「Re:BIRTH」
「生まれ変わって見せろよ、三摺木弓奈」
Webカメラの向こう側で、三摺木弓奈がこちらを見たまま凍り付くのを見て、ステラ・フリークスは静かに笑う。自分がいかに非道な真似をしているかは、よく自覚している。何人もの候補者たちが、スタジオで、或いは事務所内の配信用ブースで、困惑と混乱に陥ったのを見てきた。時には泣き出してしまった候補者も居た。だが、そこから己の魂を燃やし、精神を削るようなパフォーマンスを見せた者も確かに居たのだ。そして、その魂の煌きこそを、株式会社リザードテイルは、Re:BIRTH UNIONは、そしてステラ・フリークスは求めていた。
「頑張れ。君なら出来るよ」
最後に優しく励ますような言葉を告げると、ステラはマイクのカフを落としてモニターの向こうの弓奈を見守る。ピアノの鍵盤に視線を落としたまま固まってしまっている弓奈の姿は弱々しく、あまりにも頼りない。それでも、社長である一宮やマネージャーである佐伯、そしてステラは彼女が何かを始めるのを、待っている。それは彼女にプレッシャーを掛ける為でもなければ、候補者への嫌がらせなどではない。
純然たる、期待だ。
Re:BIRTH UNIONに関わっている大半の人物は、大なり小なり挫折を味わった人間ばかりだ。ステラ自身も、その一人だ。
「大丈夫。私たちは君の本気を笑わない」
かつて、歌手を志望していたステラ・フリークスこと星野要は、いくつものオーディションを受けてきた。しかし、最終的には歌唱力とは無関係な部分で落選を繰り返した事がある。そして、既存の音楽業界に対し決定的に失望する事になった、とある出来事を以て星野要は音楽を辞める事を決意した。そこを引き留めたのが佐伯であり、一宮だった。Vtuberというジャンルも当時はまだ黎明期であり、数名の先駆者がその新しい活動スタイルから注目を集め、新規参入者が増えつつあった時期だった。
『君は歌うべきだよ。その才能を見殺しにするくらいなら、私たちは全力で生まれ変わらせてみせる』
『私たちは既存の世界で負けて、一度死んだも同然の身だ。だから、生まれ変わろう。私たちの為に、君自身の為に、そして何より、これから私たちが出会う、殺されてしまった才能の持ち主のために』
理想主義者であり、利己主義の権化とも言える一宮羚児の言葉は星野要が一番必要としていた言葉だった。そして彼女はステラ・フリークスへと生まれ変わる。バーチャルシンガーとして、その名前はあっという間に界隈で話題となった。そしてRe:BIRTH UNIONを立ち上げ、三日月龍真と丑倉白羽に出会えた。正時廻叉と魚住キンメに出会えた。それぞれがそれぞれの事情で、現実の世界で失望や挫折を味わい、一度は死んだはずの才能だった。
地獄への道は善意で舗装されているという。
ならば、地獄に堕ちた才能を連れ出す為にありったけの善意で道を造る。
Re:BIRTH UNIONは、その為の場所だ。
だが、その道を歩こうとしないのならば、そのまま地獄に居ればいい――――。
※※※
三摺木弓奈は、自身が誇れるものはピアノだけだと考えている。だが、その才能はプロや、コンクールで賞を取るような人たちには届かない、とも考えている。
「私は、ピアノが好きです。嫌な事があっても、ピアノを弾いている時だけは、ネガティブな感情から離れられた。ピアノを弾いている時が、私が一番自由で居られる。そんな風に思うんです」
目の前にセッティングされたマイクにしっかりと声を乗せるように、前を見据えて語る。配信ならば、最初は自己紹介や何をするかを説明するべきだろうとも思ったが、それよりも、自分がピアノが好きな理由をちゃんと伝えたい、と弓奈は考えた。例えオーディションに落ちたとしても構わない。今ここには、私が何をしても冷たく嘲笑う人は居ないのだから。
「最初に弾けるようになったのは、ピアノ教室で習った『きらきら星』でした。教室で弾けるようになった後、帰ってすぐにお父さんやお母さん、お兄ちゃんの前で弾いて、歌ってみせたのを覚えてます。みんな凄く喜んでくれて。私のピアノは誰かを喜ばす事が出来るんだ、って思ったのを、よく覚えています」
そう告げて、彼女は鍵盤に指を落とす。目を閉じていても弾ける、三摺木弓奈にとっての最初の曲だ。幼少期の経験が、この曲を彼女にとって特別な曲にしていた。
『今日、ここに今までの私の人生を全部置いていこう。嬉しかった事も、辛かった事も、全部』
きらきら星の弾き語りを終えた瞬間には、自然と覚悟が決まっていた。
※※※
「初めて大勢の人の前で弾いたのは、中学校のクラス対抗の合唱コンクールでピアノを任された時でした。クラスのみんなが気持ちよく歌えるように、って心掛けて――優勝は出来なかったけど、自分と家族の為のものだったピアノが、初めて誰かの為になれたような気がしていたんです。その時歌ったのが――」
誰もが音楽の授業で聴いたことのある定番の合唱曲。歌いながら、淀みなく鍵盤の上を指が躍る。スタジオに入室した時の、或いは通話ソフトを使ったリモート面談の時の気弱な印象は既にない。面接官としての、あるいは一企業の社長としての立場も忘れ、一宮は弓奈の演奏に聴き入っていた。合間合間に挟まれる語りも落ち着いていて、聴いていて心地よい。佐伯に至っては、合唱曲を口ずさむ始末だ。
「でも、高校に入ってから変わってしまいました。切っ掛けは、音楽の授業の後にピアノを少しだけ弾いた時だったと思います」
弓奈の表情が曇った。思い出すこと自体が辛いのか、目を伏せたまま呟くように言葉を続ける。
「誰が言ったのか、どういう意図だったのかはわかりません。ただ、ピアノを弾いている私に『調子に乗ってる』、『浸っててキモい』、『自慢すんなウザい』――そう言われました。私は弱かったから、ピアノを否定されたことで、学校に居る人達が怖くなって、学校に行くことが出来なくなりました。自分にとって、一番大切なものを壊されたような気持ちになってしまい――不登校のまま、2年が経ちました」
心無い言葉でアイデンティティーを圧し折られた過去を吐露する弓奈の目から涙がこぼれ、鍵盤の上に落ちる。一宮も佐伯も、ステラも、誰も止めない。黙って、彼女の言葉を待つ。ブースの外の音響スタッフだけが心配そうに視線を右往左往させていた。
「私は、あの日から自分の事が嫌いです。死にたいと思った事もあります。自分を殺してしまいたいと思った事もあります。でも、家族とピアノだけは嫌いになれなかった。家族にはたくさん迷惑を掛けてしまいました。そんな中で、Vtuberに出会いました。ステラ・フリークスさんの歌に出会いました。三日月龍真さんや、丑倉白羽さん、魚住キンメさん。そして、正時廻叉さんに出会いました」
涙を拭い、また真っ直ぐ前を向く。弓奈の表情は、穏やかなものだった。
「廻叉さんの悩み相談の企画に、メールを送りました。私の状況を、一部を除いて正直に書きました。廻叉さんは、真摯に答えてくれました。――学校から居場所を失った私に、もう一度居場所を探す勇気をくれました」
ステラは小さく頷く。本音を言えば、今すぐにこの配信ブースを飛び出して彼女の目の前で話を聞きたいと思った。だが、その機会は恐らくそれほど遠くない未来に叶うという確信めいた予感を覚えた。
「あの時のメールでは、今も不登校――そんな風に書きましたが、本当はもう、自主退学していました。廻叉さんには、ちゃんと謝らないといけないなって思ってます。そして、もう一度ちゃんとお礼を言いたいです。――暗い話を長々と続けてごめんなさい。次が最後の曲です。聴いてください――」
その曲は、数年前のヒットソングだった。女性ボーカルのロックバンドによる、バラードソング。内容は恋愛ではなく、友人への感謝を伝える真っ直ぐな曲だった。その演奏は、今までよりも拙く、素人が聴いても分かるようなミスが散見した。だが、それ以上にその歌声が、心からの感謝と親愛に満ちていた。その感謝は、恐らくは家族に、ステラやRe:BIRTH UNIONのメンバーに、そして正時廻叉へと向けられている事が感じ取れる歌声だった。
「……ありがとうございました。これが、今の三摺木弓奈の全てです」
小さく一礼すると、ブース内の一宮と佐伯が拍手をする。モニターの向こうで、ステラが笑みを浮かべていた。
「41分と20秒。制限時間はクリアー。三摺木弓奈さん、ありがとう。とても良いものを見せて貰えた。流石に疲れているだろうから、ちょっと休憩にしようか。その後、面接の結果とは関係のないちょっとしたお話をしようと思う。いいよね、社長?」
「勿論。うん、三摺木さんの気持ちや想いがしっかり伝わって来た。素晴らしいパフォーマンスでした。お疲れ様でした」
「じゃ、俺は飲み物かなんか用意しますね。いやー……ピアノっていいなぁ、うん」
ステラからの提案に一宮と佐伯が同調し、それぞれに立ち上がり休憩へと入る。しかし、弓奈は座ったままだった。
「三摺木さん?どうかしました?」
佐伯がそう尋ねると、弓奈が顔を上げる。先ほどまでとは打って変わって、引き攣ったような笑みを浮かべて。
「あ、あの、す、すいません……緊張が、解けたら腰が抜けちゃって……た、立てないんです……」
「ああ、そういう事でしたか……まぁ、それなら落ち着くまで座ってて頂いても」
「ご、ごめんなさい、でも……お、お手洗いに行きたいんです……」
「岸川ー!内線でオフィスに掛けて女性スタッフ呼んでー!速攻だ速攻!!」
先程とは違う理由で涙目になっている弓奈の姿を見て、佐伯は大慌てでレコーディングブースから飛び出してそう叫んだ。その後、エレベーターも使わず全力のダッシュでやってきた女性スタッフ数名の助けもあり、三摺木弓奈は人間の尊厳を掛けた戦いに無事勝利した。
※※※
「Re:BIRTH UNIONのキャッチフレーズは『生まれ変われ、自分』……これ、私がリザードテイルを立ち上げる時に、心に決めた事でしてね」
レコーディングブースの外側にあるソファに腰を下ろした一宮がコーヒーを啜りながら弓奈へとそう話すと、弓奈は少し緊張を残した表情のまま頷いた。
「私もステラも、そしてこの会社に居る大半の人間が、挫折を味わっている。ステラは『人生の敗者復活戦の真っ最中』なんて例えたけど、本当にその通りなんですよ。みんな、一度負けてる」
「……だとしたら、私もそうです。自分の心の弱さに、負けたんです」
「でも、負けたまま終わりたくないし、自分や誰かの才能が死んでしまうのをそのままにしたくなくて、ね。ステラはその象徴だ。まぁ、あまりこういう事は表に出していないんだけど……我々の根底にあるのは、負けたくない・このまま死にたくないっていうドロドロした部分なんだよ。結果はまだ出せないから、仮定の話になってしまうけど、もし合格したらRe:BIRTH UNIONはそういう所だって事だけは、心に留めて置いてほしい」
「大丈夫です。その……私も、自分の中にそういう部分が、たくさんありますから」
「それは良かった……いや、良くないのか?でも社風的にはアリなのか、ううん……」
自問自答を始めて首を傾げる一宮の姿に、弓奈は思わず笑みを溢す。例え根底が暗いものであっても、そこから生まれたものは、どれも前向きな行動ばかりだとわかる。自分の根底にあるネガティブさも、ここに居たら前向きなエネルギーに変えられるかもしれない。そんな風に思った。
「改めて、今日はお疲れ様でした。来月の10日ごろまでには結果を出せると思います」
「こちらこそ、ありがとうございました。あの、もし合格したら、よろしくお願いします」
立ち上がって深々と礼をして、スタジオを出る弓奈を待っていたのはメガネを掛けた小柄な女性だった。スタッフパスを付けている事から、おそらくリザードテイルのスタッフの人だろう、と弓奈は考え会釈をする。
「出口まで、お送りします」
「あ、はい、ありがとうございます……」
丁寧な口調でそう言われ、弓奈はもう一度頭を下げてスタッフの女性の後に付いて歩く。エレベーターではなく階段を通り、オフィスビルの入り口に出ると女性が立ち止まり、こちらへと振り返った。
「では、本日はお疲れ様でした」
「ありがとうございました、お疲れ様でした」
女性が小さく頭を下げて、ビル内へと戻っていく。弓奈も同じように会釈し、外へ出ようとするタイミングで声がした。
「きっと、またすぐに会えると思うけどね」
その声にハッとしたように弓奈が振り返ると、既に先程のスタッフの女性は居なかった。
その声は、間違いなく――
「ステラ、さん……?今の人が……?」
8月下旬のうだるような暑さの中にも関わらず、弓奈は暫くその場で立ち止まったまま女性が消えていったビルの中を見つめていた。
そして、十数日後。
彼女のもとに、『Re:BIRTH UNION3期生オーディション、合格のお知らせ』という題名のメールが届いた。
ようやく、役者が揃いました。
いつも御愛読ありがとうございます。ブックマーク数やユニークユーザー数が自分でも信じられない数になっており、本当に感謝の念しかございません。これからも、ゆっくりとしたペースにはなりますが自分なりの物語を紡いでいこうと思っております。どうぞよろしくお願い致します。