「その罪を背負うのは」
次のイベントへの準備回であり、一つの背景が明らかになる回です。
Re:BIRTH UNIONのハロウィン企画『Re:BIRTH VILLAINS』――イメージイラストが投稿されて以来、一切音沙汰が無かった企画である。実際にはそれぞれが水面下で企画は動いていたが、徹底した緘口令が例によって敷かれていた。DirecTalker上でのメッセージや音源のやり取りは常に活発であり、残るは一部メンバーからの音源提出とMIX、動画の完成を待つばかりとなっていた。
その音源提出が出来ていないメンバーの一人が、正時廻叉その人であった。外部での大型企画への参加が決まった事が理由の大半ではある。提出する音源は自身のソロパート部分と、サビの部分だけである。その内、サビの部分は既に収録し、音源の提出も済ませていた。しかし、ソロパート部分が自身の中でしっくりと来ない。与えられたテーマを噛み砕けないまま、仮で録音した音源を繰り返し聞きながら椅子の背もたれに身を預け、大きくため息を吐いた。
「……“憤怒”と言われても、私も俺も、怒る機会がなかったからなぁ」
正時廻叉と境正辰が混ざり合ったような、奇妙な口調で一人呟く。企画自体が発表された直後に、DirecTalkerで送られてきたテーマは『七つの大罪』だった。丁度現在のRe:BIRTH UNION所属メンバーの数と一致する事、またボーカロイド楽曲に同様のテーマの名曲があった事、ステラ・フリークスの趣味によって決定された。
ステラ・フリークスは傲慢(pride)、三日月龍真は強欲(greed)、丑倉白羽は色欲(lust)、魚住キンメは怠惰(sloth)、小泉四谷は暴食(gluttony)、石楠花ユリアが嫉妬(envy)――そして、正時廻叉が憤怒(wrath)だった。
余談ではあるが、色欲の受け渡し先について極めて慎重な議論が行われた結果、「エロで身持ち崩す人を眺めるのが好き」「他人の愛憎劇や修羅場を見てる時が一番幸せ」という鬼畜発言が切り抜かれた他、ここ最近ド直球の猥談をギター練習の合間に挟むようになっている丑倉白羽が立候補した事で平和的解決に至った。なお、このような外道染みた趣味趣向が判明したのはここ一ヶ月ほどの出来事であり、後輩達が一様にドン引きする中、ステラと龍真だけが「ついにバレたか」という反応だった。
閑話休題。
正時廻叉は感情を表に出さない執事だ。演技や朗読であれば、封じていた感情を全て放出することで鬼気迫る演技を見せる事が出来る。しかし、その演技の中でも彼が怒りの感情を露わにする作品は殆ど無かった。オーバーズの学力テスト企画では突発罰ゲームとして最下位に沈んだフィリップ・ヴァイスを罵倒こそしたものの、そこにあったのはどちらかといえば軽蔑・失望の感情であり、怒りを含んでいたとしてもそれは冷たい怒りであり、憤怒とはまた違うものだったと廻叉は振り返る。なお、配信終了後に謝罪した所「最高に美味しいネタが出来た。ありがとう執事さん」と逆に礼を言われ、彼の芸人根性に感服したのも記憶に新しい。
「激しい怒り、憤り――確かに、無いな。俺はなるべくして、正時廻叉になったのかもな」
境正辰としての自分の人生を振り返ってみても、そこまで激しく怒り狂った記憶はない。子供の時分を振り返っても、どちらかといえば大人しい子供であったと記憶しているし、両親も同様の証言をしている。人並に嫌な思いをする事は当然あったが、激しい怒りよりも鬱屈した苛立ちとして表に出ていたように思える。
特に、自身が所属していた劇団が解散となった時も――当時を思い返そうとしたところで、私用のスマートフォンが鳴った。DirecTalkerではなく、電話での着信音だった。こちらで掛かってくることはここ最近は滅多になく、一体何事かと思いながら画面の発信元を見た。そして、思わず手に取ったスマートフォンを取り落としそうになった。
画面に映った、発信元の名は旭洸次郎。
自身が所属した劇団が解散した原因――と、正辰が考えている人物からの着信だった。
※※※
「自分では、嫉妬って感情がよくわからないんです……他人が凄いのは当然で、私はダメだって、ずっとそう思ってきたので……」
「あれ?丑倉、ハロウィン曲の相談を受けたハズが直球の闇を浴びてる?」
正時廻叉と同様に、自身に与えられた大罪を上手く解釈できず、先輩である丑倉白羽へと相談の通話を飛ばしていた。七つの大罪をテーマとする、と聞いた時に「もし自分に当たったら変えてもらおう」と内心で思っていた『色欲』を半ば立候補の様な形で担当した白羽であれば、テーマとの向き合い方という点で参考に出来るかもしれない。
決定直後には、同じ先輩であり『怠惰』を担当する魚住キンメにも相談したが、常にサボりたいと思っているといきなり宣言された挙句、主婦業の苦労をひたすら聞く羽目になり、参考にはならなかった。最終的には旦那へのノロケと娘自慢と猫自慢が始まり、数時間程彼女のトークに付き合う事になったが、当然ながら何一つとして参考になる意見は得られなかった。
「まぁユリアちゃんの場合、むしろ嫉妬される側だったっぽいからねー。不登校の切っ掛けとか聞く限り」
「私が……?」
「うん。ユリアちゃんにオフィスで初めて会った時、『なんだこの美少女?!』って思ったもん。その上、物腰も柔らかくて、ピアノも上手。絵に描いたようなお嬢様。酷い事言うけど、アホがやっかみ向けるにはこれ以上ない相手だな、とも思ったけどね」
丑倉白羽の言葉は常に剥き身の刃のような鋭さを持っている。本人の持つ柔らかい声色と、喋り口調が作る緩い空気感がオブラートの役目を果たしてはいるが、それでもその痛烈な言葉が周囲の人間やリスナーにダメージを与えて来た。配信上では主にギターをすぐに諦めてしまった層に向けられているが、これはある程度彼女が意識して行っている。
彼女は自身の言葉が刃であることを知っている。だからこそ、斬ってもいい相手を見定める。自身がギタリストVtuberであり練習魔だという認識は、自他共に認めている。故に、『ギターを安易に始め、すぐに挫折した熱意無き者』を攻撃対象とする事で、言葉の刃すら自身のキャラとした。しかし、プライベートでは話は別だ。本人が特に意識していなければ、無造作に振るわれる。そして今、その対象は通話先の石楠花ユリア――を、退学に追いやった連中だった。
「悪意を向けられた経験が無さそうで、脆そう。今ですら、少しそういう印象があるのに、高校入学当初のユリアちゃんはもっとそう見えたと思う。で、そういう相手を目敏く見つけるアホにユリアちゃんは噛まれた。たぶん、向こうが思ってた以上に耐性が無くて学校辞めるとこまで行っちゃったけど、本人らは何一つ反省してないんじゃない?」
「……そう、ですね。たぶん、ずっと恵まれてたんだと思います。だから――」
「だからそんなアホどもの事は考えずに、嫉妬とは何かを考えた方がいいよ。ああいう、自分達の仲間内だけの基準でしか物を見れなくて、そこから上であれ下であれハミ出したのを攻撃するような連中は、相手にするだけ無駄」
「え、ええ……」
「丑倉の学校にも居たもん、そういう奴。他人を笑う事に命かけてる奴。なんか、変な男と付き合ってデキ婚退学してたけど。高校生なんだからゴムくらい使っとけって話だよね」
「白羽さん!?」
「あー……うん。割とダメな方の女子校に居たせいで、こういう話が多くてね。ユリアちゃん的には、刺激が強かったかな?」
「いえ、その、学校で習う程度の事はちゃんと知ってますから……」
「バンド始めてからも、その手の話題が周囲に溢れててねぇ。〇〇〇握る暇あったら、ギターやマイク握れって話だよ。そいつらの本番ったらそりゃもう酷かったよ。あ、そっちの“本番”は成功してたのかな、性交だけに」
「白羽さん!!!」
最早漫談かの様に繰り出される下ネタに思わず声を荒げるユリアだったが、その一方で白羽の人生経験の濃さに羨ましいような、羨ましくないような不思議な気分になった。短い高校生活だったが、赤裸々や明け透けというには品の無い会話が耳に入る事も少なからずあった。とはいえ、自分からそういう会話には参加しなかったし、出来なかった。一方の白羽は、一切気にせずそういう話を出来るタイプだった。ユリアは、何故彼女が『色欲』担当なのか分かった気がした。彼女は自分ではなく、自分の周りの人間たちの『色欲』をあまりにも多く見てきたのだろう。
「ごめんごめん、いつもは龍真くんが聞き流してくれるからつい。で、七大罪の話だったね。廻叉くんも『怒った記憶が本当に無い』って言ってたし、四谷くんも『そんなに喰えないのに、何故暴食?』ってなってたし、まず解釈の方向性が大事だよね。歌詞自体は既にあるんだから、じっくり読み直してどういう時にそういう気持ちになるだろう、みたいに考えるといいかも?」
「嫉妬するような気持ち――」
ユリアの担当するパートの歌詞は、自身を愛さない男と、その男に愛される女への妬みと恨みを滔々と綴る、楽曲全体でも最も負の感情が強い歌詞だった。仮に自分がそうなるとしたら、誰に対してそう思うのだろうか。兄には恋人がいるが、どちらも自分に優しくしてくれている。むしろ、兄はどこか気弱な部分があるので、強気で引っ張って来れる兄の恋人には頼り甲斐こそ感じても、嫉妬心など欠片も抱いた事は無い。
ユリアと面識のある男性を、何人も並べる。その人が、自分よりも、見知らぬ誰か――それこそ、自分に心無い言葉を投げてきた、もう顔も思い出せない同級生を大事にしたとしたら――嫌だ。それは、嫌だ。怒りもある、悲しみもある、何故という疑問がある。ありとあらゆる感情が自分の中で渦巻いて、叫び出して発散しなければ、自分が潰れてしまいそうな感覚になり、一度考えるのをやめて、深呼吸する。自分でも感じた事のない、言いようのない不快さ。感情が拗れて捻れて爆発しそうになる感覚を、どう言葉にしていいかわからないが、最もそれに近いであろう言葉を、ユリアは知っている。
「……もしかして、これがキレそうって感覚……?」
「ユリアちゃん?」
もしかしたら、自分には憤怒の方が合っているのではないかとユリアは考えたが、三角関係を切っ掛けにそうなること自体が『嫉妬』の発露であるという事に気付くのは、もう少し後の事だった。
※※※
「……久しぶりですね、旭さん。まさか、電話番号を変えてなかったなんて思いませんでしたよ」
「俺もてっきり着信拒否でもされてると思ってたから。……久しぶり、正辰」
正辰の住む市の中心部となるターミナル駅、そこにある全国チェーンの喫茶店で正辰は電話の主だった旭洸次郎と面会していた。二人は元は同じ劇団に所属していた役者仲間である。洸次郎は先輩であり、看板役者だった。正辰は後輩であり、脇を固める助演俳優だった。とはいえ、役者業への熱量という点で互いにシンパシーを感じていた二人は非常に仲が良かった。
洸次郎が、突如劇団を退団して上京するまでは。
看板を失った劇団は、目に見える迷走を始める。主演争いは演技力ではなく座長への媚によって争われ、台詞合わせの時間よりも周囲への陰口を言い合う時間が長くなり、少なからず正辰が周囲に持っていた仲間意識はあっという間に消え去った。それでも、役者業を続けたいという熱意から続けていたが、その熱意は最悪の形で裏切られる形となる。
洸次郎が抜けた次の公演への準備中、劇団員同士の女性問題と金銭問題等が同時に発覚。収拾がつかぬまま、公演は延期に延期を繰り返した上で消滅。そして、正辰が十年近い年月を過ごした劇団は、自滅と言ってよい形で消滅した。
「……正直、何も言わずに消えた事は本当に申し訳なかった」
「理由、あるんですよね?周りの奴らは芸能事務所からスカウトがあったとか、大手劇団からのヘッドハンティングがあったとか、噂してましたよ。その百倍、旭さんへの悪口言ってましたけど」
「……正直、気持ちのいい話じゃないし、言い訳に聴こえるかもしれない。それでもいいなら、暫く俺の話に付き合ってくれるか?」
椅子に座ったまま、テーブルに額が付きそうな程深く頭を下げる洸次郎に、正辰は小さく頷いて肯定の意を示した。
数十分後、境正辰は、正時廻叉は、『憤怒』の感情を理解した。
丑倉白羽さんが正論パンチの使い手である事は以前から描写しておりましたが、実際には言葉の刃と下ネタの刃の二刀流でした。ようやく白羽さんの別の意味でクレイジーな所がお見せ出来ました。
そして正時廻叉に到る前。境正辰の、オリジンの一部のお話です。次回に続きます。
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