第123話 意思 ―ウィル―
「そろそろ行こう」
銭丸の言葉に、まともに反応したのは洞穴の隅にうずくまる和久井終だけだった。
「大丈夫かよ」
正直自信はない。
夜はすっかり更けている。頼れるのは、視覚以外の頼りにならない感覚のみ。
(でも、暗闇なのは向こうも同じだ)
だが、外からは自分たちを探す者たちの足音1つ聞こえてこない。
(人の気配は感じない)
脱出するなら、今だ。今しかない。今を逃してはならない!
「行くぞ!」
銭丸は銃を構えて外に出た。後ろに車いすを押す和久井終と、現世と浮世の狭間をふわふわと漂う妹尾真実が続く。
その時だった。
何かが銭丸の足に絡みついた。
「なッ!?」
手からこぼれ落ちた拳銃を拾う、傷1つない彫刻のようにきれいな手。
「こんな心理テストを知っていますか?」
地を這う銭丸を見下ろす、冷たい双眸。闇夜の中でもはっきりと見える、歪んだ口から垣間見える真っ白な歯。
「あなたは強盗です。とある家に押し入ったあなたは、子供がクローゼットに隠れるところを見ました。あなたはどうする?」
「……知ってるよ。ネットによくあるサイコパス診断だろ?」
サイコパス的な解答は、「子供が出て来るまでクローゼットの前で待つ」だ。
「この防空壕のことは俺も知ってましたよ。当然ですよね。千代田家は、俺は、この町のことなら何でも知ってるんだ。アンタたちはずっと俺の手の平の上で踊っていただけなんだよ」
「いちいち言われなくてもわかってるよ。黙って銃を突きつけるだけならスタイリッシュだったのに」
千代田育郎は、ふんと鼻を鳴らすと這いつくばる銭丸の頭を踏みつける。
彼の背後には、自分の頭で思考することを放棄した町民たちが育郎の言葉を待っていた。理性が後退した分、本能が前面に出ているのだろう。彼らの目は真っ赤に血走り、ギラギラとした光を放っている。
「後は皆さんにお任せします」
傀儡の群れに、彼は告げる。
「この町の住む皆さんと家族たちの未来のために、俺に力を貸してください」
その言葉は、彼らに選択を委ねているように見えるが実態は違う。
口当たりのいい言葉に飾られてはいるが、結局のところは意に背くものは町の敵であると匂わせて逃げ道を奪い、罪悪感を極限まで薄め、彼らの将来を保証する――ように見せている。
どこまでも虚構。
結果にこそすべての価値を置く男が吐きだす言語の幻。
何のために? 誰のために? 多くの人は理由に価値を求めてしまう。
正義のために。愛する家族のために。
それこそ、捕食者の格好の餌だと言うのに。
「やめろ! みんなやめろ!」
銭丸は叫んだ。
「あんたら、自分が何をしようとしているのか、解かっているのか!?」
「黙れ!」
「テロリストを匿った悪徳刑事!」
「俺たちには守るものがあるんだよ!」
扇動され、おぼろな怒りに猛り狂った者たちが妹尾真実に殺到した。
「「やめろォ!」」
叫んだのは、地べたに這いつくばる銭丸と、真実の前に両手を広げた終だった。
「これ以上、母さんをいじめんな!」
咄嗟に叫んでしまった言葉。少年の顔がバラのように紅く染まったのは怒りのせいだけではないだろう。
だが――
「うるせぇクソガキ!」
中年の男が激昂した。
「ひッ!」
振り上げられた拳。怒鳴り散らす男の濁声。
物心がついたころから膨大な恐怖の記憶が一気によみがえり、少年の華奢な身体に押し寄せる。
「ッッッ!!!」
だが、終は溢れ出る悲鳴を噛み殺し、ガクガクと震える足を必死に踏ん張った。
バキッ、と。
固い音が闇夜に響く。
「お……あ……?」
だが、仰向けに倒れたのは、和久井終ではなかった。
白目を剥いて倒れる中年男性。そのそばには、横倒しになった車いすが車輪を回転させていた。
「わたし……やっぱり……だまってら……れ……ない……」
そこには、伸び放題の髪を夜風に靡かせる少女がいた。
「佐藤晶……?」
暴行と薬物により廃人となっていた佐藤晶が、立ち上がっていた。
(立つだけでじゅうぶんなのに、車いす投げるかな普通?)
思わず心で突っ込みを入れてしまう銭丸。
彼女と直接話をしたことはないが、『いじめ』という言葉に反応して覚醒し、いきなり行動するあたり彼女らしいという気がした。
「……」
だが、何カ月も病床にいた彼女がまともに立てるはずもなく、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「晶さん!」
その身体を、すかさず終が抱き留めた。
「だれ……?」
「ごめんなさい……。兄貴が、ごめんなさい……」
晶は何を言われているのか解らないとかすかに眉をひそめながら、親指で終の頬を流れる涙をそっと拭いた。
「やりやがったな……」
「テロリスト……」
「私たちの家を……生活を……」
一方で、少年少女の周囲には怒りのボルテージを上げていく人々がいた。
町の平和を脅かす者を排除せよ。
穏やかな生活を壊した者へ刑罰を。
――というのは建前だ。
彼らはただ、憂さ晴らし相手に盾突かれたのが気に入らなかった。
自分たちの行動を面と向かっていじめと断じられたのが気に入らなかった。
身を挺して他人を守ろうとし、強い意志で立ち上がった自分たちよりも若い者たちが気に入らなかった。
要は、ただ引っ込みがつかなくなっていた。
「この町のために……」
「家族の生活のために……」
「テロリストを許さない……」
ここには、自分たち以外誰もいない。
指導者である千代田育郎のお墨付き(らしきもの)も得た。
ならばもう迷うことはない。
彼らは安心して、敵を許さない。
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