「我らの罪を讃えよ」
「東京の芸能事務所にスカウトされたのが正解なんだ。正直に言えば俺は劇団に残りたかったんだけどな……ただ、あまりにも劇団の空気が淀んでた。あの劇団で真っ当に芝居をやろうとしてたのは、俺と、正辰を含めても半分……いや、三割も居ればいい方だったか」
レンズの入っていない眼鏡を外し、顔を覆う洸次郎の姿に、居た堪れなさを正辰は感じる。いつの間にか淀んでいた空気には、正辰自身も気付いていたが自身の演技力を磨く事にしか興味を向けていなかった。故に、根腐れしていた劇団の状況を、本質的には理解していなかった。座長はしっかりしている人だから大丈夫だろう、とどこか楽観的に考えていた。
小規模な劇団の運営がどこも自転車操業だという事は、とっくに知っていた筈なのに。
「あのまま劇団に居たら、俺自身も熱意を失ってしまいそうだったし……それに、俺が東京からスカウトが来てる事を聞きつけた馬鹿が居てな……自分も紹介しろって詰め寄って来た連中も居たし、ハニトラ仕掛けて来た女も居た。ここに居たら危険だって思った。例え劇団を捨てる事になっても、このままここに居たら潰されると思ったんだ……俺が東京に行った理由がこれだ。まぁ何を言っても言い訳にしかならねぇか。お前を置いていったのが本当に心残りでな……」
「……正直、当時は劇団だけじゃなく仕事先まで同じタイミングで潰れて、本当に途方に暮れてましたよ」
「……本当にすまなかった」
当時の洸次郎がいかに追い込まれた状況だったかを聞き、劇団からいち早く足抜けした事に対する蟠りはある程度は解けた。心残りと表現する程度には、自分の事を気に掛けていてくれた事は嬉しかったが、自分自身も追い詰められた状況になってしまったのもまた事実だ。だが、もう一度深く頭を下げる洸次郎に、これ以上何か責めるような事を言える気がしなかった。
「今にして思えば、私自身も『演劇が出来る環境』があるという事自体に満足してしまっていたのかもしれません。客を呼べる役者になれば劇団にも客が入って、そうすれば自然と周囲も演技に対する意識が変わるかも――そんな、反吐が出る程甘い理想論を建前にして、何もしなかった」
「……あいつらは、変わらなかったか」
「ええ。あの人たちは劇団に所属して『舞台俳優』『舞台女優』の肩書が欲しいだけの、素人でした。演技力ではなく、心構えが素人だったと思います。その結果が痴話喧嘩に借金騒動、ああ、マルチの勧誘まで横行してましたね。劇団が潰れる直前の数週間には」
嫌でも目に、耳に入って来た劇団員たちの醜態や悪行。世にある小劇団の中でも、恐らく最悪クラスのモラルだったと、正辰は述懐する。冷たく笑いながら語る正辰の姿を、洸次郎は目を逸らさずに見据えている。
「解散の日、稽古場に居たのは座長と私と、他数人……当時は虚脱感・無力感ばかりでした。ああ、ここで夢が絶たれるのだ、という実感だけはありましたが」
「……そこまでか。俺が残ったとしても、何が出来たんだろうと思ってしまうな」
恐らく、何も出来なかっただろう。俗な悪意に呑まれ、旭洸次郎という役者が潰れていた事だけは予測できたが、正辰はそれを口に出すことはしない。当時も、そして今も、根腐れを起こした劇団員たちに対する軽蔑・失望はある。しかし、彼らに背を向けて距離を取ってきたのは自分だ。火の手が上がっているにも関わらず、消火活動を行わなかったのは、他でもない自分自身だった。
「旭さんでも、彼らでもなく、私たちの諦念があの劇団を潰したのかもしれませんね」
旭洸次郎の退団が崩壊の切っ掛けだと思っていた。既にヒビの入っていた劇団に、最後の一押しをしたのが彼の退団であると思い込むことで、自分自身が何もしていない事から目を逸らしていた。その事実に、気付いた。気付いてしまった。
「私は何をしていたんだ。……何もしていないくせに、一丁前に不幸面か」
「……責められるべきは俺だよ、正辰。劇団の中心に居た俺がもっとしっかりしていればよかったんだ」
「ですが、貴方が中心で居る事に、私も、他の面々も慣れ過ぎていました。私を含めて何人かは自分の演技にしか目を向けず、残りはそれすらもしていなかった。今にして思えば、私が旭さんの立場であっても、劇団を抜けるでしょう」
自身の無関心に苛立つように呟いた声に、洸次郎がそれを否定するが、正辰の言葉は止まらない。過去の自分の無自覚、無責任。知らなければそのまま知らないままで居られた、とも思った。だが、知ってしまった以上、目を逸らす事は許されない事だ。
これは、境正辰の罪だ。
ならば、それを裁くのは誰だ。
境正辰に対して、俺に対して今怒りを抱いているのは誰だ。
それは、私なのだろう。
正時廻叉が、境正辰の罪に怒りを覚えたのだ。
例えこの怒りこそが大罪に当たるとしても。
「……そうか、これが“憤怒”か」
「正辰?どうした?」
「いえ、こちらの話です。自分に対してキレ散らかしそうになっている自分に驚いたというか」
当然ではあるが、正辰は周囲に自分がVtuberである事を一切漏らしていない。家族には映像会社所属として、声優のような事もしているというボカした説明で誤魔化しているほどだ。旭洸次郎は信頼のできる相手ではあるが、守秘義務を破ってまで打ち明ける程の仲ではない。
「……旭さん、本当に申し訳ありませんでした。あの環境から目を逸らさず、旭さんの支えになるべきでした」
「……そう言ってくれるのか。それなら、お互いに許し合うか、それともお互いに許さないままのどちらかにしようか。片方だけが許しても、お互い辛いだろうから」
「そうですね……完全に過去の事、と割り切るには、まだ少し早いと思います。許し合うのは、もう少し後にしましょう」
境正辰と旭洸次郎の蟠りは、ひとまずは解消された。空になったコーヒーカップを見て、二杯目を注文するころには、昔の楽しかった頃の話や、今現在の洸次郎の活動についての話に花が咲いた。
※※※
「そういえば、正辰は演劇は続けてるのか?」
洸次郎の東京での活動についての会話を広げる事で、自身が話題になる事を避けていたが、とうとう捕まった。全てを正直に話す、という選択肢は最初からない。洸次郎に対して申し訳なさはあるが、いかに誤魔化すかという点に正辰の脳内リソースの大半が注ぎ込まれていた。
「形を変えて、ですけどね。映像制作会社に入社しまして、そこで声のみでの演技をしつつ映像編集の勉強中です」
「ああ、ナレーターとか声優みたいな形でって事か。お前の舞台での動き、作り込む割に自然体だからもっと見たかったんだがな」
「まぁ、機会があれば体を使った演技の機会もあるかもしれません」
嘘は言っていない。正辰は己の誤魔化しの上手さに内心で満足げに頷いた。Vtuberも解釈によってはキャラクターに声を当てる声優の様な仕事であるし、ナレーション原稿の仕事もしている。映像編集も勉強しているのは事実だ。遠い先の話ではあるが、正時廻叉が3Dの体を手に入れれば、境正辰が体を使った演技の機会を得る事には間違いない。
「しかし映像編集か。今、TryTubeが色々人気だからな。TryTuberなんていう、ネットでのタレント業みたいな人らも居るし、そういうジャンルからも仕事が来てたりするのか?」
「まぁああいう人たちは自前で編集したりしてますからね」
「俺もたまに見るんだけど、色んな人が居るんだな。それこそアニメみたいな感じでやってる人達も居るんだろ?なんだっけ、Vtuberだっけか」
漫画であれば『ギクリ』という擬音が出るレベルで正辰は動揺した。しかし、そこは持ち前の演技力の見せどころである。平然とした顔で「ああ、最近たくさん出て来てますよね」と話を合わせる事に成功した。
「女の子が多いし、年齢もたぶん俺より一回りは若いだろうから、ちょっと見てても中々テンションや話についていけなくてな。最近、俺と同世代くらいの人で話が面白い人見付けて、その人の配信はたまに見てるんだ」
「へぇ、そんな人が」
「各務原正蔵っていう、恰幅の良いおじさんなんだけどな」
「ああ、彼なら納得です実際に同世代の男性に刺さる配信がしたいって言ってましたしね」
「……詳しいな?」
話を合わせる事に意識を集中した結果、ボロが出た。コーヒーカップを口に付けたまま固まる正辰を見て、洸次郎が訝しむ。
「俺な、あの人の配信好きで全部見てるんだよ。幸い、異様に長いアーカイブも無かったしな。……でな、さっきまでは謝る事で頭がいっぱいだったから気付かなかったんだけどな?」
「……何に、気付かれましたか?」
「正辰、お前そんな敬語キャラじゃなかっただろ?あと、一人称が俺じゃなくて私になってたよな?」
正辰は、脳内に『血の気の引く音ASMR』という謎の単語が浮かぶほどに動揺した。
「で、その敬語での喋り方と声、最近聞いたなって思ったんだよ。正蔵おじさんの大型企画で」
「俺の声なんて、ありきたりな声ですよ。気のせいでしょう?」
「そうか……確かに気のせいかもな」
『誤魔化せた……!!』と内心でほくそ笑む。このまま何か話題を変えなければいけない。正辰の脳は、かつてない程にフル稼働していた。だが、
「それじゃあこの場でボイス買って確認するか」
「すいません、正直に話しますので勘弁してくださいお願いします」
洸次郎がスマートフォンを取り出した瞬間、即座に観念した。結果的に自身がVtuber正時廻叉である事を自白したが、洸次郎は苦笑いしつつもどこか嬉しそうだった。
「お前がどんな形であれ、表現の世界に居てくれて安心したよ」
更に言えば、決して口外しない旨とチャンネル登録まで約束してくれた。誤解を解く以前の、劇団員時代の先輩という間柄だった時以上に、正辰にとって旭洸次郎が頭の上がらない存在になったのだった。
※※※
「……すげぇもん来たなぁ」
「ふふ、流石の廻くんだ。一度掴んだら、これだけの物を仕上げてくるんだから」
境正辰が人知れず身バレした数日後、当の本人から送られてきた音源を確認しながら三日月龍真とステラ・フリークスはその出来栄えに感嘆していた。夜八時のリザードテイルオフィスは人影が疎らであり、納期寸前で作業の追い込みに入っている残業中の編集スタッフと、この後行われる龍真とステラの収録の為に出勤時間をずらした音響スタッフのみだ。
「がなりとか絶叫とかじゃなくて、語気の強さとかで怒りの表現にしてくるかぁ。普段の廻叉を知ってる人が聴いたらビビる奴だよなぁ、これ」
「感情を見せない彼に一番感情が必要な『憤怒』を投げた甲斐があったってもんだよ」
「はっはっは、流石ステラ様。ドの付くスパルタ」
「君らならこれくらいできるだろう?実際に、ユリちゃんに四くんも出来てたじゃないか。私が見込んだ君達が出来ない訳がない」
「これだから“傲慢”様は。そんなだから最初の七人のラスボス扱いされるんだよなあ」
最早苦笑いを浮かべる事すらしない龍真に対し、ステラは終始楽しそうな表情だった。仮組されたMVを何度も再生しながら自身のパートを口ずさむ。それを目の前で聴けるだけでも、龍真は自身が恵まれていると感じる。だが、それだけで満足出来るようならばこの業界に足を踏み込んではいない。現実のHIPHOPの世界で手に入れられず、挙句に失ってしまったものを取り返す為に、自分はステラ・フリークスの手を取ったのだ。
歌っている彼女は、小柄で可愛らしいが地味な風貌だ。都心の中心、例えば渋谷や新宿のような場所に彼女が一人歩いていても、誰も気に留めないだろう。あっという間に人の群れに溶け込んで見失ってしまうに違いない。そんな彼女が、インターネットの世界で、TryTubeの中で確固とした存在感を表し、コズミックホラー、ラスボスとまで称されている。そんな彼女だからこそ、付いていこうと決めた。そして、そんな彼女だからこそ標的としてふさわしい。龍真はそう考える。
「まぁそういうステラ様であってくれないと、下剋上する甲斐がないって話だからな」
「……ふーん?龍くん、そういう野望があったの?」
「そりゃもう。ステラ様だけじゃなくて、最初の七人全員ブチ抜いて俺が最高の一人になるつもりだしな」
「いいね、それでこそ“強欲”だ」
「はっは、上を見ねぇで何がHIPHOPだって話よ。俺と、その一派がVtuber界隈の頂点に立って、HIPHOP業界まで逆侵攻してやるところまで俺には見えてるけどな?」
「そこまで行くと夢通り越して幻覚じゃない?ガンジャでもやった?」
「急に現実的になるのやめーや。あとやってねぇよ。ここ入る時、自腹で薬物陰性証明書まで取って来たんだぞ、俺は」
剣呑な空気が流れたのは一瞬の事で、たったの一言でいつもの空気に戻る。そんなタイミングで音響スタッフがスタジオの準備完了を告げに来た。二人はそれぞれ立ち上がり、お互いに獰猛な笑みを浮かべながら収録へと向かった。
一週間後、Re:BIRTH UNION公式チャンネルにプレミア公開動画の待機所が作られた。
【Re:BIRTH UNION】Sin【Re:BIRTH VILLAINS】
2018/10/31 00:00公開予定
『我らの罪を讃えよ』
原曲:Sin/Spooky Forklore
https://www.trytube.com/watch?v=**********
歌唱:ステラ・フリークス_傲慢
https://www.trytube.com/channel/**********
三日月龍真_強欲
https://www.trytube.com/channel/**********
丑倉白羽_色欲
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正時廻叉_憤怒
https://www.trytube.com/channel/**********
魚住キンメ_怠惰
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小泉四谷_暴食
https://www.trytube.com/channel/**********
石楠花ユリア_嫉妬
https://www.trytube.com/channel/**********
イラスト:志藤カナメ
http://short-net-sign.com/sidou_kaname_jpg
動画・MIX:株式会社リザードテイル
http://Lizard-Tail.co.jp
境正辰のRe:BIRTHを望む理由が、ようやく描かれました。そして身バレしました。
一方、ステラと龍真の「教祖と信者」なだけじゃない関係も描かれました。
楽しい、キラキラしている、優しい世界と称されがちなVtuber界隈で「怨念染みた執念を持っている」と自称(自嘲?)するRe:BIRTH UNIONの在り方は、ある種のVILLAINSなのかもしれません。問題はシリアスが長続きしないという点です。それでいいのかヴィランども。
御意見御感想の程、お待ちしております。