「鏡の中の自分・画面の中の自分」
中々精神的なコンディションが上がらず苦労していますが、書き上がった直後の高揚感で浮き上がれる気がします。
「旭さん、結局私のボイスを買われたんですね」
「ああ、うん。システムボイスの方を」
Re:BIRTH UNION運営企業でもある映像企画会社リザードテイル事務所。半ば所属タレントの溜まり場と化しつつあるミーティング室で正時廻叉が通話を行っていた。相手は今回の舞台用音声案件が依頼された切っ掛けでもある役者・旭洸次郎だった。
「最初の読み合わせの時点で誰か所属の女優か、声優さんにお願いしようってあってな。AIボイスのイメージってこんな感じですか、って具合に俺が持ってたノーパソの廻叉くんの音声流したら演出家の方が『理想のAIボイスだ。この人にお願いしよう』と」
「なんでそんなボイスを持ってるのか聞かれませんでしたか?」
「聞かれたけど、元々俺は各務原さんのファンだからな。そこから経由で廻叉くんを知って、面白いボイス売ってるのを知って買った。そのボイスを仕事で持ち出す為のノーパソの音声として設定したってだけの話だよ。『前世』での繋がりは一切話していない」
「それは、ご配慮いただきありがとうございます」
「俺だって一ファンだ、そのくらいの機微は弁えてるさ」
自身にオファーが来た経緯を確認しつつ、その内容が過去のコネクションによるものではなく、一つのサンプルとして旭が聴かせた音声がたまたま本採用されただけという事に安心を覚えていた。互いに後ろめたさを抱えているだけに、罪滅ぼしとしてのオファーであれば断るつもりだった。しかしそういう形ではないのであれば(例えそれが旭の建前であったとしても)断る理由はない。改めて印刷した台本に目を通しながら、嘆息する。
「では、これから録音に入ります。無加工の物と、ある程度こちらのMIX担当者が加工したものとそれぞれ送ればいいでしょうか?」
「ああ。最初にオファーのメールを送ったアドレスにお願いします」
「畏まりました。では、暫しお時間を頂きますのでよろしくお願い致します」
通話を切ると同時に再び大きく息を吐く。かつての先輩であり、頼りにしていた先輩俳優と『正時廻叉』として会話をする、という状況に神経を使ったのか、その表情に余裕はない。
「こういう形で現実の舞台に上がる事になるとは。人生とは分からないものです」
「いや、全くもってその通りだね。お疲れー」
独り言に返事が返ってきた事に身構えると、そこに居たのは同期の魚住キンメだった。肩から掛けた鞄からはスケッチブックが覗いており、その中には恐らく画材も大量に入っている事が見て取れた。
「キンメさんでしたか」
「そうそう、キンメさんだよー。ちょっとグッズ系のデザインが決まらなくて気分転換と意見交換に来たんだけど、みんな忙しそうでねぇ」
彼女が親指を指した先は動画制作部を中心に、一心不乱に仕事に励む社員たちが居る。年末のフェス以来、全体的に問い合わせや案件の提案がいくつか来ている他、コラボの誘いが劇的に増えていた。直接所属タレントへとゲームコラボの提案が来ている他、事務所を通さなければいけないレベルで大型の案件もある。特に石楠花ユリアへのオファーが極めて多い。
「仕事始めからずっとこの調子ですからね。佐伯さん曰く、カウントダウンフェスの途中からコラボへの誘いのメールやメッセージが大量に来ていたとかなんとか。特にユリアさんは凄いバズり方をしましたからね」
「年末の漫才大会の優勝者かな?いや、私も歌コラボとイラスト依頼結構来てるんだよね。中には『Vtuberデビューを考えている者です。立ち絵、2Dモデルの依頼は出来ますか?』なんてのもあってさぁ。流石に諸々考えた上でお断りしたけど」
「正直、賢明な判断かと。イラストレーター歴はともかく、Vtuberとしてはデビュー半年でそこまで責任を負う必要はないと思います」
嘆息しつつも、自身の台本に目を落とす。かつての先輩である役者の名前の他、スタッフ欄に自分の名前がある事に何とも言えないむず痒さと高揚感が溢れる。尤も、それを表に出す事は無かった。
「んー……なんていうか、敢えてこう呼ぶけどさ」
対面に腰を下ろし、スケッチブックと画材を広げるキンメがどこか言い淀むような物言いで廻叉の顔を見る。台本からキンメへと視線を上げると、キンメがどこか曖昧な笑みを浮かべている。
「境くん、どんどん廻叉くんに寄ってるよね。一人称もそうだけど、表情も。夏に会った時より、無表情になってる」
「……あー、やはりそうですか。なんとなく、自覚はあったんですが」
初めて境正辰が苦笑いを浮かべた。しばらく前からそのような兆候がある事には自覚があった。だが、改めて身内とも言える相手から指摘されるまでになっていったとは思わなかった。最初は役柄として始めた事は否めないが、半年続けるうちに境正辰と正時廻叉の比率が明らかに変化しているのも確かだ。
「明らかに同一化進んでるなーって思ったのは、こないだの悩み相談配信かな。流石に自分の顔を『遺影』とか言い出すとは思わなかったしさ」
「あー……身バレ顔バレなんて気にしてないという意図だったんですがね」
「正時廻叉の存在を大事にしてるのは分かるけど、同じくらい境正辰も大事にしなよ?バーチャルでの活動だけで生きていくには、まだちょっと時代が早いと思うからさ。まだ、境正辰は居るんだよ。今、この瞬間に」
「……そうですね」
ペンを走らせながら淡々と諭す言葉に、廻叉は何も言い返せず、小さく返事をする事しか出来なかった。他者から見れば自分は現実を少し蔑ろにしているように見える、という事実が刺さる。現実で得られなかった成功をバーチャルの世界で叶えようとするあまり、現実がバーチャルの付属品になりかけていたようにも思えた。
「……ありがとうございます。言われて気付く事ってあるんですね」
「っていうか、気付いてて放置してたでしょ」
「……はい、仰る通りっす……」
礼を言うも、即座に飛んできたカウンターが放たれ、心の顎を正確に撃ち抜いた。今度こそ廻叉は項垂れてテーブルに突っ伏した。そんな様を見て、堪え切れずキンメは笑いだす。久々に、彼の人間らしい仕草を見た気がする。
「うんうん、そういう感じでいいんだよ。少なくともここではさ。ここではみんな、正時廻叉の事も境正辰の事もよく知ってるんだから。っていうか、常時廻叉モードだとたぶんウチの娘が怖がるからやめなさい。わかったか」
「あ、主に亜依ちゃん案件でしたか……」
「そうだよー。今月中にみんなを家に連れて行こうと思ってたからさ、新年会がてら。懐いてたお兄ちゃんが無感情モードになってたら戸惑うでしょうが。あ、お年玉は最大でも万札一枚までね。一応、お年玉は亜依本人に管理させてるからね」
「わかりました……流石ママだ、本当に」
「やかましいわ」
先ほどまでの忠告がほぼ自分の娘への配慮に基くものだったと知って、廻叉は自分の肩や背筋から急激に力が抜けていくのを感じた。
※※※
『乗務員認証ヲ行イマス――指紋、並ビニ網膜認証ヲ開始――承認ニ成功シマシタ』
『ヨウコソ、太陽系外縁調査宇宙艇・ALBIREOヘ……私ハ基幹AI・Like A Human……ラフ(LAH)、トオ呼ビクダサイ』
『歓迎シマス、我ガ友ヨ。長キ旅ヲ、共ニ行キマショウ』
正時廻叉の自宅。彼はスタジオで録音した音声を改めて確認しながら台本を眺めていた。
あらすじは、SFでありサスペンスホラー、宇宙船を舞台にした密室劇だった。登場人物は優秀な宇宙飛行士三人。そんな中、唯一の部外者であるのが宇宙船ALBIREOのAIである『Like A Human』だった。乗船した三人の宇宙飛行士は固い信頼と結束を持っていたが、度重なるトラブルと「人間らしくなりたい」というラフとの会話により疑心暗鬼を積み重ね、少しずつ壊れていく。
そして、一人が船外での活動中に不慮の事故死を遂げる事で決定的な破滅へと向かって行く。そして、最期は互いに殺し合う形で全滅する。そんなあまりにも「人間らしい」末路の一部始終を目撃したラフによる台詞で幕が降ろされる。
『人間ハ、人間ノ心ハ、コンナニモ脆イノデスネ……ハハハハハハハ!!!!』
「人間のように」と名付けられたAIが「人間の悪性」のみを学習したことで人間同士の対立を煽り全滅へと追いやる。そして、ラフによる笑い声(LAUGH)が響く中暗転する――救いようのないバッドエンドの舞台だった。
「バッドエンドとハッピーエンドを交互にやっている、とはお聞きしましたが今回はまた酷いバッドエンドですね、これ」
いっそ感心するように呟き、台本を閉じて音声ファイルを停止する。ここまで真っ直ぐに破滅へと突っ走ると逆に爽快感すら覚えるレベルだった。
「……宣伝してもいいものなのでしょうか。下手すると初観劇された方がトラウマを抱えて帰る羽目になるのでは」
とはいえ、自身にとっては初の案件である。宣伝をしない訳にもいかず、公式サイトでのチケット情報と同時にあらすじも確認するように、という注意喚起の文章を添える事で予防線とすることにした。情報解禁日にはSNSへとアップできるように下書きを済ませ、TryTubeを開く。
『うーん……ここは、こうして、こうかな?……出来た……!』
年末のイベントで大きく知名度を伸ばした後輩である石楠花ユリアがゲーム練習配信をしていたので覗いてみると、文字を埋めて言葉を作る有名なパズルゲームだった。じっくり考えながら試行錯誤する様はとても微笑ましい。ふと同接人数を見ると、1,000人を超えている。
「しかし、ユリアさんバズりましたねぇ……うーむ、これはゲーム紹介企画も相当注目されるでしょうし……」
石楠花ユリアと、にゅーろねっとわーく所属如月シャロンによるゲームコラボ企画の初回は来週だった。廻叉は既に『天の声』として出演することが決まっている。基本的には二人にゲームを紹介して、簡単なプレイ方法のレクチャーを行い、ゲームプレイ中は黙って見守るだけという仕事だった。尤も、合計三回まで『お告げ』という形でヒントを貰う権利が二人には与えられており、その際のみゲームのヒントなどを与える事が出来る。あとはエンディングトークに出るくらいだった。
新人の域を出ていない二人ではあるが、人気急上昇中と言って差し支えの無い二人である。手助けは最低限しつつも、基本的には二人の良さを出すという形で収まった企画だが、だからこそ初回の天の声役の責任は重い。
初回で、今後の企画の方向性が決まると言っても良いからだ。
「操作性の良さ、取っつきやすさから考えると……まぁ例のピンク玉に登場して頂くとしますか。初回ですし、王道こそ正義です正義」
京都方面に一礼しつつ、一度席を立つ。長い事台本と睨み合っていたせいか、目の疲れが酷かった。顔を洗って改めて配信巡りに向かうつもりだった。明日は自身の配信があるので、そこで何を話すかも考えねばならなかった。
冬場の水道水の刺すような冷たさで、目の疲れと同時に僅かに残っていた眠気すらも吹き飛ぶような感覚だった。タオルで顔を拭い、鏡へと視線を向ける。
その顔は、境正辰の顔だった。そのはずだった。
一瞬だけ、正時廻叉の顔が見えた。
もう一度、念入りに顔を洗って鏡を見ると、そこには間違いなく境正辰の顔が映っている。
「……あー、本格的に同一化進んでるかも。さっきからずっと廻叉の話し方だったし。ちょっと意識して普通にしてないと本当に呑まれるな、これ。台本よりよっぽどホラーだよ、本当に」
境正辰としての独り言を溢しつつ、机へと戻る。ヘッドフォンを着けて、最小化していたブラウザを最大化する――その前に手を止めて、とあるフォルダを開く。自身の記念配信用の動画ファイルや画像データが収められたフォルダだった。その中の、『LAST』というフォルダを開ける。
その中は、たった一枚の画像が入っているだけだった。開いて、改めてその顔をじっと見る。
「廻叉、お前が素顔を見せたら……俺とお前の、どっちが魂の主導権握るんだろうな。ちょっと怖くなってきたよ」
その画像は、彼の2Dモデルのデザインを行ったMEMEによる正時廻叉の正面立ち絵だった。ただ、そこには今までにあった物はない。
顔の右半分を隠す仮面が、存在していなかった。
「どちらも私であり、どちらも貴方でしょう。何を分かり切った事を……とか、言いそう」
苦笑いを浮かべて、画像ファイルとフォルダを閉じてユリアの配信視聴へと戻る。とても楽しそうな声は、彼女の飾らない人柄が感じられる。やはり、今の自分では彼女の様にありのままの姿で配信を行ったりは出来ないと正辰は考える。
結局のところ自分もまだ新人の域であるという事を、改めて実感するしか出来なかった。今の彼に出来る事は、彼女とその親友が一緒に遊ぶ企画を、よりよい物にする為に準備することだけだった。
これくらい入り込めたら幸せだな、という作者の願望が溢れた回でした。
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