「星の歌姫の憂鬱」
前回の後始末編です。
後始末しなくてはいけない人と、しなくてもいいのに手伝う人の話です。
星野要。俗な言い方をすれば、ステラ・フリークスの中の人である。背は低く、全体的に小柄。ミディアムショートの黒髪に眼鏡を掛けた、可愛らしくもどこか地味な印象を与える女性である。服装も相応にシンプルで、華やかさを敢えて排除したような恰好をしている。そんな彼女が、リザードテイルの配信用ブースで机に突っ伏していた。
「……やっちゃった」
ハロウィン企画動画の舞台裏を語ると同時に、Re:BIRTH UNION全員の新衣装お披露目となった配信はひとまずは成功という形で終わった。ただし、比率として低評価も普段よりも若干多く、コメントでもとある一幕への手厳しい、或いは無遠慮な言葉も少なからずあった。
ステラ・フリークスが後輩・石楠花ユリアの未公開情報を暴露し、それに対し正時廻叉がその場でステラへの諫言・説教を行い謝罪させたという一幕だ。ステラがその場で謝罪をし、ユリアもそれを受け入れた事。また、暴露された情報の詳細がWeb記事のインタビューで明らかになる事を廻叉が告知した事でその場では丸く収まった。その後も配信は続いたが、それ以上空気を悪くすることもなく配信は終了したが、ステラ・フリークスから星野要へとスイッチが切り替わった瞬間、彼女は罪悪感と無力感に飲み込まれた。
「いつもこうだ、私は……」
視線をモニターへと移し、マウスホイールを回す。コメント欄には配信全体への好意的な感想が溢れているが、やはり辛辣なものの方がどうしてか目に入ってしまう。それ以上に彼女が罪の意識に苛まれているのは、正時廻叉や石楠花ユリアを非難するコメントもあったからだ。自分自身の不用意な発言で、大好きな後輩達が攻撃されている。その事実が、とても辛かった。
「ステラ、いや、要。お前の生配信を少なめにしてる理由、わかった?」
「……嫌になるほど」
配信のアシスタントを行っていたスタッフは既にブースから退室している。一人きりだと思っていた要の背後から声を掛けたのは、統括マネージャーの佐伯だった。ごく一部にしか知られていないが、この二人は従兄妹の関係にある。要の才能を昔から知っていた佐伯が、リザードテイルがVtuber事業への参加を決めたタイミングで彼女をスカウトし、現在に至っている。
「具体的にはどういう理由でだと思う?」
「相手の気持ちや状況を考えないで話すところ。話していい事と、悪い事の区別がつかなくなるところ……ユリちゃんには、今度面と向かってちゃんと謝る……」
「……まったく。分かってるのに、興が乗ってくるとやっちまうんだよな。今回、正辰くんがすぐに諌めてくれたから良かったものの、場合によっては大炎上まであったって事を自覚するように。あと、SNSでいいから謝罪文書いとけ」
「ごめん……」
「俺にじゃなくて、みんなに言うべきだな。リバユニの全員と、リバユニのリスナー達に。俺らスタッフは多少迷惑かけられるのなんて承知の上だからいいけどな」
再び突っ伏してしまった要の髪を軽く撫でる。彼女は抵抗こそしないが、不本意そうに小さな唸り声を上げた。
「久兄、私もう子供じゃない……」
「成人したばっかりなら、まだ子供みたいなもんだ」
星野要の年齢は20歳で、Re:BIRTH UNIONの中では下から二番目だった。一期生、二期生は全員、年上の後輩だった。だからこそ、自分と年齢の近い年上である四谷、年下のユリアに対しての距離感を必要上に近付けてしまっていた。それまでは裏での通話であったり、事務所での対面であったので問題は無かった。結果的に、コラボ配信でユリアが配信で話していない事を話してしまうという失態を見せた。
「例えば本名を話したとか、竜馬くんや翼さん、圭祐くんがVtuberになる以前の名義を話したりしてたら、もっと大変な事になってたぞ。ステラ・フリークスの奔放さは長所だけどな、だからこそこういう事にはもっと注意して」
「分かってる。分かってるよ……!」
再び突っ伏してしまう要の姿に、佐伯は何も言えなかった。統括マネージャーとしての立場がある以上、配信上で注意を受けたからお咎め無しという訳には行かない。彼女がしてしまったのは、軽度とはいえ情報流出だ。最低でも厳重注意は必要なのだ。
だが、ここまで気に病み、罪悪感を持っているのは佐伯にも予想外だった。つい十数分前まで、傲慢の罪を名乗っていたステラ・フリークスの面影はない。元々、ステラの性格は要の性格をやや誇張したものだ。煙に巻くような物言いや、歌に対する尋常でないまでの熱意、後輩やスタッフも含めた身内への期待と信頼、それに伴った無茶ぶりやハードルの上げ方……全て、星野要が元々持っていたものを、ステラ・フリークスとして増幅させたものだ。
そんな彼女が、失意の底に沈み切ってしまっている姿を見るのは、佐伯の胸が痛む。こういう彼女の姿を見るのは何度もあるが、Vtuberになってからは初めてだった。
「なーに凹んでるんだよ、ステラ様」
突然背後から聞こえた声に驚いた佐伯が声にならない声を上げた。振り返ると、そこには三日月龍真……の演者である弥生竜馬が開けた扉から半身を乗り出していた。
「りょ、竜馬くん!?え?今日参加してたの家からだったよね!?」
「元々スタジオをこの時間から予約してたんですよ。ラップアレンジの歌ってみた用で。っつーか、前にその辺の連絡入れたはずっすよ?あと、俺んちとスタジオ、チャリで七、八分で着く距離なの知ってるでしょ」
「……あ。ごめん、そうだったそうだった。配信前にそっちの準備も指示してたんだった」
「久丸さんらしくねぇなぁ……たぶん、忘れてた原因、その子っしょ?」
「はっはっは……お察しの通り」
竜馬がブースへと入り、机に突っ伏したままのステラへと近付く。普段なら笑みを浮かべて、少し偉ぶったような挨拶を飛ばしてくるステラが、要がなんの反応も示さない事に竜馬は嘆息し、配信用デスクの傍にあった小さな丸椅子を引っ張ってきてそこに腰を下ろす。
「あのなー、ステラ様……いや、この場では要ちゃんっつった方がいいか。なんで要ちゃんが今回あんならしくないポカやらかしたか、って話だろ?」
「……私が迂闊で、距離感の計り方も出来ない馬鹿だからだ」
「違ぇよ。要ちゃんが俺らと本当の意味で仲良くなったからだ」
「……え?」
机に突っ伏したままだった要が顔を上げ、竜馬の方を見る。彼はデスクを背もたれにしながらこちらへと視線を向けている。怒っているでも、失望しているでもない、いつも通りの竜馬の顔だった。
「初めて通話や配信で絡んだ時なんて、俺も翼も馬鹿みてぇに緊張してただろ?マサや芽衣さんだってそうだった。俺らにとって、『ステラ・フリークス』は特別で、浮世離れした歌姫様で、Vtuberとしてキャリアも実績も桁違いに上の存在だった。でも、歌コラボしたり、何度も事務所で顔合わせたりしてる内に、ちょっとずつ変わっていったろ?」
言われてみれば、と要は思い出す。初めて通話をした時も、声を引っ繰り返すほど緊張していたのは目の前のこの人だった。最終面接では、マイク片手に自身の持つ熱量を全て吐き出すようなパフォーマンスをした男性が、年下の先輩である自分に必要以上に緊張している姿が、妙に面白くてついつい揶揄うような事も何度かした記憶が、要にはある。
「要ちゃんが俺らより年下……っつーか、リバユニ最年少って知った時は正直ビビった。でも、才能に年齢は関係ねぇってことは、ラッパーやってた時からよく知ってる。リスペクトしてるよ、前から今までずっと。そこまで畏まらなくていいって言われても、暫く敬語取れなかったしな」
「……廻くんは、まだ敬語」
「あれはアイツのキャラだからいいんだよ。フランクにしてくれって言われてんのに敬語続けるのは俺のキャラじゃねぇからそうしてるだけ……いや、そういう話じゃねぇや。うん。確かに俺らはVtuberとしては先輩後輩の立場だ。登録者数も未だに十倍差あるしな。でも、仲間で、友達だろ?」
「……友達」
「ああ、友達だ。お嬢なんて年下で後輩だから、もっと仲良くしたくなったんだろうなぁってのは伝わって来た。だから、つい話を広げようとして、インタビュー録音してた時の話をしちまった。……あのやらかしに悪意なんか全然ないなんてのは、お嬢も含めたリバユニ全員が思ってる事だよ。たぶん」
「そこは言い切ってほしいところだけど」
「他人の頭の中を代弁する程傲慢にゃなれねぇよ。俺は俺の中にある言葉しか言えねぇもん」
「流石はラッパーだね。バーチャルなのに、リアルに重きを置くんだ」
「バーチャルこそが今の俺のリアルだよ。調子出てきたじゃねぇか、ステラ様?」
会話というよりも、竜馬が一方的に語り掛けていただけに近い。しかし、要がそれに少しでも答えればそれは会話だ。一つのアンサーさえあれば、それを十にも百にもして返す。MCバトルで竜馬が散々やってきた事だった。結果的に彼女が多くの言葉を返すようになり、突っ伏していた顔もいつの間にかこちらを真っ直ぐに見ていたし、その表情は不敵さを感じさせる笑みだった。
「まぁなんだ、ステラ様だって失敗していいんだよ。ぶっちゃけあんな失言より白羽のカット喰らった発言のが余程酷い」
「……彼女にも反省文書かせようかな」
「やめといた方が良いっすよ、久丸さん。あいつの事だから反省文の中にセックスって単語をこれでもかってくらい入れてくる」
「眼に浮かぶのが最悪だなぁ!?」
「……竜くん」
「……あ、すまん、これもセクハ……!?」
同期が書くであろう火に油を注ぐ反省文という名の怪文書に付いて佐伯に語っているタイミングで、要に呼びかけられた竜馬は、女性の居る前で堂々と出すべきではない単語を自分も口走った事に気付く。すぐ謝罪しようと振り返った竜馬は心臓が止まるような思いをした。
星野要が泣いていた。
「(佐伯さん、どうしよう!?)」
「(呼ばれたの俺じゃないし。竜馬くんだし)」
「(久丸さん!!おい!!従兄妹だろうが!!ちょ、目ぇ逸らすな佐伯ィ!!!)」
竜馬を真っ直ぐ見据えたまま、ぽろぽろと涙をこぼす要の姿に、彼は思わず佐伯の方に視線を向ける。要と佐伯が親類縁者である事を知っている竜馬は、すぐさま身内に助けを求めたのだ。だが、しれっと視線を外され、梯子も外された。
「……あー、どした?」
「私は、失敗してもいいの?完璧な、歌姫じゃなくても、いいの……?みんなの望むような、ステラじゃなくなっちゃうかもしれないのに……」
「いいんだよ。傲慢に笑ってるのも、失敗してド凹みしてんのも、等しくステラ様だよ。オーバーズの生徒会長見てみろよ。超真面目なVtuberとしての今後の展望とエンタメ論語った直後に、オフコラボで後輩の顔面を巨大ハリセンでぶん殴った話するような人だぞ。そういうのがゴロゴロ居る業界だ。むしろ、叱られると弱いなんて人気出る要素にしかならねぇよ」
「……受け入れて、くれるかなぁ。こんな、面倒くさい女……」
要の弱々しい問いかけに、竜馬は当然のようにそう言って見せた。別事務所の大看板に流れ弾が当たりはしたが、自分の事務所の看板の方が大事なのは当然だ。だから、竜馬は彼女の言葉を肯定する。涙ながらの、自嘲交じりの言葉にも竜馬は、迷うことなく肯定した。
「その面倒くさくて才能に溢れた女に惚れた奴らが集まったのが、Re:BIRTH UNIONだろ?」
要は今度こそ大声を上げて泣き始めた。竜馬が狼狽しながら佐伯を見るが、彼は苦笑いを浮かべたままだった。その表情は「泣かせてあげてくれ」と言っているように思えた。竜馬は観念して、彼女が泣き止むまでその背を撫でてやるくらいしか出来なかった。小柄なのは分かっていたが、小さい背中だと感じた。その背中にどれだけの重圧が掛かっていたのか、竜馬には想像もできない。今まであったステラ・フリークス、星野要へのリスペクトに、この背を支えてやれるようになりたいという思いが芽生えるのを、竜馬は自覚した。
翌日、ステラ・フリークスはSNSに謝罪文を投稿。Re:BIRTH UNION公式アカウントではステラへの注意を行った旨を表明。同時に石楠花ユリアも自身の配信にてまったく気にしていないと改めて意思表示を行い、三日月龍真は同じ失敗をしなければいいとフォローしつつ、次回作がカバーではなくオリジナル楽曲になる事を発表した。正時廻叉はSNSで事情説明をすると共に『全肯定する事は決してその人の為にならない』という余計な一言を書き込んでプチ炎上した。
なお、その三日後には廻叉&ユリアのインタビュー記事が掲載され、その話題に流されてあっという間に鎮火した。あまりの炎の広がらなさと鎮火するまでの早さから『執事ピコ炎上事件』として、周囲から数か月間擦られ、イジられることになるのだが、その事実を廻叉はまだ知らない――。
気付いたら距離感が近くなっている0期生と1期生のお話でした。
佐伯さんとステラの関係はまた後々掘り下げる機会がありそうです。
所謂「オリジン回」は全員分ある予定です。
そして主人公がナレーションベースで炎上した挙句、同じ行で鎮火する小説とは。