「私はただ、家族を守りたくて……、こんなこと本当はしたくなくて……、そう! 元はと言えば千代田の! あいつが私たちを――」
その時、人々は気付いた。
千代田育郎の姿がない。
「あのヤロウ……!」
「逃げやがったんだ!」
うろたえる人々に向かって、サダクは微笑みながら近づいていく。腰が抜けてしまったのか、女性はぺたんと座り込んだまま動けない。
「待って……、待って! 悪いのはアイツなの! 私たちはただアイツの口車に乗せられて! 待って! 子供が! まだ幼い子供が――あ゛あ゛あ゛ァァーーーッッッ!!!」
鼻の孔に人差し指と中指を突っ込まれ、そのまま地面を引きずられる。
「やべでェェェェ! ブスになるぅぅぅぅ! 豚の芸をさせられるぅぅぅぅ!」
まるで実際の光景を見たかのように想像力をはたらかせる若妻を、サダクはその細身からは想像もできない力で振り回した。
2本の指が女性の鼻を突き破り、鼻の穴は4つになった。
女性は木の幹に背中を強打し、ぼとりと地面に落ちた。
「い、痛い……、動けないィ……、誰か……、誰……か……」
背骨が砕けたのか、上半身と下半身があらぬ方向にねじれている。
弱々しく伸ばした手を掴もうとする者は誰もいない。かつて自分が誰にもそうしなかったように。
「うわあああッ!!」
「嫌ぁあああーーッ!!」
散り散りに逃げ出す人々。
サダクはあえて彼らを追おうとはせず、スカートを翻して山を下り始めた。
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