「閉じた世界の住人は、世界の広げ方を知る」
お待たせいたしました。仕事等でモチベーションが乱高下しておりましたが、何とか完成いたしました。
そろそろ彼女にスポットを当てたいと思っていたので、ようやくという気持ちが強いです。
Vtuberとは「バーチャルTryTuber」の略であり、動画配信サイトTryTubeを中心に活動している。他の動画配信サイト等が無い訳ではないが、TryTubeに大きく水を開けられているのが現状だ。機能的な問題もあるが、何よりもユーザー数が文字通りの桁違いであることが原因である。TryTubeでのライブ配信で5,000人を集めるTryTuberが、別の配信サイトを利用した結果、同時接続数はおよそ半分になり、その上視聴者数の多さでサーバーに負荷が掛かってしまうといった事もあった。
「現状、僕らが活動を行うのに最も適しているのがTryTubeというだけであって、より良いプラットフォームがあればそれに越した事はないよね。TryTubeは僕達の為だけの場所じゃないんだから」
GAMMAは少し温くなったお茶を啜りながら、淡々と語る。Re:BIRTH UNIONの面々は真剣にその話を聞いていた。かつて電脳技師という二つ名で呼ばれ、軽量3Dモデルとそれを動かす為のソフトをフリーソフトとして配布するなど、界隈の技術革新には必ず彼の名がある程の存在だった。そんな彼が見る理想形の未来に、興味がない筈がなかった。ミーティング室は、まるで予備校の講義のような様相だった。
一方で、既にその話を知っているステラとNAYUTAは旧交を温めていた。この一角だけが、女子校の休み時間のような空気感だった。
「ナユ、大分日本語上手くなったね。昔はもっとこう、単語を繋げたような話し方だったのに」
「これが、きこくしじょの、ほんき」
NAYUTAは生まれてから16年間をアメリカで過ごし、高校2年生からの卒業までの間だけ家族の仕事の都合で日本にやって来た。父はアメリカ人、母は日本人とアメリカ人のハーフであり、当然だが家族間の会話は英語であり、日本語の習得には大分苦労していた。
「日本語発表会のつもりで始めた電子生命体が、今となってはVtuberの始祖。君の人生も波瀾万丈だね」
「ぱぱのおかげ。がんまは、わたしのせんせいで、ありすのうさぎさん」
「ああ、家庭教師にってナユのお父さんが自分の教え子であるガンちゃん連れてきたんだっけ?そのガンちゃんがアバター配信っていう不思議な世界に連れて行った、と」
自分とNAYUTAとの出会いを再確認するような会話が耳に入るも、GAMMAはなんとか平静を装って話を続ける。不思議の国のアリスに登場する白兎に自分を例えるのは本当に気恥ずかしいのでやめて欲しいのだが、彼女が悪意どころか100%褒め言葉として使っているのが分かる為、彼は何も言い返すことが出来なかった。
「ゲームやアニメに出てくるようなフルダイブシステムは流石に来世紀くらいの技術になるだろうけど、HMDを使ってバーチャル空間を体感する事は、もう既に出来ている。あとは、それの敷居をどこまで下げれるか。電車に乗るのと同じくらいの気軽さでVR空間に出入りできるようにしたいんだよね。そして、その中でより自分らしいアバターで生きていけたら……きっと、もっと自分や他人に向き合えるようになるような気がする」
四谷とユリア、キンメが目を輝かせてその話を聞き、龍真と白羽、廻叉は思う所があるのか沈黙している。複雑な空気を察してか、GAMMAがパンッと手を一回叩く。
「まぁ、でも少し遠い未来の話だよ。今のVtuberの在り方も『自分らしさ』の表現としてはアリだと思うし、そこを否定するつもりもない。僕らがVtuberと呼ばれることに抵抗もない。ただ、ほんの少しだけ先を考えてるってだけの話だよ。まずは年末のフェスで、盛大に復活の狼煙を上げないといけないからね」
「GAMMAさんも、その、歌うんですか……?」
「一応ね。素人のカラオケレベルだけど、演出だけは最上級の物を作り上げるつもりだよ。でも、僕の歌はどちらかといえば前座で、本命は、NAYUTAかな?」
「ん、わたし、うたうよ。たくさん、れんしゅうした」
そう言って、NAYUTAはその場で歌い始める。拙い日本語とは真逆の流暢な英語の歌だった。誰もが知っている世界的なアニメ映画の曲だ。数年前はテレビを付ければこの曲が流れていた、と言ってもいい程に知れ渡った曲である。
「……どう?」
「凄いです……!」
「Vtuberになって、良かった……!!」
「うわぁ、ハードルが上がる音がしたよ……」
「だからこそ、飛ぶんだよ」
「そのとーり」
目を輝かせて素直に称賛するユリア、人生の絶頂期を迎えたかのような表情のキンメ、トップ層のレベルの高さを実感する四谷と、三人がそれぞれの反応を返す中、1期生の二人は拍手を送りつつもむしろ挑戦的な表情を浮かべている。音楽というジャンルで負けたくない、という感情が表情に滲んでいる。
「ステラ、良い仲間を見つけたね」
「だろう?私の自慢の友達だよ」
「昔の危うさというか、捨て鉢感は大分なくなったよね」
「うん、あの頃の話をされると胃が痛むからやめてくれないかな?」
それぞれの反応を見せるRe:BIRTH UNIONの面々を眺めながらGAMMAがステラへと話しかける。デビュー時期や活動休止のタイミングなどで活動期間は殆ど被っていない二人ではあったが、それなりに接点は持っていた。ソロ活動だったころとの比較を持ち出されれば、ステラは分かりやすく嫌がったが、実際にGAMMAの目から見て、目に見えて彼女の表情や声色が明るい事が分かった。少なくとも、それだけで日本に来た甲斐があった、と思える表情だった。
「私も早く、何を歌うか決めないと……」
「はやく、きめなくて、いい」
「え?」
独り言のように呟いたユリアの言葉に、NAYUTAが突如横に来てそう言った。目を白黒させたまま、気の抜けた返事をしてしまう。NAYUTAはじっとユリアの目を見つめている。
「きみが、こころからうたいたい、っておもううたを、うたうべき」
「……心から、歌いたい歌」
「そうですね。私としても、ユリアさんが本気で歌いたいと思った曲を聴きたいと思いますから」
湯呑を片付けていた廻叉が不意に口を挟み、心臓が跳ねる音を聞いた。
「か、廻叉さん……!?」
「歌がメインコンテンツでない私が言うのも烏滸がましいですが、自分らしい曲である事が一番大事だと思います。勿論、流行の曲を歌う事は悪い事じゃありませんが、私は『その人』らしさが出る選曲の方が印象に残ると思います。私も、以前に出した曲はそれを重視しましたから」
「『Wraith』……しつじさんと、すてらが、うたってた。すごかった」
NAYUTAが頷きながらそう言うと、今度は廻叉の心臓が跳ねた。
「ありがとうございます……まさか見てらっしゃったとは」
「すてらのうた、すきだからぜんぶみてる」
「コラボ企画の曲でしたからね」
「でも、やっぱりそれくらい印象に残ってる、って事ですもんね……」
自分という存在をファンの人や、自分を始めてみる相手に印象付けるにはどうするべきか。今の時点では答えは出なかったが、もっと視野を広げるべきかもしれない。ユリアはそんな風に考え、小さく頷いた。
「ありがとうございます。その……何か、私らしい曲を妥協せずに見付けたいって、思います」
「ええ、期待してますよ。でも、締め切りには間に合わせましょうね」
「は、はい……!」
「しつじさん、せんせいみたい」
決意の言葉を受け入れつつも、忠告を入れる廻叉。ユリアは、廻叉さんは優しいけど甘やかさない人だ、と改めて実感する。だが、期待してくれている事は素直に嬉しいのか、自然と語気に力が入った。そんなやり取りがNAYUTAには教師と生徒のやり取りの様に見えた。
数十分後、NDXの二人は事務所を後にした。次に彼らとRe:BIRTH UNIONが出会うのは、年末のカウントダウンイベント当日だった。その日、日本は『New Dimension X』の衝撃を味わう事になる。新次元の到来は、新時代の到来と同義だった。
※※※
自宅のパソコンに接続された電子ピアノの前で、石楠花ユリアこと三摺木弓奈は今日の出来事を思い返していた。年末のイベントの事で打ち合わせに行き、Vtuberという世界における伝説の様な存在に出会った。短い会話の中で、彼らの考え方や感性の一部に触れただけに過ぎないが、それでも収穫は大きかった。
自分が今居る世界を形作った二人は、自然体でありながら理想に燃えているように弓奈には映った。GAMMAの語る未来はスケールが大きく、NAYUTAは誰よりも自由であるように思えた。既に今から二人がカウントダウンフェスで何を見せるのか、楽しみで仕方なかった。
だからこそ、自分が何を見せるのか悩んだ。
「でも、私にはピアノしか無い……」
自己評価の低さは、一時期に比べれば大分マシになってきた自覚はある。だが、Re:BIRTH UNIONの仲間たちや、同業他社のVtuber達、そして今日出会った二人に比べてしまう。きっと、自分は広いバーチャル世界の中でもちっぽけな存在なのだろう、と考えてしまっている。
TryTubeを開き、片っ端からピアノの楽曲を探していくがこれだという物が見付からない。自分らしさもそうだが、自分が伝えたいものがまだハッキリしていないように思えた。
「……洋楽も、探してみようかな」
洋楽には詳しくないにも関わらず弓奈がそう考えたのは、NAYUTAが事務所のミーティングルームで歌った姿を思い出したからだった。英語は不得意ではないが得意でもない。だが、日本語の方が伝わるのではないかという考えから、洋楽を検索から除外していた。
「自分から、選択肢狭めてたらダメだよね……」
洋楽に明るくないにも関わらず、そう考えるようになったのも今日の出会いが影響しているのだろう、と弓奈は思う。狭い世界に閉じこもっていた時と、今の自分とを比べると、随分と前向きになったな、と思えた。
検索結果の羅列を眺めながら取り留めのない考えばかりが浮かぶ。いくつもの曲を再生し、歌詞の和訳を調べ、手元の電子ピアノで実際に弾いてみる。メロディを口ずさみながら。そんな風にして、時間は過ぎていく。気が付けば時計は深夜になっていた。
弓奈は考える。こんな時間まで、こうして頑張れるのは誰の為だろうか。
自分の為である事は否定しない。否定できない。
だが、決してそれだけではない。
Re:BIRTH UNIONの仲間たちの為?
Vtuberという世界の為?
ふと、自分の過去の配信アーカイブを開いた。ピアノの弾き語りの練習配信だった。リアルタイムのコメントとは別に、アーカイブ自体へのコメントも沢山ついていた。
《いつも一生懸命なの見てると励まされる》
《時間を忘れて観てた》
《嫌な事があったユリアさんが頑張ってるのを見てると、私も頑張らなきゃなって思う》
自分はちっぽけな存在だと思う。そんな自分でも、自分のピアノと歌で、誰かの励みになれている。
そんな大切な人たちの為に、歌いたい、と弓奈は思った。涙が零れそうになるのをこらえながら、再びピアノの楽曲を検索していく。
そして、その曲に辿り着いた。自分が産まれるよりずっと前の曲だった。歌詞は分からなかったが、そのミュージックビデオがまるで一本の映画の様で、彼女は瞬きすら惜しむように見つめていた。歌詞の意味は、断片的に聞こえる単語や、サビの分かりやすい部分しかわからなかったが、それでも伝わって来るものがあった。最後に、和訳の歌詞を見て、とうとう涙が零れた。
自分が歌いたい曲が、見つかった――。
その日、彼女は朝までその曲を弾き続けた。拙い英語で、歌詞を口ずさみながら。
※※※
数日後、イラストレーター・九重ヒカルの下に動画用イラストの依頼があった。依頼人は、自身の『娘』である石楠花ユリアだった。
『バーでピアノを弾いて歌っている私のイラストをお願いします。歌う曲のデモも一緒に添付します。よろしくお願いします』
「未成年なのにバー?」と彼女は訝しんだが、デモとして送られてきたmp3を開き、その曲を聴いた瞬間に彼女はイラストレーションソフトを立ち上げ、ペンを走らせていた。このカバー楽曲は、ユリアの代名詞になるという予感があった。
九重ヒカルが得たその予感は、12月31日に的中する。
そのカバー動画は、Vtuber界隈内外で大きな反響を呼び、後に100万再生を達成する事になるが――
石楠花ユリアも、九重ヒカルも、今はそれを知らない――
ユリアが歌っている曲は、実在の曲です。恐らく小説内の情報だけでも分かると思います。
執筆に行き詰った時にこの曲を聴いたことで一気に書き上げる事が出来ました。
ちなみにNAYUTAが歌っている曲も実在です。城を建設しながら歌う曲です。
御意見御感想の程、お待ちしております。