「いつか星になれたら」
「酔いも目も覚め切ってないのに空気読める訳ねーだろ……」
グラスに注がれた氷水を啜りながら竜馬はボヤく。寝惚けた耳には会話の前後は頭に入らず、唯一脳が認識した言葉は「コンビニ」「買いに行く」という端的なフレーズだけだった。それに合わせ、寝起き特有の煙草への欲求を覚えた竜馬が付いていくと立ち上がろうとしたところ、クッションが顔面を襲撃するという痛ましい事件が起きてしまった。
「悪かったって……でも、あの二人はいい加減二人でちゃんと話し合うべきだよ、本当に」
「……まぁ、わかりやすいですよね。弓奈さん」
「正辰くんも大概だけどね。配信では兎も角、通話やこうして直接顔を合わせた時の雰囲気がどんどん柔らかくなってる」
「……真面目な話、あの二人が付き合うのは賛成?」
この場に居るのは、Re:BIRTH UNIONのメンバーだけだ。芽衣も夫が娘の相手をしている合間に会話に入っていた。内容は買い物という名目で外に出て貰った二人だった。芽衣の問いに、誰も言葉を発する事は無い。それぞれがそれぞれのスタンスで、考え込んでいた。最初に言葉を発したのは、圭祐だった。
「消極的反対、って感じです。恋愛は自由だとは思いますけど、万が一表沙汰になって炎上やアンチの襲撃みたいなことがあった時に二人が……いや、弓奈さんがどれくらい心にダメージを負ってしまうかわかりませんし……」
「なんで正辰除外したん?」
「全身に火矢が刺さったまま淡々とアンチを処理する廻叉さんの絵が浮かんでしまって……」
「なら仕方ねぇな」
桧田圭佑自身の本音で言えば二人が付き合う事に問題は無いと考えている。彼から見れば、尊敬する先輩と少し心配になるほど自分に自信を持てない同期。恋愛関係になる事でいい影響を与え合える二人だと思うが、世間的に――特にVtuber界隈からすれば、歓迎されない話題だろうという事は短いキャリアながらも理解していた。
「んー……私も同じ感じかな。時期尚早。文句言わせないレベルまで外堀埋めてからのがいいと思う。特にVtuberとしての二人はね。冗談抜きにてぇてぇとか通り越して『もう結婚しろ』って言われるレベルになってからのが良いと思う」
「まぁ翼ならそう言うよな」
「バンドが色恋絡みで壊れるとこ、最前列で見て来た女だからね」
「世界一羨ましくないアリーナ席で草も生えねぇよ」
「翼ちゃんが言うと説得力が違うなぁ……それと、私の意見は中立だ。最終的に決めるのは二人だし、正辰くんのバランス感覚があればどうとでもなりそう……っていうのは楽観的過ぎるかもしれないけど」
「俺もそんな感じだな。あの二人ならドロドロのグズグズにはならねぇっていう変な確信があるし」
「惨劇にはならないけど、悲劇にはなりそうな気配がするのが心配なんだけどねー」
「翼さん、やめましょう……!今、一瞬で数パターンの悲劇が脳内に……!!」
消極的反対が2票、中立意見が2票という状態になり、視線は自然と意見表明をしていない芽衣へと向かった。苦笑いを浮かべながらも、芽衣は簡潔に自身の意見を述べた。
「私は賛成」
「ふむ……その心は?」
「まず弓奈ちゃんにとって、正辰くんへの敬愛が恋愛にほぼ変わってる。本人に自覚があるのかないのかは分からないけど、傍から見たら『尊敬してる先輩』というよりも『片思いしている先輩』っていう目線で正辰くんの事を見てるのなんて丸わかりでしょ?」
「まぁ確かに……」
「ほんそれ」
「正辰くんがどう答えるかはさておき、変にモヤモヤした状態で放置するより一度しっかりと自覚した方がいいって考えでもあるし、正辰くんだったら安心して彼女を任せられるっていうのもある」
指折り数えながら理由を告げる。ここまで『境正辰と三摺木弓奈は両想いである』という仮の前提を誰一人口にしていないにも関わらず、全員が同じ認識であったが、それを指摘するものは誰も居ない。
「後は、正辰くんが私達が思っていた以上に『突き詰める』タイプだったから、弓奈ちゃんには彼を繋ぎ留める存在になって欲しいってのもあるかな……正時廻叉を演じる事に本気になり過ぎて、境正辰を上書きする勢いだったんだよね。Vtuberじゃない自分を大事にするきっかけになって欲しい。……まぁ、これはあくまでも私の希望だから、本人たち次第って意味では中立に近いかな」
同期だからこそ見えた境正辰の状況にそれぞれが何とも言えない表情を浮かべ、外出中の二人に思いを馳せる。どちらにとってもいい結果になればいい、という想いは共通していた。
※※※
雲一つない真冬の夜、乾燥した冷たい風が静かに町を行く二人の間を通り抜ける。歩幅こそ合わせて並んでいるが気まずい沈黙が続いていた。三摺木弓奈は横を歩く境正辰に視線を向ける。インフルエンザ対策のマスクと、コートのフードを被っているので彼の表情は伺えない。頭一つ分は背丈が離れているためか、自然と見上げるような形になっていると不意にこちらを向いて苦笑いとも取れる表情を浮かべた。
「前見てないと、転ぶよ?」
「すいません……」
「謝らなくてもいいってば、これくらいで」
境正辰はこちらに視線を向けて来た少女にそう声を掛けるが、小さく謝られてしまう事に思わず笑ってしまう。マフラーに口元を埋めている為、彼女の表情は伺えない。ただ、平静を保ててはいないだろうな、という予想とも妄想ともつかない考えが浮かんでは消えていく。
清川家から最寄りのコンビニは徒歩で五分ほどの場所にある。住宅街から大通りに出てしまえば、連休前の夜という事もあり都心程ではないにしても人通りは多くなるはずだ。正辰は左腕を弓奈へと差し出す。
「……弓奈さん、掴まる?」
「え?その、袖、ですか?」
「うん。えーっと……手を繋ぐよりは、ハードルが低いかと」
「……お言葉に、甘えていいですか?」
おずおずと伸ばされた腕、コートの袖を弓奈はそっと掴んだ。本音を言ってしまえば、手を繋いで歩けたらという想いがあるが、それを口に出す勇気を彼女は持ち合わせていなかった。このまま無言で横を歩いて、そのままコンビニで買い物を済ませて帰るだけという予想をしていた。きっと、何も話せない。ラブコメだなんてとんでもない。私の、一方的な想いに過ぎない。きっと、正辰さんからすれば私は子供なのだと思う。18歳という年齢も、私の中ではまだ子供の範疇だ。
そもそも、大人だったらきっとまだ学校に通って、嫌がらせもイジメも何かしら対処出来ていたのに。
情けなさと恥ずかしさ、更には正辰に甘えてしまっている事に喜びや安堵を覚えている自分の浅ましさに弓奈は涙が出そうになるのを必死に隠した。袖を掴んだまま俯いて歩く。涙が零れないように、上を向くなんて決して出来ない。だって、上を向いたら涙が滲んでいるのを見られてしまうじゃないか――。
「ありがとう、ございます……」
「どういたしまして」
「……何も、聞かないんですか」
「……聞く勇気がないから、かな」
少し予想外の答えが返って来た為か、袖を掴む手が強くなる。正辰も真っ直ぐ前を見ているが、彼女の顔をまともに見る事ができない事の裏返しだ。どちらも聞きたい事があるはずなのに、それを聞くことが出来ないでいる。
聞いてしまえば、ただの先輩後輩では居られない。
無意識下で、そう分かっているような沈黙が続く。コンビニに到着し、ようやく二人は他愛のない会話を再開した。何を買っていくかという話であったり、普段よく買うお菓子の話であったり、レジ袋をどちらが持つかという話であったり。そんな姿は仲の良い兄妹の様にも見えた。
或いは、初々しい恋人同士の様にも。
※※※
飲み物の入ったレジ袋を正辰が、お菓子の入ったレジ袋を弓奈が持つという形でレジ袋の争奪戦は決着し、再び冬の夜道を並んで歩く。正辰に促されるまま、彼のコートの袖を握って歩く弓奈。大通りから、住宅地の道へと入ってしばらくすると、意を決したかのように弓奈は立ち止まる。
「……正辰さん。……その、聞きたい事が、あるんです」
「うん」
「その……亜依ちゃんが言ってた、私が、その、正辰さんが好きみたいだって……」
「……うん」
歩道の真ん中で立ち止まる。今まで、まともに顔を合わせなかった二人が正面から向き合う。それでも弓奈は俯いたままだったが、正辰は何も言わず彼女の言葉を待つ。
「……本当なんです。憧れの先輩だって気持ちも、今もずっと変わっていないのに」
彼女の声が震えているのは、冬の夜風のせいだけではない。
「Vtuberになったのは、憧れに近付きたい、前に進みたいって思ったからです……なのに、実際にそうなって、廻叉さんに、正辰さんに会って……もっと、好きになってしまって。恋愛感情を抱いちゃいけないって、思ってたのに、好きだって、尊敬だけじゃないんだって気付いてしまって……」
意を決した様に、或いは堰を切ったようにあふれ出す言葉と感情。言葉の意味だけを取り出せば、それは告白だった。だが、彼女の声や感情からそれがただの告白ではないと正辰にはわかってしまう。
これは、告白ではなく、告解だ。
「好きになっちゃ、駄目なのに……憧れて、尊敬してる人の傍に居れるだけで、私には報われ過ぎているのに……!」
今までに彼女が自分と相対する時に、どこか『畏れ多い』と思っているのは気付いていた。それは、あくまでもファン心理の残滓の様なものと、最初は思っていた。実際にそうだったのだろう。だが、それが少しずつ恋愛感情に浸食されていた。彼女からすれば、それは耐えがたい事だったのだろう。
ようやく顔を上げた彼女は、もう溢れ出る涙を堪え切れていなかった。自己嫌悪と罪悪感が綯交ぜになった顔でこちらを見上げる少女の姿を目の前に、正辰は許すように彼女の体を抱き寄せる。お互いの持ったレジ袋が地に落ちた。
「いいんだ、いいんだよ。だって、俺だって――導こうと決めた後輩を、本当に好きになってしまったんだから。お互い様だ。むしろ、十代の女の子に本気になってる俺の方が余程罪深いよ。その為にリバユニに入れたって邪推されたって、文句が言えない」
本音を、本心を告げる。抱き寄せた彼女がどんな顔をしているかも考えない。自分を好きだと言ってくれた、その事に罪悪感を抱いてしまった少女に、本心を隠すことなどしたくなかった。
「付き合うとか、どうとかは関係ない。俺は君が好きだ。それだけは伝えたかった」
胸元から泣いている声が漏れてくる。彼女の抱いた罪悪感が晴れるような言葉ではなかったと自覚しつつも、それでいい。
同じ電脳仮想の世界で生きる相手を好きになる事が罪なら、自分も同罪だ。
彼女に罪があったとして、自分のやるべきことは許す事ではない。
同じ罪を背負って生きていく事だ。
※※※
「そんなわけで、お互い好きだって思ってる事は確認し合いました」
「なるほど」
「端的過ぎるわ!!」
「詳細はよ」
「ホッとしたような不安にもなるような……」
「鋼の平常心……!」
清川家に帰って来た二人は、まず弓奈の泣き顔がバレた事で芽衣が風呂へと直行させられ、ついでに亜依が一緒に入ると主張した為、現在二人は入浴中である。正辰は買ってきたものとお釣り、レシート等を手早く片付けた直後に逮捕され、現在事情聴取中の身となっている。
「ひとまず、お互いの気持ちは確認した上で、両思いである事は否定しないけど今はまだお互い大事な時期という事もあって大っぴらに付き合うとかは時間を置こうという結論に至りました。具体的に言うと、お互い10万人登録超えた辺りで」
「バズったらすぐだよ?」
「要の基準だとそうだろうけど、新人二人だぜ。つっても廻叉もお嬢もそこそこ注目株ではあるけどな」
路上での告白の後、弓奈が落ち着いた後にそう話し合った結果を報告すれば、全員がどこかで安心したような表情になっていた。悲劇的な結末には至らず、ただ劇的な展開にもならない、ある程度穏当な落としどころを二人で見つけてくれた事が安心感に繋がっていた。
「でもホッとしましたよ……先輩と同期が拗れたりするとこ見たくないですもん」
「……それも含めてご心配おかけしました。弓奈さんとは節度を持って、それでいて今までより若干近い距離感で接していきたいと思います」
「誠実に言ってる風だけど溺愛宣言だよね、それ」
「若干ってどれくらいだよ、おい言ってみろこっち向けマサ」
このタイミングで黙秘権を行使した正辰の姿にダル絡みを始める竜馬、という良くも悪くもいつものRe:BIRTH UNIONの空気感になった。それに心地よさを感じながらも、甘えてはいけないと内心で自省と自戒をしつつ、路上での誓いを思い返す。
これだけは何があろうと今は話す気はない。
二人だけの、誓いだからだ。
『いつか、俺達がVtuberとして誰からも認められるようになったら、ちゃんと付き合おう。誰にも文句言わせない存在になってみせるから』
『はい……ステラさんくらい、凄いVtuberになりたいです、私も』
『なれるさ。星に憧れてこの世界に入って来たんだ。俺らも星にならなきゃ……ああ、そうだ、廻叉からもユリアさんに一言あるらしい』
『廻叉さん、から?』
『ユリアさん、いつか私達が星になれたら……貴女には、私の主になって頂けますか?』
『……はい、喜んで。私も、廻叉さんに相応しい令嬢になってみせます』
冬の夜空、星と街頭が瞬く路上で、二人は将来を誓い合った。
最終回みたいな雰囲気ですがまだ続きます。
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