第101話 遊戯 ―チャイルド・プレイ―
千代田純太郎。
精力的で爽やかな魅力に満ちた俳優顔負けの甘いマスクと、バランスよく鍛え上げられたアスリート並みの肉体を持つ、日和見町の町長。
代々、この町の行政を牛耳る千代田家の当主にして、美しい妻と優等生の息子を持った家庭人。
彼は、まさに全てを手に入れた男だった。
ほんの数分前までは。
「ひゃあはははははは!」
少女の手からだらりとぶら下がる、今の千代田純太郎は全てを失っていた。
苦痛と恐怖で歪み切った形で硬化した顔。顎が外れるほどに開ききった口から長い舌がべろりと垂れる様は、どこか滑稽ささえ感じさせる。
そして彼の自慢の鍛えられた肉体は、もう彼の物ではなくなっていた。
ぶらぶらと振り子のように揺れる千代田純太郎は、醜い首だけの存在となっていたのだ。
「やった! 私やったよ! 志津! 姉原さん! これで私、許してもらえるよね? 私、もう、いいんだよね!?」
体育館の床に、折れた出刃包丁と千代田純太郎が音を立てて落ちた。
少女はひざを折り、天井を仰ぐ。
「ねぇ……」
視線を感じた。
光の無い、黒い眼差しがこちらをじっと見つめている。
「何か、言ってよ……」
彼女の心が闇に引きずり込まれてゆく。
「ねぇ……」
応える者はいない。
それは何となく解っていた。
観戦者として妹尾明のいじめに参加し、目撃者でありながら佐藤晶を見殺しにした。
そして、自分が助かりたいがために、自分の罪から目をそらすためだけに、親友を殺害した。
だが、彼女の最大の罪は、それらを全て他人のせいにしてきたことだろう。
自分は悪くない、自分は許されるはず、そんな呪文を唱えているうちに、気がついたら引き返せない場所にいた。
(私には、お似合いかな)
不思議と落ち着いた気持ちで、各務野紗月は闇を受け入れることにした。
現実から逃げ続けるのも、もう疲れた。
◇ ◇ ◇
「……」
体育館はしんと静まり返っていた。
床に転がっている死者たちはともかく、避難してきた100人近い住民たちや教職員たち、その誰もが呼吸をすることすら忘れたように立ちすくんでいた。
彼らの目の前で、ゆっくりと体を起こす殺人鬼の少女。
いや、彼女はもはやそれまでの彼女ではなかった。
伸び放題だったパサついた癖毛は、長さの揃った艶のある黒髪に生え変わった。
焦点の合っていなかった細い吊り目は、瞳の大きな切れ長の目に変化している。
「何だ、お前は……」
恐ろしく長く感じられた沈黙の後、1人の老人が進み出た。
ほんの数分前まで、千代田家の旗本を自称して町長を取り巻いていた人物である。
老人は何も使命感にかられて勇気を振り絞ったわけではなく、取りたくもない責任を取らされただけである。
千代田家の威を借り、あちらこちらを我が物顔で仕切ってきた過去が祟って、町民の無言の圧力によってこの場に押し出されただけだ。
「答えろ! お前は誰だ!?」
少女は答えない。
かすかに微笑みながら、床に転がっている生首をしげしげと眺めている。
「お前なのか? この町を滅茶苦茶にしているのはお前なのか?」
老人の問いに、少女は小首を傾げた。
「何か言え! どうしてこんなことをする!? 我々に何の恨みがあるんだ!?」
少女は純太郎の首を取り上げると、真上に投げては受け止め、また投げては受け止め始めた。
「さあ? 退屈しのぎ、もしくは憂さ晴らし、でしょうか?」
上下する生首を眺めながら、少女は他人事のようにつぶやいた。
「何ィ?」
老人の顔がみるみる赤く染まってゆく。
「ふざけるなこのガキ!」
激昂する老人の顔を目がけて、生首が飛んできた。
「わああああああッ!?」
老人は尻もちをつき、主君であるはずの生首を放り投げる。
恐怖の裏返しによる憤怒は、あっさりと恐怖に戻されていた。
そんな老人の醜態を嘲笑うでもなく、少女は微笑みを崩さないまま散歩でもするような足取りで体育館の隅に放置されていたカーゴに向かっていった。
カーゴの中には、バスケットボールが詰まっている。
カーゴを引っ張ってきた少女は、取り出したボールをバウンドさせる。どこかたどたどしいその動きは、ドリブルというよりは毬つきで遊ぶ童女に近かった。
ここで初めて、彼女は老人をまっすぐに見つめた。
光の無い瞳。
何物も映ることの無い、漆黒の鏡。
「ああ、そうですね。遊び、かもしれません」
直後、剛速球が老人の眼前に迫った。
「んばッ!?」
噴き出す鼻血がアーチを描き、へし折られた黄色い歯が空を舞う。
仰向けに倒れる老人。
「あぁー……」
顔を押さえて転がり回る老人。
少女はまた毬つきをしながらやけに古い歌謡曲を口ずさんでいる。
老人は顔を押さえながら、指の隙間から町民たちをチラチラと窺うが、誰1人動こうとはしなかった。
(くそ! これだから最近の若い者は! 人情の欠片もありゃしない!)
いくら泣き叫んでも誰も何もしてくれないことに業を煮やし、老人は自力で起き上がった。
だが、そんな彼の目に映ったのは、ボールを大きく振りかぶる少女の姿――
「待て!」
老人の首から、ゴキ、ともグチ、ともつかない嫌な音がした。
(バカな! こんな遊びがあるか!)
そんな心の叫びに答えるように、少女は微笑んだまま小首を傾げた。
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