第113話 集結 ―デスティネーション―
薄暗い部屋の片隅、陰が吹き溜まったような暗い一角に、鹿谷慧はその長身を折りたたむようにして座り込んでいた。
己の肩を強く抱きしめ、体の震えをなんとか抑え込もうとする。
「うっ……ひ……ぃッ……」
激しく震える歯が、カチカチとカスタネットのような音をたて、合間から抑えきれない悲鳴が漏れていた。
「やめて……、もうやめて、姉原さん……」
慧の敏感過ぎる肌が、空気の波動を否応なしに読み取ってゆく。
「あぁ……また……」
また、1人死んだ。
まだ生きたいと願う切実な想い。
なぜ自分が? どうしてこんなことに? という疑問。
想像を絶する苦痛、もう2度と元の生活には戻れないと悟った絶望。
――もういっそ、楽にしてほしい――
「嫌……嫌ァ……」
身体が受信する、誰かの死の瞬間。
死にゆく者たちの悲鳴が、足掻きが、空気を震わせ慧の肌をなぶる。
頭を血が出るほど掻きむしる。
もう、こんなものは感じたくない。
自分もいっそ、酸の海にでも飛び込んでしまえたら。
この忌々しい皮膚を全部剥がしてしまえたら、どんなにせいせいするだろう。
「ごめんなさい……、妹尾君、ごめんなさい……」
謝罪の言葉を念仏のようにつぶやき続ける慧の身体に、ひと際濃い影が覆いかぶさった。
「慧」
慧の身体がビクリと跳ねる。
「朔夜様?」
「あと何人?」
慧はふるふると首を振った。
もう、この場所――日和見高校に生者はひとりもいない。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
手を掴まれ、強い力で引っ張り上げられる。
「あ――」
そのままの勢いで、慧の大きな体が抱き留められた。
「よく頑張ったね。でも、もうすぐ終わるから」
「朔夜様……、私、それでいいんでしょうか? 許されていいんでしょうか?」
慧の額に、朔夜の額がそっと当たった。
「それは慧次第。姉原サダクを鎮めることができれば、きっと」
「彼の魂は救われますか?」
「ええ、もちろん」
朔夜の自信に満ちた声に、慧はようやく安心したように全身の力を抜き、束の間の眠りに落ちていった。
「帰りましょう、貴女の家に」
◇ ◇ ◇
町のあちこちで起きている原因不明の火事は、千代田育郎にとって好都合だった。
道行く人々の誰もが、うつむき加減で口をマスクやハンカチで覆っている。
顔を隠しても不自然ではないこの状況に自分は運がいいと感じる反面、この自分が顔を隠さなければならないことに不快感が募る。
(クソ、楠め……)
妹尾明がいじめられる様子を詳細に描写したあの漫画。SNSに投稿されたあの画像がこの町の者たちにどれだけ浸透しているかは不明だが、今はうかつに自分が千代田であるとバレるわけにはいかなかった。
(この俺がコソコソと……)
育郎の目指す先は、裏山にある忘れられた神社――サンハラ神社である。
町中で火の手が上がっている今、裏山も安全とは言い難いのは確かだ。だが、彼にはある目算があった。
(あの神社には蔵がある)
神社を切り盛りする鹿谷家も、かつてはこの町の冠婚葬祭を取り仕切る名家の一角だった。長引く不況で催事を盛大に行う機会が大きく減ったことと、この町に新興宗教が流入したために一気に没落してしまったが、育郎が幼い頃にはまだ千代田家と鹿谷家にはかろうじて交流があったのだ。
だから、育郎は知っていた。
御神体を保管するあの蔵は土蔵造りであり、耐火性に優れている上に堅牢な錠前も備わっている。思えば身を隠すのにこれ以上の場所はない。
食料の確保には失敗したが、赤貧とは言え鹿谷家にも多少の蓄えはあるだろう。
(それに、慧のやつもいるだろうしな)
神社のひとり娘。あの発育の良い身体にはずっと前から目をつけていた。
和久井家の次男坊に唾をつけられてさえいなければ、自分が保護してやろうと思っていたのに。
(だが、和久井ももう終わりだ)
当主が殺され、風の噂では屋敷も燃えてしまったという。和久井家にはもはやかつての力はない。
同じ土俵に立てさえすれば、和久井春人が相手であっても負ける気はしない。ましてや次男坊ごとき敵の数にも入らない。
あの押しの弱い慧のことだ。自分が少し強気に出てやれば、いくらでも言うことを聞かせられるだろう。むしろ、向こうから喜んで媚を売って来る可能性も高い。
育郎の脳内では、早くも暗い部屋の中で自分に弄ばれる慧の姿が思い描かれていた。
◇ ◇ ◇
シャッターが半分だけ下りたケーキ屋。色とりどりのショートケーキが並ぶショーケースを、姉原サダクは眉間にかすかな未練を刻んで眺めていた。
キョロキョロと左右を見回す。
町を包む黒煙はいよいよ濃さを増し、焦燥にかられる人々はぼーっと立ち尽くす細身の少女など気にも留めない。
サダクは意を決したように小さく顎を引くと、シャッターの下をくぐり、「いらっしゃいまーす……」とささやきながら店内に入っていった。
しばらくして、ショーケースの中から生クリームとフルーツに囲まれた大きなプリンアラモードが1つ消え、代わりに千円札が置かれた。
「……」
街路樹に寄りかかり、スイーツを楽しみながらサダクは光の無い瞳で道行く人々を眺めていた。
(神社……?)
町中に放たれた『子供たち』。
サダクと感覚を共有する蜘蛛や百足といった眷属たちが見聞きしたものを、サダクも同じく感じることができる。
気が付けば、無秩序だった人々の向かう先に、徐々に流れができつつあった。
どうやら、錯綜する情報の中に『神社が安全だ』という噂を意図して流している者がいるらしい。
「頑張ってるね、お姉ちゃん」
生クリームがついた桜色の唇に、普段の彼女とは趣の異なる悪意のある笑みが浮かんだ。
最後の楽しみにとっておいたサクランボを頬張ると、サダクは人の流れに身を任せるように歩き始めた。
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