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第104話 教室 ―スロータールーム―

 2年A組の教室はしんと静まり返っていた。

 生徒たちは座席に座って気をひそめ、耳をそばだてていた。


 この教室は現在1階に移されている。つまり、体育館の狂騒がわずかながら漏れ聞こえているのだ。


「……」


 その中、千代田(ちよだ)育郎(いくろう)はひと際固く、蝋人形のように体を強張らせていた。


 先刻、やけに近い位置で聞こえた女性の悲鳴。

 その声に、妙な胸騒ぎを覚えていた。


(まさかな……)


 あれから悲鳴はぱったりと聞こえない。だが様子を見に行くには、薄い煙の臭いを上書きするように濃密に漂って来る血と汚物の臭いが見えない壁となってそびえていた。


 本能を刺激する死の臭い。


「ねえ」


 話の口火を切ったのは、この場にいる唯一の女子生徒、和泉(いずみ)詩歌(しいか)だった。


「うちらやっぱり、ここにいるのマズくない?」

「だったらどうすんだよ?」


 田所(たどころ)時貞(ときさだ)が応じる。


「わかんないよ!」


 声を荒げる詩歌に、育郎は「落ち着いて」と声をかけながら手を伸ばそうとした。


「ひっ!?」


 だが、詩歌は椅子ごと飛び退いて距離を取った。


「……」

「あ、ごめん。違うの、これは……」


 慌てて取り繕う詩歌だが、その瞳には明らかに育郎に対する怯えの色があった。


 詩歌だけではない。あの画像が出回った直後から、彼をとりまく教室の空気は劇的に変わっていた。


「何?」


 育郎が周囲を見回すと、まるで磁石の反発のように皆一様に顔を背ける。


「あれは事故だと言ってるだろ? みんなが妹尾(せのお)君がゴールキーパーの特訓をしていると言うから、俺もちょっと乗っただけだ」

「でも……マジなの? 千代田君のボールで妹尾は頭を……」


 育郎は大げさにため息をついて見せる。


「それは事実さ。でもスポーツをやってりゃその程度のこと日常茶飯事だろ? ……これは千代田家(うち)和久井(わくい)家の協定があったから今まで言えなかったことだけど、彼を殺したのは和久井君だよ」

「ちょ、おい!」


 田所が叫ぶ。

 和久井春人が犯人となると、彼と行動を共にしていた田所も共犯となる。


「だってそうだろ? 俺のボールが当たった後も妹尾君は生きていた。彼はその後どこへ行った? いつものように野球部で和久井君たちに殴られに行ったんじゃないのか? そして彼は死んだ」

「違ぇよ!」


 根元の黒い金髪が針山のように逆立つ。


「あの日は、俺らは()()妹尾を殴ってなかった! ただ、馬場(ばば)君がこう、揺さぶっただけで!」


 田所は相手の胸倉を掴むようなジェスチャーをして見せる。


「そしたらアイツ、ぐらーって倒れて、マジだって! 俺たちは殺してねぇよ!」


 顔を真っ赤にして唾を飛ばす。


「やめよう。今は真相がどうこうより、この状況をどうするかだ。どうも俺たちは今、姉原(あねはら)さんの手の上で踊らされている気がする」

「姉原か……」


 その名を聞いた途端、逆立った金髪がへなへなと(しお)れていく。


「何なんだよアイツ。意味わかんねぇ」

怨霊(おんりょう)って言ってたよね。契約者に代わって復讐を果たす怨霊って」


 育郎は鼻で笑った。誰にも気付かれないよう、そっとではあるが。


「……謝ったら、許してくれないかな?」


 詩歌がぽつりと漏らした。


「あぁ?」

「妹尾君と、佐藤さんに。今からでもさ! あいつら――ああいや、あの人たちに謝ってさ、お坊さんとかに供養してもらってさ! ねぇ!?」


 詩歌は助けを求めるように周囲を見回す。


「ほら、日本史でやったじゃん? 何とか天満宮みたいの? 怨霊を神様にして、みんなで拝んで、それから……」

「和泉、言ってて(むな)しくね?」

「じゃあどうすりゃいいのさ!? 私は死にたくない! あんたらの巻き添えなんかで死にたくないから!」


 和泉詩歌は火が付いたようにヒステリックに泣き(わめ)くと、教室を飛び出していった。


「おい!」


 田所の制止の声は、乱暴に開け放たれた出入口に空しく吸い込まれていった。


「……閉めてくれ」


 育郎が誰へともなく命じるが、誰も動かなかった。


(くそ……)


 内心で毒づきながら、育郎は自らドアを閉めに向かう。その時、ふと彼の脳裏に閃くものがあった。


(神社か)


 町はずれの山奥にある神社を思い出した。鹿谷(ろくたに)(けい)の実家でもあるサンハラ神社である。

 地元の冠婚葬祭を取り仕切っていたのは昔の話。戦後の人々が土地神への信仰心を薄れさせていったことに加え、近年はこの町に新興宗教が進出したこともあってすっかり寂れ、忘れられた赤貧神社。


 山奥とは言っても、町を覆う山々からは地形的に独立しているので山火事の炎が回る心配はない。

 霊的なご利益はともかくとして、彼1人が身を隠すには悪くない場所かも知れない。


 そんなことを考えながら扉の鍵をかけようとしたその時だった。

 扉が勢いよく開き、ついさっき出ていったはずの少女が必死の形相(ぎょうそう)で飛び込んできた。


「うッ――!?」


 勢いよく床に押し倒された育郎。彼の口には、少女の唇が強く押し付けられている。


(何だこれ?)


 和泉詩歌は、ぱっちりとした勝気そうな吊り目が特徴だが、それほど美少女ではないというのが育郎の評価だった。

 だが時折、その大きな目が内に秘めた熱を隠しながらこちらを見つめていることには気付いていた。

 時と場合が異なれば、このシチュエーションはごく自然なものだったかもしれない。


(吊り橋効果ってやつか?)


 どぎまぎと混乱する育郎。だが、肝心の詩歌は思いの外あっさりと育郎から体を離し、荒々しく扉を閉めて鍵をかけた。


「そっちも! 早く!」

「何だよ!?」


 反発しながらも、彼女の目力に圧された田所がもう1つの扉を施錠する。


 ――直後、扉にはまっていたすりガラスが激しい音を立てて叩き割られた。


「何だオイ!?」


 田所が裏返った声で叫ぶ。


 叩き割られたガラスの向こうから、無数の血走った目がこちらをのぞき込んできた。


「いたぞ! クソガキ共だ!」

「あいつらのせいでこの町が!」

「殺せ! ガキ共を殺せ!」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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[良い点] いまだ罪を見つめず始まりの教室で語り合う子どもたちの互いの保身、そこを狂乱に呑まれ剥き出しのエゴで襲いかかる保護者だった者達。(≧∀≦)およそ考えられる中で最悪のカオス状態に読者も手を打ち…
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