第108話 祈り ―プレイヤー― ◇檀麗の大虐殺と制裁その3
教室は一面、天井にいたるまで血の紅に染め上げられていた。
荒れ狂った嵐の痕。静寂に支配されたその中心で、黒髪の少女は1人荒い息を吐いていた。
幾多の刃こぼれによって切れ味を失い、単なる鈍器と化した鉈が、からんと外見に似合わない軽い音を立てて床に落ちた。
「いるんだろ? 姉原……」
うっすらと笑みを浮かべる少女の呼び掛けに答えるように、床一面の死体の中から、人影が一筋の煙のようにゆらりと立ち上がった。
元が誰だったのかはどうでもいい。重要なのは、人影の手足がすらりと長く、口元に穏やかな微笑みが浮かび、そして瞳に一切の光が無いことだ。
「満足か?」
檀麗は無残に転がる死体に足をかけ、目の前の怪異に問うた。
「どいつもこいつも、惨めに泣き叫んで、みっともねぇ命乞いをしながら死んだ。なぁ、これで満足か?」
「……」
姉原サダクは微笑んだまま、少しだけ小首を傾げた。
ふと、光の無い瞳を窓の外に向ける。
いつの間にか、窓から見える空は紫色に暮れなずんでいた。
星々がぼんやりと瞬き始めた空の下、教室から見えるグラウンドの真ん中に篝火が焚かれていた。
「何だ、アレ?」
炎の周りに、数十人もの人々が集まっている。何事か騒めいているが、麗の耳には何を言っているのかはわからなかった。
「何でしょうね?」
そうつぶやくサダクの微笑に、ほんのわずかに陰りがよぎったが麗は気付かなかった。
「殺しに行くんだろ? 化け物」
麗は両手に先端を鋭く削られたモップの柄を握る。彼女を斃すには、視界の中にいる憑代となり得る存在を全て殺さなければ意味がない。
「……」
サダクは問いには答えず、窓枠に長い足をかけた。
「いいよ……。こうなったらとことん付き合ってやる。姉原、テメェは絶対ブチ殺す。あいつらも全員道連れだ……!」
空を裂く音と共に、2本の投擲槍と化したモップの柄がサダクの胸と喉を刺し貫く。サダクの身体は音も無く窓の外へ転落していった。
◇ ◇ ◇
姉原サダクは、校舎の3階から落下しながら空中で子猫のように身をよじると、ふわりと地面に着地した。
「……」
胸と喉に突き刺さった柄を引き抜くと、それらを両手に携えて熱狂する人々の群れへ向かって歩き出した。
「ちょっと、すみません」
たまたま側にいた男性の肩に触れながら声をかけると、その男性は「うわ!」と声を上げて尻もちをつき、手足をばたつかせてとサダクから距離を取ろうとした。
彼の声に触発され、周囲の者たちもサダクに気付いて慌てて道を開ける。
「……」
群れの中心で赤々と燃え盛る焚火の側には、折り重なって倒れる何人かの男女がいた。
彼らの全身には数の暴力による私刑の痕が見える。
妹尾明のいじめに加担したとされる不良グループや、突如インターネットに流れた謎の告発漫画に描かれていたサッカー部員、彼らの父母と見られる者たち。
「すんませんした……。マジ、マジ、すんませんした……」
人間の小山の中から、聞き取れるギリギリの音量で謝罪の言葉を垂れ流す男子生徒がいた。サダクがその金髪を引っ張り上げると、彼はニヤニヤと口を歪めた。
「姉原……」
「こんばんは、田所君」
「なぁ、もういいだろ……。俺、もう、じゅうぶん、償っ――」
その口に、モップの柄が突っ込まれた。
「おげ……げぉ……ぉ……」
うつぶせに倒れる少年。その瞬間、木の棒が後頭部を貫通した。彼がヒトから肉塊に変わるまでの数分間をどのような気持ちで過ごすのかは、もう誰にもわからない。
周囲の者たちが一斉に地面に手を突き、頭を下げた。
「ハハ、ハハハ……」
静まり返る人々の中から、痩せこけた猿を思わせる小柄な中年男性が現れた。
どこから引っ張り出したのか、黒い暗幕をマントのように小柄な体に巻き付けている。
「姉原さん……。どうですか、悪の芽は我々が摘みました。私はこの機会に、この町の腐敗を正し、いじめを根絶するために教師人生を捧げようと心に決めました。この場にいるみんなも同じ気持ちです。これからは良き教師、良き親として――」
「……」
その口にも、モップの柄が突っ込まれた。
「な……何……で……」
生徒の山の上に仰向けに倒れる黒マント。
篝火に照らされるサダクの微笑みと、なおも一片の光を宿さない黒い瞳を、人々は絶望の表情で見つめていた。
「じゃあ、どうすりゃいいの!?」
1人の中年女性が立ち上がった。
「どうすりゃ許してもらえるってのよ! こんなに謝ってるのに! これ以上何を失えって言うの!? お金? お金がほしいの!? いくらほしいの! どうすりゃいいのか言いなさいよこの化け物!」
両目を見開き、歯茎をむき出してがなり立てる女性を、サダクは穏やかな無感情で見つめていた。
「死ねよ」
答えは、いきり立つ女性の背後から聞こえた。
「もう遅いのさ。何もかも」
「な――」
振り返った女性の喉に、銀色に輝くナイフが突き立てられていた。
「こッ……おッ……」
切り裂かれた喉から大量の血を溢れさせながらのたうち回る女性。その顔を革靴が踏みつける。
「ヘレンもここあも、ひでぇ死に顔だった。お前らもひでぇ顔で死ねよ。でなきゃ不公平ってやつだろ」
にやりとサダクに笑いかける檀麗。だが、炎に照らされるその笑顔には、色濃い疲労の影が差し込んでいた。
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