第120話 懺悔 ―クスノキ ヒナ1―
銭丸たちがたどり着いたのは、山の中腹にある洞穴だった。
「防空壕?」
実際の防空壕がどういうものかは知らないが、内部は幅1.5メートル、深さ3メートルほどの狭い空間だ。
林の中に隠れるように存在する入口には簡易ではあるが扉があり、内部の壁は人工的に削られたと思われ、ところどころが木材で補強されている。
照明は電池のランプが1つだけ。天井をわたる木材から垂れ下がっている。
「ここなら、そう簡単には見つからないだろ?」
得意げに胸を張る和久井終。
「よく知ってたね、こんなの」
「……」
銭丸の問いに、終は一転してしょんぼりと項垂れた。
「慧姉ちゃんに、その、教えてもらった……」
その歯切れの悪さから思うに、おそらくここはもともと慧の遊び場というか、いじめられっ子である彼女の避難場所のようなものだったのだろう。
それを終がかぎつけ、奪い取ったのではないだろうか。
「あまり長居はできないな。出入口はここだけか?」
入口が1つだとしたら問題だ。見つかったら最後、袋小路に追い詰められることになる。
「いや、奥に通気口が……」
言いかけて、終は口惜し気に顔を歪めた。
「ダメじゃん」
車いすに座る佐藤晶を見やる。
「……ごめん」
ますます項垂れる終。
銭丸は慌てて首を振った。
「いや、いい。走っててもどうせ追いつかれたんだ。ファインプレーだよ終君」
終の顔は晴れないまま、洞穴の奥に膝を抱えて座り込む。
その姿が妙に様になっていた。
「俺が外を見張る。追っ手をやり過ごしたらすぐにここを出て山を下ろう」
銭丸は何となくいたたまれなくなり、努めて明るい声で言った。
ネクタイをほどき、シャツに風を入れながら入口の扉に向かう。
「あのー……」
そんな銭丸に、妹尾真実がのほほんと声をかけてきた。
「これ、よかったら……」
差し出されたのはコーヒー牛乳の瓶だった。
「あ、どうも」
走りっぱなしの体が水分を欲していた。瓶に口をつけたとたん、銭丸の意思とは関係なく一気に飲み干してしまう。
(やべ……)
激しい後悔に襲われ、銭丸は恐る恐る終を見た。大人の男なら、ここは一緒に走っていた終を気遣うところではなかったか。
「あなたもどうぞ」
だが、幸いコーヒー牛乳はもう1本あったようだ。
「……いい。おばさん飲めよ」
少年は力なく首を振る。だが、その目は何よりも雄弁にコーヒー牛乳への未練を物語っていた。
「じゃあ、おばさんと半分こしよっか」
「いい。汚ぇだろ」
銭丸の背中にひやりとしたものが走る。
「俺、俺は……」
感情を抑えられなくなったのか、グスグスとしゃくり上げ始める終。
どうやら、終に悪気はなく『汚い』とは自分自身を指して言っているらしかった。
実際、終の鼻からは垂れた鼻血があごの先までべっとりとこびりつき、黒く固まっていた。
そんな終の顔を、真実は自分の服の袖で優しく拭いてやる。
「だから、汚ぇって……」
口では拒絶しながら、終の体は吸い込まれるように真実の胸元に縋り付いてた。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……。俺、俺……何にもできねえ……。俺なんか、俺なんかさ……」
「そんな事言っちゃダメ」
真実はそんな終の頭を抱き、指で柔らかい髪を梳くように撫でてやる。
「ごめんね。こんなお母さんのところに産んじゃって……」
「? 何の話だよ?」
「あら、おばさん何か言った?」
「よくわかんねぇけど、そんな事言うなよ……」
今度こそ本当にいたたまれなくなり、銭丸は入口の扉を細く開けて外の見張りに専念することにした。
(待て……)
ふと、違和感に気づく。
(コーヒー牛乳?)
彼女を病院から連れ出す時は持っていなかった。では彼女はいつこれを手に入れたのか?
その時だった。
銭丸のポケットの中で、スマートフォンがかすかに震えた。
ツイッターでフォローしているアカウントが、新しいつぶやきが投稿したことを通知するメッセージ。
(佐藤晶……?)
いや、今は実質このアカウントを使っているのは、楠比奈である。
◇ ◇ ◇
暗闇を溜め込んだような土蔵の中。内部をただよう埃を照らすのは、薄汚れた小さな天窓から射し込む、病的に白い月明かりだけだった。
そんな部屋の片隅に置かれていた大きな木箱がガタガタと揺れた。
「……」
ゴトリと落ちる蓋。箱の中から、ぴょこんと顔を出したのは、長い前髪で目元を覆ったカリカリに痩せた少女だった。
「ッ――!」
辺りを見回した少女は、喉の奥に空気が引っかかったような、小さな悲鳴をあげた。
少女の目の前には、細長い手足を無造作に投げ出し、壊れた人形のように座り込む姉原サダクがいたのだ。
少女はサダクのもとに駆け寄る。
相も変わらず穏やかな微笑みを浮かべるサダクだが、その両目はぐちゃぐちゃに潰されており、顔の上半分に赤黒い血と生肉の煮凝りを塗りたくられているように見えた。
「……」
少女は長い前髪をかき上げ、恐る恐るサダクの顔を覗き込む。
無数の筋線維がイトミミズのように蠢き、無惨な肉の残骸が徐々に元の美しい顔を取り戻そうとしていた。
「こんにちわ」
「!?」
突然話しかけられ、比奈は文字通り飛び上がって尻もちをついた。
「驚かせてごめんなさい。たしか、楠さん?」
まだ皮膚が再生しきっていない、赤いまぶたが突然開き、ぎょろりと動く眼球が比奈の目を捉えた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
サダクちゃん再起動まであと少しですのでお付き合いいただけると幸いです。
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今後ともよろしくお願いいたします。




