第107話 鬼 ―オーガ― ◇檀麗の大虐殺と制裁その2
追う者たちは一転して追われる側へと回った。
「姉原ァ……」
どす黒い殺気を放ち、舌なめずりをしながら迫り来る少女。風など吹いていないのに、束ねた長い黒髪は荒ぶる龍の尾のごとく暴れ狂っている。
そして、その手に握られているギラギラと輝く肉厚の鉈。
斬り殺すなど生ぬるい。断つ。肉も、骨も、命も関係ない。触れるモノは全て断つ。そんな意思を漲らせた銀色の刃。
「檀……なのか?」
千代田育郎の問いは、見れば分かるはずの愚問だったが、そう思ったものは誰もいなかった。
むしろ、彼女がまず人間なのかから問いたいくらいだった。
「失せろ」
燃えるように血走った彼女の目は、育郎の方を見ようともしない。
「……」
檀麗。
千代田の分家として格下扱いされてきた檀家に、代々受け継がれてきた劣等感の集大成。
すべては、千代田育郎を超えるために。
優れた遺伝子を求め、徹底した英才教育を詰め込まれた一種の強化人間。
哀れな存在だとは思う。だが、生物として見れば今の育郎よりも格上であることは否めない。
「行くぞ」
育郎は詩歌の手を引いて麗の横を隠れるように素通りしようとした。
その時、麗の眼球がぐるりと回って詩歌を見た。
「ひっ!?」
だが、すぐに麗の関心は別の者へ向かった。
「うぐっ――」
育郎たちを追ってきた数十人の老若男女。そのうちの1人、セーターを着た主婦が頭を押さえて苦しみだしたのだ。
「何これ……、嫌ッ、嫌ァ!」
主婦の顔面がどろりと溶け落ちる。周囲の者たちが悲鳴を上げて距離を取ろうとするが、ここは階段。何人かが転げ落ちた。
「あッ――がッ――!」
むき出しになった白骨がパリパリと紫電を発しながら黒く変色し、再び肉と皮を纏ってゆく。
「させるかよ!」
麗は鉈を振りかぶり、獣じみた動きで跳躍する。
全体重を乗せた一刀両断。主婦だった者の身体は脳天から股間にかけて薪のようにかち割られた。
「うわああああああ!」
恐慌をきたした者たちが逃げ惑う。半数は上へ、半数は下へ。
「有象無象共が……」
苛立ちながらも、冷静にひとりひとりを観察する麗。
「ひぃぃぃ……」
階段を転がり落ち、壁際に蹲るランニングシャツ姿の中年男性が目に入った。突き出たビール腹を支えるには脛骨の強度が足りなかったらしく、脛からは折れた骨が皮を突き破って露出していた。
「やめて……やめてくれ……俺が、俺が悪かった……。許してくれ真実さ――」
「死ねぇ!」
黒く染まりかけていた脛骨が白色に戻っていく。
恐怖に染まった首がポンと跳ね、手すりを越えて階下へ転がり落ちた。
「下か……」
階下に向かって歩を進めようとする麗。突如、彼女の手首が翻った。
高速で縦回転しながら飛翔する銀色の刃が、麗の背後にいた女子大生の胸に深く食い込む。
「あらら」
恐怖と驚愕に引きつる女子大生の顔が、穏やかな微笑みに再構築されてゆく。
「この私の裏をかこうなんざ100年早ぇ」
「でしたら、あと15年くらいですね」
「黙れババァ」
麗が鉈を引き抜くと、サダクは少しだけ傷付いた顔をしながら、胸から激しい血しぶきをあげて仰向けに倒れた。
倒れた死体は再び女子大生に戻っている。
「上だな……」
血に染まった鉈をべろりと舐め、麗は落涙を続ける目にうっとりと陶酔した光を浮かべ、悠々と階段を上って行った。
校舎の中を、悲鳴と哄笑が満たしてゆく。
◇ ◇ ◇
忌まわしい旧2-Aの教室。その前を通る時、和泉詩歌は一瞬体を強張らせたが、手を引く育郎がそこを素通りしたのでほっと胸をなでおろした。
「ねぇ、これからどうするの?」
「こっちだ」
たどり着いたのは、3階の端にある1年B組の扉だった。
「……」
扉を開けると、そこには積み上げられた机と椅子によるバリケードが築き上げられていた。
「ちょ、これじゃ入れない」
呆然とする詩歌の腕を、育郎は突然強く引っ張った。
「へ?」
一瞬前まで2人のいた場所に、先端を鋭く削られたモップの柄が何本も突き出されていた。
「あぁ……」
バリケードの向こうから、無念の吐息が聞こえた。
「俺は千代田育郎だ! 中に入れろ!」
覚悟を決めた初撃をあっさりと躱されたことで戦意を喪失したのだろう。
案外素直に中の生徒たちは机と椅子を下ろし始めた。
「……」
詩歌は改めて育郎を見上げる。
この土壇場で色々と人格の問題を露呈させつつも、やはり彼の頼れるリーダーだった。
……和久井春人から逃げ回っているなんて噂もあったが、そもそも彼と育郎は戦いの土俵が違うのであり、不毛な争いを避けるのはむしろ『君子危うきに近寄らず』という育郎の思慮深さに思えた。
「先輩! いったいどうなってんですか!?」
「私たちどうすりゃいいの!?」
危うく相手を殺しかけたことを完全に忘れ、縋りついて来る後輩たちを無視して、育郎は教室の窓を開けた。
「よし」
窓の外には、1本の杉の木が植えられていた。
「え? 千代田君!?」
育郎は躊躇うことなく窓の桟に足をかけると、杉の木へと飛び移った。
「嘘……」
立ち尽くす詩歌の背後から、悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「どうした? 早く来い!」
急かす育郎に、詩歌は首を振った。
「無理! 私、無理だよ!」
詩歌の背後で教室の扉が押し破られ、パニックに飲まれた人々がなだれ込んできた。
「助けてくれ! 殺される!」
「見ろ! 千代田の息子だ! 1人だけ逃げやがった!」
「そんな場合か!」
「奴を殺せ!」
人間の塊は、完全に錯乱していた。
「跳べ和泉!」
「無理! 無理ィ!」
この時、和泉詩歌は心の底で千代田育郎を信じていた。
彼ならきっと自分を助けてくれる。伸ばした手を掴んでくれる。
だって、自分は今、千代田育郎の――
「あっそ」
「え?」
するすると木を降りていく育郎の姿を、詩歌はただ見つめていた。
そんな心が空白状態の彼女の肩を、誰かががしっと掴んだ。
「ふぇ?」
鉈で頭を割られた男子。先刻、育郎を先輩と呼んでいた生徒だ。
彼の、瞳孔の開ききった真っ黒な瞳が詩歌を見た。
「ヒィッ!?」
回し蹴りで真横に吹き飛ばされる後輩男子。その背後から、返り血に汚れた長身の少女、檀麗が現れる。
「入られたか……。残念だったなァ和泉……」
「待って、檀さん、待って! 何か変なの。寒い……。連れてかれる……恐い……恐いとこに……連れてかれちゃう!」
「すぐ楽にしてやるよ!」
眼前に閃く銀色の光。
(あ、ちょっとキレイかも)
現実逃避の果てに、和泉詩歌は思った。
人生の最期に見る光景が、裏切り者ののクソヤロウの背中ではなく、この美しい光なのはせめてもの救いだと。
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