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第106話 刃 ―ブレイド― ◇檀麗の大虐殺と制裁その1

 手に手を取り合い、暴徒たちの魔の手をかいくぐって駆ける千代田(ちよだ)育郎(いくろう)和泉(いずみ)詩歌(しいか)


「大丈夫か?」

「うん。全然平気!」


 だが、校舎を迂回し正門を目指す2人の前に、新たな人影が立ちふさがった。


「育郎さん……」


 喉を()かれたような濁声(だみごえ)は、吐き気をもよおす生理的な嫌悪感をかきたてた。


 ()()は、一目で高級と(わか)るブランドもののスーツを着ていた。だが、そのスーツには洗練されたデザインを台無しにするように赤黒い液体と固形物らしきものがぶちまけられていた。


「ヒッ!」


 詩歌は育郎の背中に隠れ、シャツをぎゅっと掴む。


「誰!?」


 そう問いながらも、薄々彼女は現れた相手が誰なのか想像がついていた。




 逆に言えば、()()はあえて想像しなければいったい誰なのか判別できない状態にあるということでもあった。




「助けて、育郎さん……」


 本来の体積の倍ほどに膨らみ、赤紫色に染まった顔。艶を失った髪は、歩くだけでパラパラと抜け落ちていく。

 腫れ上がった上下のまぶたに圧迫されて前がよく見えないのか、両手で空間を探りながらよたよたと近づいて来るその姿は――


「近寄るな化け物!」


 育郎は叫び、相手の腹を一切の躊躇(ちゅうちょ)も容赦もなく蹴り飛ばした。


「「えっ――?」」


 それは悲鳴ではなく、驚きの声をあげながら地面を転がる。

 一方、驚きの声は彼の背中にしがみついていた詩歌の口からも漏れていた。


「私よ、育郎さん……、わからないの……?」


 なおも育郎に(すが)りつこうとする女。

 育郎は舌打ちした。

 追手は二手に分かれ、それぞれが校舎を別向きに校舎を回ってこちらを挟み撃ちにしようとしている。

 正門から出ようとすれば、この女に取りつかれて逃げることはままならないだろう。


「こっちだ!」


 育郎は詩歌の手を引いて校舎に飛び込んだ。


「待って! 育郎さん! 待ってェ!」


 背後から追いすがって来る、押し潰されたような(かす)れ声。


「ねえ、もしかしてあの人、千代田君のお母さんじゃ?」


 詩歌は前を走る背中に恐る恐る問いかける。


「は?」


 しかし、育郎は無邪気とも言える瞳でそっけなく答えた。


「俺の母さんがあんなに醜いはずがないだろ」


 この時、詩歌は先刻から感じていた彼に対するうすら寒さをさらに強めた。


(ダメ。考えちゃ)


 だが、彼女は唇をきゅっと引き締め、湧き上がる疑念を振り払った。

 この状況で千代田育郎の判断力を失うわけにはいかない。


 それに何より、憧れの男性(ひと)を信じたかった。

 彼を選んだ自分を信じたかった。


「ねぇ! 大丈夫? 逃げ道あるの?」


 校舎に入ることに疑問を投げかける詩歌だが、育郎は爽やかに笑って答えた。


「大丈夫。考えがある。とりあえず3階行くぞ!」




  ◇ ◇ ◇




「あれ?」


 姉原(あねはら)サダクはいったん教室を出、室名プレートを確認した。

 『2-A』で間違いない。

 もう一度扉を開ける。


 教室からは机や椅子はおろか、教卓すら撤去されていた。

 割れた窓ガラスにはベニヤ板がガムテープでぞんざいに張り付けられている。

 差し込む日の光を、空中を舞う(ほこり)が乱反射させている。


 がらんどう。

 まさにそんな言葉が似あう室内で――


「どうした? お前も迷子か?」


 唯一の例外が、教室の中央で、窓に向かって静かに正座している女子生徒だった。


「入れよ」


 サダクは言われるまま教室に入り、扉を閉める。


「ま、考えて見りゃ当然か。人死(ひとじ)にが出た教室をそのまま使っているはずがないわな」


 正座する少女は目を閉じて淡々と語りかけてくる。


「残念です。久しぶりに皆さんに会えると思っていたのに」

「私がいるだろ? せっかくだ、2人きりで楽しもうや」


 抜き身の軍刀を手に、(だん)(うらら)は立ち上がる。


「……」

「……」


 埃の混じった生暖かい空気が2人の間を漂う。


「どうした? 私を殺すんだろ? 来いよ」

「ああ、すみません。檀さんの姿勢がとても綺麗だったので、つい見とれちゃいました」


 まるで静止画のようにピタリと止まったまま、麗は「そりゃどうも」と自嘲(わら)った。


「きっと、血のにじむような苦労をされたんでしょうね」


 サダクの口元に、慈愛に満ちた微笑みが浮かぶ。

 細い両腕が、麗を迎え入れるように広げられた。


 その刹那――


「姉原ァ!」


 剣閃が三日月を描く。


「……テメェにゃ関係ねぇだろうが」


 どうせ殺すくせに。

 相手がどんな人生を歩んできたか。何を背負わされ、何を求め、誰を愛してきたか。

 誰に愛されてきたか。


 そんなものは一顧だにせず、むしろ相手を苦しめる材料のように扱い、踏みにじってゆくくせに。


 縦に真っ二つにされた少女の身体が崩れ落ちた。

 汚れた床に、パサついたちぢれ癖のある髪がばらりと広がる。


「ちっ!」


 刀の血ぶるいをしながら、麗は教室の一角を睨みつける。


「ひぃぃ!」


 そこには、白衣の男性教師が腰を抜かしていた。

 空き教室から話し声が聞こえたので様子を見に来たのか、それとも自分1人だけ隠れようとしていたのか。


 どちらでも、どうでもよかった。


「待って、待ってくれ! ぼかぁ何も! 悪いのは校長と笛木先生で――」

「うるせぇ!」


 脳天に軍刀を振り下ろす。


「この場にいた不運を恨みな」


 だが、刃は頭蓋骨にわずかに食い込んだところで止まってしまった。


「くそ、ナマクラが!」


 抜いた刀を手の中で瞬時に回し、(みね)で再び脳天を何度も何度も打ち据える。

 頭蓋が砕け、血と脳漿と脳辺が飛び散る。

 一方で、教師の顔はずるりと剥がれ落ち、きょとんとするサダクの顔に再生していた。


「あら?」

「1手遅かったな。これでお前も終わり――」


 頭を割られかけたまま、サダクはクスリと笑った。


「何がおかしい?」


 サダクは答えず、ただ、黒い瞳でその方向を()()

 視線の先には階段があった。

 バタバタと複数の足音が上って来る。


「ふん」


 鼻で嗤う麗。足元に転がる死体の顔は、すでに男性教師に戻っていた。


「上等だ」


 麗は軍刀を捨てた。

 代わりにスカートをめくりあげ、太ももに(くく)りつけていた古びた革製の鞘から、ギラリと研がれた無骨な刃物を取り出した。


 それは、肉厚の(なた)だった。


「殺し尽くしてやる……化け物が……」


 全身から妖気にも似た気配を漂わせながら、檀麗は大勢の足音に向かって歩き始めた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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