「虚構と現実の狭間」
本年度最後の更新となります。
リザードテイルのミーティング室。先ほどまでライターの玉露屋縁が座っていた、対面の椅子に正時廻叉が腰を下ろし、目の前の石楠花ユリアと視線を合わせる。
「こちらの名前を名乗るのは初めてだね。正時廻叉こと、境正辰です」
ごく自然体のままそう名乗った青年は、先程までの一種異様な雰囲気は既に纏っておらず、どこにでも居る好青年という印象だった。それでもどこか浮世離れした雰囲気を持っている事に、ユリアは違和感を覚える。その違和感の正体が掴めず、困惑したまま小さく頭を下げる。
「あ、あの、石楠花ユリアをやっています、三摺木弓奈です」
「うん、通話面接で名乗ってたから知ってる」
「あ……!」
苦笑いを浮かべる正辰を見て、弓奈は顔を赤くしながら俯く。こうした細々としたミスやポカがどうにも増えているのは、配信の時のコメント欄でも散々指摘された事だ。最近では何故か『ポン』という二文字がコメントに増えて来て何のことかわからずリスナーに尋ねたら、大量の『ポンコツ』という文字が流れてショックを受けたのを昨日の事のように思い出した。実際、昨日の配信時の出来事だったのだが、そういう事にすら頭が回らない程度には弓奈は混乱していた。
「さっきのインタビュー中に、ちょっとショック受けたみたいな感じだったから……うん、俺が『デビューしてからの全てが一人舞台』って言ったから、だよね。悩み相談や、面接の時の事も、全部演技かもって、思わせちゃったんだろうな、って……ちょっと考えたら気付いた。無神経だった、申し訳ない」
椅子に腰を掛けたまま、テーブルに額をぶつけそうな勢いで正辰が頭を下げる。弓奈自身も彼が言った通りの疑いを持ったのは事実だ。しかし、むしろ謝罪するべきは自分ではないだろうか、という考えが過る。
「い、いえ、そんな、私こそごめんなさい!廻叉さんの言う一人舞台がそういう意味じゃないって、考えればわかりそうなのに、その……境さんが言った通りの、誤解をしてしまって……」
「いや、いいんだ。あれは俺と廻叉の言い方が悪い。全部虚飾だって解釈されても仕方ない言い方だった」
弓奈もおもわず頭を下げると、正辰から頭を上げてくれ、というジェスチャーと共にそんな言葉が返って来た。その言葉の中に、明確に不自然な点があった。弓奈は顔を上げ、正辰の顔を見る。
「え、その、今……俺と、廻叉……?」
目の前の境正辰という青年こそVtuber正時廻叉の、俗に言う『中の人』だというのは先程の自己紹介で知った。にも関わらず、彼は境正辰と正時廻叉を切り離したような言い方をした。ともすれば、全くの別人として扱っているような言い方だった。
「ああ、うん。俺自身……境正辰としての考え方と、正時廻叉としての考え方がある、っていうイメージかな。例えばだけど、俺が『ゲーム実況は苦手だから配信でやりたくない』って思っても、廻叉が『御主人候補の皆様が求めている事に応えるべきだ』と考えたなら、俺はその意志を尊重してゲーム実況配信を行う、みたいな感じで」
それは多重人格と何が違うのか、と弓奈は内心で軽く引きつつ考えたが、流石にそれを口にするのは憚られた。弓奈自身もある程度は石楠花ユリアらしさを意識した話し方や、振る舞いをしている。だが、目の前の彼は自分のそれとは比べ物にならないレベルだった。
「あの、境さんは、なんでそこまで……」
どう聞いていいかわからず、曖昧な質問になってしまった。一方の正辰は自分の説明不足に気付き、少し考え込むような表情を浮かべた後に、自身のスマートフォンを操作して、テーブルの上に置いた。そこにはホームページをスクリーンショットで取り込んだ画像が映っていた。
「え……これ、境さん、ですか?」
「うん。これが俺のいわゆる前世ってやつ。俺ね、劇団員だったんだ」
その画像はプロフィールページであり、そこには目の前の正辰の宣材写真があった。名前こそカタカナ表記で『サカイマサトキ』となっていたが、間違いなく本人であることは明らかだった。
「色々な理由で、その劇団は潰れちゃってね。役者になりたいって夢は叶ったけど、続ける事が出来なくなっちゃって。今はVtuberとしてその夢の続きを見てるんだよ」
「そうだったんですか……だから、廻叉さんは執事なのに演劇への強いこだわりがあったんですね」
「廻叉らしさと俺らしさの融合ってところかな。死ぬまで正時廻叉をやるつもりだから、良い意味で虚実入り混じった存在にしたかったっていうのはある」
スマートフォンの画面を消しながらそんな風に語る正辰が、自分よりもずっと遠くを見ている印象を弓奈は受けた。
「正直、私はそこまで考えられなくて、演劇にも詳しくなくて、ちゃんと理解できてないかもしれません……でも、一人舞台、っていうのは……全部脚本って事じゃない、って事はわかりました」
「うん。嘘じゃない。悩み相談に答えた時の事も、面接の時の事も。本心だよ。正時廻叉っていう役柄を通してはいたけど、本音だよ。俺と、廻叉の本音」
「はい……安心しました。正直、凄く怖かったです。廻叉さんが、その、普段は感情を全く表に出さなくて、今日も目の前に居るのに……目の前で見ているからこそ、何を考えているのか、わからなくて怖かったです」
三摺木弓奈という少女は弱い。彼女自身も自覚していたし、家族もその脆さを十分に理解していたからこそ、自主退学・自宅学習という選択肢をむしろ推奨したほどだった。そんな彼女にとって救いの手を差し伸べてくれた廻叉、そしてその演者である正辰に会う事は、楽しみでもあり恐ろしくもあった。幸い、正辰自身が人当たりの柔らかい青年だった事で、内心の恐怖心は大分薄れていた。
だが、インタビューの際に、将来像を語る姿が。人間性が極限まで削ぎ落されたような彼の姿が、恐ろしかった。虚構と現実の境目が分からなくなり、恐怖と不安を覚えてしまった。
「でも、ちゃんと教えてくれたから、大丈夫です。私を励まして、背中を押してくれた廻叉さんはちゃんと居るんだって思えました。境さんも、廻叉さんと同じように考えてくれていたって事を、知れました……その、本当に、ありがとうございます」
「……うん、こちらこそ、ありがとう」
正辰は目の前の少女に、Vtuber石楠花ユリアとはまた別種の儚さを持つ三摺木弓奈という少女にどれほど不安を与えていたかを自覚し、後悔した。いっそ土下座するべきか、とまで考えた。だが、彼女は自分の抽象的な考えを、彼女なりに理解してくれた。その上で感謝の思いを改めて伝えてくれた。そこに謝罪を重ねるのは、彼女の思いを無下にするような気がして、自分でも予想しない程自然に、感謝の言葉が口に出た。
目の前の少女が右手を差し伸べているのを見た。彼女は微笑んだまま、こちらを真っ直ぐに見据えてこう言った。
「あの、握手、してくれますか?これから、よろしくお願いします、って意味で、握手を……」
「……あ、うん。これから、よろしくね。変な先輩かもしれないけど」
思えば、役者時代を含めても握手を求められた経験が少ないと正辰は思い返しながら右手を伸ばし、彼女の手を取る。小さくて細いが、長くしなやかな指をしている、と感じる。これがピアニストの手なんだろうか、と照れ隠しの思考を走らせていると、不意に彼女が両手で自分の手を包むようにした。目を丸くして目の前を見ると、泣きそうな顔で微笑む弓奈の姿があった。
「……境さんが、正時廻叉さんで居てくれて、本当に良かった……」
彼女の背景は、正辰も少なからず知っている。だからこそ彼女の呟いた言葉の意味と、その重みが強く正辰を揺さぶった。これは良くない、と考えてしまった。
境正辰としても、正時廻叉としても――石楠花ユリアが、三摺木弓奈が、特別になってしまう。
彼女の顔が直視できず、視線を僅かに泳がせた。ミーティング室の扉近くの床へと目が向いた瞬間に、正辰は信じられないものを見た。半開きの扉から、倒れた誰かの手が伸びていた。それは、さながらサスペンスの一幕の様であった。正辰は思わず悲鳴を――上げる前に、扉全体を睨みつけた。そこには、トーテムポールよろしく頭を並べる三日月龍真と丑倉白羽、そしてステラ・フリークスと見た事のない金髪の青年……推定、小泉四谷の姿があった。となると、その倒れているのは同期のマママーメイドメイドだろう、と正辰は確信する。
弓奈へと小さく頷き、そっと手を放す。笑みを浮かべたまま扉の方へと向かい、トーテムポールの前に立つ。正時廻叉としての、人間性を感じさせない機械的な声色で最下段の三日月龍真へと冷たく声を掛けた。
「覗き見とは良い御身分ですね先輩方」
「主犯はステラ様だぞ」
「でしょうね。で、この打ち上げられた人魚はどうしました?」
「てぇてぇの過剰摂取が死因だね。見てよ、キンメちゃんの顔。超幸せそう」
「なるほど。ところで、こちらの金髪の方は?」
「ふふ、お察しの通り小泉四谷くんさ」
「お、俺は止めました!初めまして小泉四谷です!」
「初めまして、正時廻叉です。でも、貴方も覗いてましたよね?」
「同じ罪を犯すことで同じ箱としての連帯感を、ってステラさんが……」
「ふふ、廻くん。君が私をそんな目で見る日が来るなんて思いもしなかったよ」
「私だってそんな日が来ない事を願っていましたよ。何やってんですか、ウチの稼ぎ頭が」
その流れるようなやり取りに弓奈が気付いて振り返ると、Re:BIRTH UNIONの面々の頭が縦に並んでいるという珍妙過ぎる光景があった。更に、満面の笑みで死んでいる(ように見える)魚住キンメの姿を見て、弓奈はついに悲鳴を上げた。
※※※
「シンプルに興味本位でした。本当に申し訳ありませんでした」
「二人のシリアスな会話が気になり過ぎて、魔が差しました」
「てぇてぇの波動を感じて我慢できませんでした」
「例え先輩たちが相手でも止めるべきだったし、見るべきじゃなかったです」
「ふふ、みんなもこうして反省しているのだから許してあげてほしいな」
以上、ミーティング室に正座で並ばせられたRe:BIRTH UNIONの面々による反省の弁であった。ちなみに、上から龍真、白羽、キンメ、四谷、ステラの順である。
「分かりました。四谷さん以外は正座続行で」
椅子に深く腰を下ろし、わざと大仰に足を組んだ正辰が無慈悲に言い放った。四谷が恐る恐る立ち上がって正座している先輩たちを見ると、恨みがましい視線ではなく『でしょうね!』という納得に満ちた表情をしていた。
「えーっと……3期生のお二人に言っておきます。Re:BIRTH UNIONは身内同士になると、緊張感とかシリアスという概念が消失する奇病に掛かっています。色々と戸惑うとは思いますが、そういうもんだとして理解してください」
自分の先輩達、しかも事務所全体のトップ、更に言えば『Vtuber最初の七人』と称される最古参の歌姫であるステラ・フリークスが並んで正座させられている姿に新人二人の混乱は隠せない。
「この光景は忘れろとは言いません。恐らく、またやらかすので忘れるだけ無駄です」
「ええ……」
「それでいいんですか……」
「まぁ正直に言えば、良くないのですが最低限配信でやらかす人たちじゃないので、身内同士のオフの時くらいはこれでいいかと。白羽さん、しれっと足を崩さない」
廻叉の指摘に白羽が渋々正座の形を戻す。溜息を吐いて、廻叉が再び新人二人に向き直って、どこか引き攣ったような笑みを浮かべた。
「ようこそ、Re:BIRTH UNIONへ。お二人は、こうはならない事を祈ります。ですが、たぶんこうなります」
余りに不穏すぎる予言に、二人は正しく絶句するしかなかった。
シリアスが続かないのは持病です。
今年10月に連載を始め、想像以上にたくさんの方に読んで頂き本当にありがとうございます。
来年も出来る限りペースを保ちながら、Re:BIRTH UNIONというVtuber事務所を中心としたドラマを描いていきたいと思っています。よろしくお願い致します。