第119話 遊戯 ―ゲーム―
強大な敵に立ち向かうヒーローは人々の共感を呼ぶ。
しかし、自分が実際にヒーローの立場に立った時、死の恐怖がリアルな痛みとなって襲い掛かって来る状況で、人は強大な敵を望むだろうか?
否である。
死や破滅を賭けた勝負に挑める勇気(もしくは蛮勇)を持っている人間はごく少数であり、勝算の低い戦いに挑む者に至ってはもはやある種の狂人と言っていいだろう。
多くの人は生きるか死ぬかの真剣勝負など望まない。彼らが『敵』と認識するのは、『安全』と『勝利』が担保されている相手だけなのだ。
今、サンハラ神社に避難してきた日和見町の者たちの前には2つの選択肢があった。
彼らの前にいる2人の人間。そのどちらを敵とするか。
1人は、千代田育郎。
今回の騒動の原因とされる妹尾明の死に直接関与したと思われる少年。
他の生徒たちと共に妹尾明にサッカーボールを当てる遊びをする中で、育郎の蹴ったボールが明の頭を直撃した。
さらに言えば、妹尾明がいじめられる原因を作ったのは育郎の母、千代田青華であるのはいわば公然の秘密だった。
――だが、千代田育郎はこの日和見町を歴史的に支配する千代田家の嫡男である。
現当主である千代田純太郎とその妻青華は暴徒化した町民によって殺されてしまった(らしい)が、それでもなお人々は千代田の威光を恐れていた。
彼らは、千代田家の終焉に自信を持てないでいた。
なぜなら、これは指導者に率いられた革命ではないからだ。
町長の死が自分たちの未来をどう変えるのか、育郎が千代田家の力をどれほど受け継いでいるのか、先の読めない未来が恐怖となって彼らを縛り付けていた。
千代田育郎を敵に回して、果たして勝てるのだろうか?
一方、もう1人を敵対視するのは簡単だった。
妹尾真実。
「彼女こそ、この悲劇の元凶です! 彼女は明君の事故死を俺たちのせいにしたかった。この町に対する長年の逆恨みも相まって、この女は姉原サダクという頭のおかしいテロリストを雇ったんだ!」
育郎の耳ざわりの良い朗々とした声と、耳ざわりの良い安易な言葉が混乱する人々の心を一つの流れへとまとめてゆく。
「そうか……、俺たちは逆恨みでこんな目に……」
「テロリストだなんて……許せない……」
怒りの視線が妹尾真実の身体に集中していく。
視線に込められた感情は一見義憤に見えるが、実態は違う。
――悪いのは自分ではない。
――彼女なら敵に回しても恐くない。
――他の者たちも、彼女にだったら攻撃するだろう。
道理も因果も関係ない。
悪とは、敵とは、『安心して勝てる相手』を指すのである。
「そして彼女とテロリストをつないだのが和久井家だ! 和久井家はどさくさに紛れて自分たちの言うことを聞かない者たちをこの町から排除し、日和見町を支配するつもりだったんだ!」
「なんてことだ……」
視線の流れが和久井家の次男、終へと向かう。
「嘘だ!」
少年は叫ぶが、それは人々の感情を逆なでするだけだった。
「和久井家には昔から泣かされてきた」
「俺たちだって、好きで従ってきたわけじゃない……」
「和久井家との関係を切るのは今しかないんじゃないか……?」
この時も、彼らの怒りの根底にあるのは和久井家の横暴に対する怒りではなく、千代田育郎が明確に和久井家を悪と断じたことへの安心感である。
さらには、育郎が完成した肉体美を誇るスポーツマンであるのに対し、彼らの前にいる和久井終は小柄で痩せぎみの少年であることが大きい。
結局のところ、人間も所詮は目線の高い者に恐れをなしてしまう動物なのだ。
◇ ◇ ◇
「あいつらを捕まえるんだ! 逃がしてしまったら、また犠牲が出てしまう!」
育郎は決して『殺せ』とは言わないだろう。
だが、彼の言葉は巧みに人々を駆り立てていた。
やらなければ、こちらがやられる。
「まずいな……」
銭丸保孝は、背中を冷たい炎に焼かれるような焦りを感じた。
今、目の前にいる町民はざっと20人ほどだが、1人、また1人と数は増えている。
彼らの中に1人でもブレーキのかけ方を間違えた者がいたら、恐ろしく凄惨な結末を招くのは明らかだった。
「待ってくれ!」
それが正しい選択なのかわからないまま、銭丸は拳銃を人々に向けた。
「聞いてくれ! 姉原サダクを呼んだのは真実さんじゃない!」
育郎が鼻で嗤ったのがわかった。
「銃だ!」
「テロリストの仲間か!?」
(まずった……)
脚が震える。自分は今、取り返しのつかないことをしているのではないかという恐怖が銭丸の心を凍らせる。
だが、ここに及んで銃を下ろすことはもうできなかった。
銃口を下ろすことが、人々の襲撃を誘発する引き金になりかねない。
「話を聞いてくれ! 姉原サダクは千代田君を狙っている! 彼女にとっては彼に味方する者も同罪だ!」
「聞いたかみんな! それこそまさにテロリストの思考! 今、ここですべての禍根を絶たなければ!」
「真実さんは関係ないんだ!」
「そんなこと、信じられるものか! 人に銃を向けて話す者の言葉なんて!」
育郎が両手を広げて銭丸と町民の間に立った。
「さあ撃てよ。俺は暴力なんて恐れない。この町の未来を守るのは千代田に課せられた使命だから」
人々の興奮が否応なしに昂っていくのがわかる。
だが、育郎の背中を見ている彼らにはわからないだろう。彼らの指導者が、どれだけ醜い笑顔を浮かべているのかを。
その邪悪な笑顔はこう語っている。
――民衆が求めているのは真実ではない。自分たちの心を楽にしてくれる『解答』なのだ、と。
彼らは育郎の言葉を信じたいのだ。
彼らはすでに知っているから。
妹尾真実は、戦えば勝てる相手であると。
妹尾真実が消えれば、自分たちが長年抱いていた罪悪感らしき後ろめたさをなかったことにできると。
皮肉だった。
こんな人間の心理を捕食して生きているような存在と、それを熱烈に支持し、自分たちが捕食されていることにも気付かない者たちを守るために、彼はその拳銃に込められていた弾丸をすべて姉原サダクに向けて無駄撃ちしているのだ。
(俺の人生、何なんだろうな)
こみ上げてくる自嘲。
(いや、まだ早い)
だが、その笑いを銭丸は土壇場で噛み殺した。
彼の背後にも、守りたい人たちがいる。
自分の弱さに立ち向かおうとする少年が。
全てを奪われ、諦めてしまった女性が。
人間の欲望の闇に沈められ、それでも生きていかなければならない少女が。
「走れ!」
「え――?」
躊躇する少年の華奢な背中を、女性たちに向けて突き飛ばすように押し出す。
「逃げるんだ!」
弾のない拳銃で町民を威嚇しながら、銭丸は叫ぶ。
「ッ!」
晶の座る車いすを体当たりするような勢いで押していく終。状況を理解しているのかいないのか、真実は終の背中を背後霊のようにふわふわと追いかけていく。
(無理だ。逃げ切れない)
だが、走らないという選択肢はない。
演じなければならない。
この銃には弾が入っていると。こちらにも、いつでも殺せる準備があると。
これは遊びではない。
互いの命を賭けた真剣勝負なのだと。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ここ数話、千代田育郎のアレな人生哲学講座が続いてしまっていますが、
サダクちゃん再起動まであと少しですのでお付き合いいただけると幸いです。
続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




