「迷宮の真実」
エリザベート・レリックと石楠花ユリアが啜り泣く声が響く中、最初に声を発したのはMAZE社長、細川智仁だった。
「申し訳ありません。結果的に、二人の傷を抉るような事になってしまいました。彼女は……エリザベート・レリックは、過去にVtuberとしての活動し……心を大きく傷付けてしまう出来事がありました。……淀川夏乃も同様です。もし彼女が変わる何かきっかけになればとお話を伺ったのですが……」
悔恨の極み、と表情が語っている。話す事を決めたのは、正時廻叉であり、石楠花ユリアだった。既に割り切っている――割り切り過ぎている――正時廻叉はともかく、石楠花ユリアにとっては未だに塞がり切っていない傷のある過去だった。それを承知で話したのは彼女だが、止めなかったのは細川も廻叉も同様だった。
「辛い過去を思い出すという行為の重みを、計り違えました。本当に申し訳ない」
「……それは私も、ですね。ユリアさんの感情が振り切れてしまう前に、止めるべきでした」
自嘲するような声で廻叉が呟き、真横で涙を流し続けるユリアへと向き合い背を摩る。落ち着きを取り戻すまで、まだしばらく掛かりそうだった。
「……エリ」
「私、私は……死んだままだった……!ごめん、ごめん、夏乃……!私、エリザベート・レリックなんかじゃなかった……あいつらを恨んで死んだ、桃瀬まゆのままだった……!」
「エリ……!それは……!」
夏乃にしがみ付くようにして泣いているエリザベートの言葉に、思わず夏乃が絶句しながら廻叉達へと視線を向ける。敵意よりも、『前世を聞かれた』焦りの方が大きい。
「……桃源郷心中、ですか」
「……そうよ。彼女は、その当事者」
元々MC備前から詳細を聞いていたにも関わらず、廻叉は『その名を聞いて思い至った』かのような声色で反応して見せた。夏乃はそれを聞き、観念するかのように答え合わせをする。そして、意を決したかのように細川へと視線を向けた。
「お父さん、私も話す。いいよね?リバユニの二人が話してくれて、エリは桃瀬まゆだった事を喋った。聞かれたくなかった事かもしれないけど。……私だけだんまりは、私がハタから見てても気に喰わないから」
「……社長としては、推奨出来ない。出来ないが……父親としては、反対したくない。君が、身内以外に話す事で、良い方向に変わるかもしれないという期待を捨てきれない」
事実上の黙認を受けた夏乃が無理矢理に俯くエリザベートの顔を上げさせる。怯えた様な表情を見せる彼女と無理矢理に目を合わせる。
「もうここまでバレたんだから、リバユニの人に全部ブチまける。いい?ユリアさんの方は真っ先にアンタの心配をしてくれるような子だったし、廻叉さんは……面白半分で、バラしたりする人じゃない気がする。そもそも、私らにそこまで興味あるかも怪しいし」
「…………」
「喋れないなら、頷くか首を横に振って」
いきなりの問いかけに固まっていたエリザベートが、数度頷く。夏乃はそれを確認すると、真っ直ぐにこちらを見据える。その視線の先は、主に正時廻叉だった。
視線を向けられた廻叉は、淀川夏乃というVtuberへの認識を若干上方修正する。以前に調べた際にはスタッフへの悪態、パワハラ染みた発言などが取りざたされているものもあった。実際にも恐らく、かなり強い口調で物を言うタイプであり、運営企業の社長である細川に無理や無茶を聞いてもらった回数も少なからずあるのかもしれない。当の細川が言った通り、彼女もまたVtuberとして何らかの傷を負った事。そして、彼がラブラビリンスというVtuber事務所を立ち上げた事とは決して無関係ではないだろう、と考えた。
そして、その予想は大きく外れていなかった。
※※※
「……私の前世はプリンセスラウンジの、贔屓されてない、推されてないメンバーだったの」
そのユニットの名前に反応したのは細川と廻叉だった。
廻叉はかつてラジオで触れた『運営の不手際』によって崩壊した事務所だった。裁判にまで至った、Vtuber界隈に於ける事件の一つだ。
一方の細川はあからさまに不快感を露わにした。実の娘がパワハラ被害にあった事務所である以上、親としては当然の怒りがあるのだろう。
「こんな業界、潰れろって思ったけど……私も未練があった。社長……お父さんは反対したけど、最終的には自分の目が届くところならって形で、MAZEに Vtuber事業の部署を立ち上げてくれた」
ある程度は割り切れているのか、夏乃の口調は淡々としたものだった。その声色にいくらかの自嘲も混ざっているのに気付いたのも、廻叉と細川だけだった。
「淀川夏乃になったけど、やっぱり大人への不信感はあった。スタッフにも強気で出なきゃ、絶対にナメられる。いざとなればお父さんがバックに居る……お陰で、前のクソ事務所よりよほど過ごしやすかったかな」
「夏乃。言葉遣いには気を付けなさい」
「……分かってるよ。でも、未だにアイツらは許せない」
嗜める言葉にも、抑えきれない憎悪が滲む。彼女もまた、前世に受けた傷と怨恨を引き継いでしまっている事は確かだった。
「同じようにダメージ受けたエリと、天歌を引き込んで私達はリスタートした。……後は知っての通り。全肯定信者とアンチを抱えたラブラビリンスに、私達はなった。ある程度の好き勝手は……なんだかんだで、社長もスタッフも許してくれてたし」
「迷宮の正体はエリザベートさんと淀川さんの為の聖域だった訳ですか」
「ま、そんなとこ。結局、私達はどっちも怪物にもなれず、転生も中途半端にしか出来なかった地縛霊ってとこ」
小さく溜息を零し、苦笑いを浮かべる夏乃の視線がエリザベートとユリア、廻叉へと向かう。
「なんか、外部の人に言う事じゃない話ばっかりだけど」
「いいんじゃないですか?極論、同じVtuberであっても接点が殆どなくて、なんなら友好的とは言えない関係だったからこそ、吐き出せるものもあるでしょう。逆に仲の良い外部の方には話し辛い部分もあるでしょうし」
「……あの時、エリを煽ってリバユニと喧嘩しなくて良かった。前世をちゃんと消化してる人は違うね」
淡々と返した廻叉の姿は、泰然自若という言葉の通りだった。ようやく涙が止まりつつあるユリアを気遣いながらも、夏乃の言葉に必要以上に肩入れもせず、逆に反発する事もなく聞き入れた。
「……社長、とりあえずもう変な感じで社員さんにマウントとか取らない。約束する。今まで、甘えさせてくれてありがとう。ごめんなさい」
「……スタッフもわかってるさ。お前のそれが本心からじゃなく、自分の傷との向き合い方への迷いの発露だってことくらいは。……何にせよ、これからもう一度頑張りなさい」
社長、と呼びかけたが実質父と娘の会話だった。未だに涙が止まる気配がないエリザベートだけが、輪の外であり、中心でもあった。
最初に、彼女に声を掛けたのはユリアだった。
「……エリザベートさん。私はVtuberの関係者の方しか、知り合いや友達が居ません。でも、皆さん凄くいい人です。知り合えて良かった、って思えるくらい」
「…………」
「……私も、エリザベートさんにとって、そういう人になりたいって思いました。今すぐは難しいかもしれませんけど……私と、Vtuberとしても……三摺木弓奈としても、お友達になってくれませんか?」
そう言って席を立ち、俯いたままのエリザベートの横で身を屈め、手を差し出す。
エリザベートは少しの逡巡の末、その手を取った。
「……ありがとう。ちゃんと、エリザベート・レリックとして、会いに行くから……」
※※※
電車の窓からは西日が強く差し込み、冷房の効いた車内にも関わらず背中にジリジリとした暑さを感じる程だった。
正時廻叉、石楠花ユリアの二人はMAZEの事務所を辞してから会話が殆ど無かった。どちらも何を話すべきか決めかねていたのもあるし、改めて触れるべきなのか判断に迷う部分もあった。
ようやく口を開いたのは、石楠花ユリアだった。
「……私、Vtuberの世界で考えると恵まれてたんだなって思います」
「……そうだね。それは否定しない。俺も恵まれてると思ってる」
「でも、やっぱり嫌な思いをする人も居るんだ、って……知識では知ってても、実際にそういう思いをした人が居るんだって、目の当たりにして……」
「うん。エリザベートさんに関しては、以前に備前さんからそれとなく聞いてたから知ってたけど……夏乃さんもそうだったとは思わなかった」
廻叉は慎重に言葉を選びながらユリアの様子を伺う。彼女が、業界の暗い部分を見て幻滅してしまったり、モチベーションを下げてしまう事になってしまう事を彼は危惧していた。
尤も、それはいらぬ杞憂であったとすぐに分かる事だった。
「……私、そういう思いをした人に、手を差し伸べたいです。手を振り払われるかもしれないけど、私はこの業界の皆さん、廻叉……じゃなくて、正辰さんや要さんに手を差し伸べて貰えたから、今の私が居ます。それに、」
他の乗客に聴こえないように、それでも隣に座る廻叉にはしっかり聞こえる声で思いを告げる。自分の手を愛おしそうに眺め、廻叉へと笑みを向けながら続ける。
「嬉しかったんです。手を差し伸べて貰えた事が。きっと、一生忘れないです。もし、喜んでくれる人が居るのなら、私も手を差し伸べる側になりたいです」
正時廻叉は思う。
本当に、彼女がRe:BIRTH UNIONに来てくれてよかった。
彼女が報われて良かった。
彼女にもっと幸せになって貰わなくては。
「ひゃわ……!」
自然と、廻叉の手がユリアの頭に伸びていた。慈しむ様に彼女の頭を撫でると、配信で良く聴くタイプの奇声を上げていた。公共交通機関の中という事もあり、それを聞いたのは幸い廻叉だけだったが。
「か、さ、正辰さん……!」
「みんなで幸せになろうな。俺らだけじゃなく、リバユニも、ラブラビリンスも」
「……はい!」
全員が全員成功できる業界ではない。そんな事は、重々承知の上で廻叉はそう言った。
少なくともVtuberとして活動している人が、活動している事が幸せだと思える世界であって欲しいという願いだった。
そして、スマイルムービーでのイベントの前日。
エリザベート・レリックのチャンネルで一つの動画がアップロードされた。
ボーカロイドの有名楽曲のカバー。歌っているのは、エリザベート・レリックと淀川夏乃。
可愛らしさや可憐さを押し出してきたエリザベート・レリックと、面倒見の良さや包容力の高さを評価されてきた淀川夏乃が、真に迫った憂いと悲嘆を剥き出しに歌う姿は多くのファンに衝撃を与えた。
一部では解釈違いだとして離れたファンも居たが、それ以上に多くのファンを引き付ける事になり、この楽曲以降『ラブラビリンスはいい方向に変わった』と言われるようになる。
※※※
「8万負けました、三日月龍真です」
自身の生前葬配信で使ったBGMで始まった飲み会配信は、恐ろしく淀んだ声で三日月龍真の配信が始まるとコメント欄は一斉に『草』と『ざまぁ』で埋まった。
「えー、朝から並び、入場抽選で一桁番号を取り、お目当ての台に全ツッパをかました結果がこれです……悪くはなかった、悪くはなかったけど……ずるずると引き摺られるようにボロ負けだよ……!クソがぁ!!」
悲痛な叫びが響き渡るが、誰一人同情しない。慰めの言葉も無い。ドネートはオフにしてあるが、オンになっていた所で入っていたかは分からないが、おそらく煽り半分の少額ドネートが大半だったであろうことが予想される。
「という訳で、本日の晩酌は薬局で買ってきた78円の缶チューハイと、余りメダルで交換したメーカー不明の煎餅だ。アルコール度数9%なのは、酔わなきゃやってられねぇからだよコンチクショウ」
カシュッ、という缶を開ける音が響くと同時に嚥下音が鳴る。乾杯の音頭すら取らない荒れ具合にリスナー達は大興奮だった。他人の不幸は喜ばないが、龍真の不運はリスナーにとっては最大のエンターテインメントである事がここに証明された。
「やぁ龍くん。荒れてるね。おっと、リスナー諸氏に御挨拶をしなければ。ステラ・フリークスだよ」
「ざっぱーん。水の中からこんばんは。魚住キンメでーす」
「……何しにきたん?」
突然現れた二人にリスナーどころか龍真すら困惑した。何故なら、今日はパチスロ戦果報告&晩酌配信でありゲストの予定はない。にも関わらず、二人が唐突に通話を繋いできた。その理由を二人は端的に答えた。
「君を笑いに来た」
「あと、良いお酒と私の手料理を二人で楽しむ所を見せ付けに来た!」
「この鬼畜どもめ……!!」
今日一の恨み辛みが籠った呻き声が響き渡った。
BGM:帝国少女/R Sound Design feat.初音ミク
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