「生まれ変わる日」
「では、こちらでお待ちください。準備が出来次第お呼びいたします」
「は、はい、ありがとうございます」
東京都内、株式会社リザードテイルの事務所内のミーティング室に一人の少女が緊張を隠し切れない表情を浮かべている。少女の名は三摺木弓奈。18歳になったばかりで、本来ならば高校三年生だ。尤も、彼女は数年間不登校の生活を続けている。こうして外出する事すら稀であり、自室で閉じこもる日々を過ごしていた。彼女自身は未だに心に負った傷は治っていないように感じていたが、Vtuberのオーディションに参加する事を決意する程度には前向きになれている気がしていた。
「……あ、リバユニのポスター……いいなぁ」
外からはオフィスの喧騒が僅かに聞こえてくる。準備に時間が掛かっているのか、案内してくれたスタッフは未だに戻ってこない。所在なさげに部屋を見渡すと、壁に貼ってあったポスターに自然と視線が向けられた。センターには3Dモデルで不敵な笑みを浮かべるステラ・フリークスが、その両隣を1期生の三日月龍真、丑倉白羽のキービジュアルが固める。龍真はマイクを、白羽はギターを持っているせいか、ここだけを見れば新しい音楽アニメかゲームの広告にも見える。ただ、龍真の横に立つ無表情な執事・正時廻叉と、白羽の隣で満面の笑みを浮かべる人魚でメイドの魚住キンメが、音楽という枠を壊してしまっている。そして、Re:BIRTH UNIONのロゴと、『生まれ変われ、自分』のキャッチフレーズが自然と目に入る。
「……生まれ変わりたいな」
三摺木弓奈は自己評価が著しく低い。動画・書類での選考、そして通話ソフトを使ったリモート面接すら突破してなお、自分にそれだけの価値があるのかわからないままでいた。合格したいという気持ちは勿論ある。だが、自分への根深い疑念は拭い去る事は出来ずにいた。
「廻叉さん……不合格になったら、ごめんなさい」
自然と出てきた言葉は、謝罪の言葉だった。ポスターに描かれた正時廻叉のキービジュアルに、座ったまま頭を下げる。ここで、絶対に合格します、と言えない自分が嫌になる。ただ、前向きな言葉を放つ事自体に、未だに恐怖心がある事は事実だった。
「お待たせいたしました。それでは面接会場へとご案内します」
「あ、は、はい!」
スタッフの先導に従っていくと、オフィスを出てそのままエレベーターに乗り、地下1階へと案内された。オフィスの奥にある部屋に案内されるのかと思っていた弓奈が不安そうにスタッフの女性へと声を掛ける。
「あの、なんで地下なんですか?」
「社長の意向で、音楽系の特技を持っている方はスタジオで最終面接をするという事になっているんです。オフィス内で歌うと、その、他のテナントさんにもご迷惑になってしまいますし」
「あ、そうなんですね……あの、入口の案内見て驚いたんですけど、地下1F全部リザードテイルさんなんですね……」
「スタジオ以外にも配信も出来る部屋があれば、という事で作ったんです。地下の方がやはり防音という面で優れていますから」
「じゃ、じゃあ今日も誰か……?」
「いえ、今日は面接という事で……ステラさんが居るだけですね」
ステラ、という名前を聞き、弓奈の緊張感が更に上がる。彼女が最終面談に面接官として参加することは既に事前に発表されていた。Vtuber界隈でもトップクラスの歌唱力と表現力を持ちながら、界隈全体の流れからはどこか外れた位置にいる異端の歌姫。他のVtuberとはイベントなどでの共演歴はあれど、正式にコラボをしたのはRe:BIRTH UNIONの後輩達のみ。その超然とした態度から彼女をカリスマ視するファンが多数いる一方で『人間味を感じない』という評もある。とあるWebライターは、目まぐるしく変化するVtuber界隈の中で揺るがぬ姿勢を貫いている彼女を『極星』と例えた。最終面接を前に、ステラ・フリークスに関する記事を読み漁っていた弓奈は、知れば知るほど彼女の事がわからなくなるという不可解な状況に陥ったまま、今この瞬間を迎えている。
「それでは、こちらへお入りください」
スタジオの、分厚い扉の前に立つと案内のスタッフは弓奈に一礼して去っていく。扉は自分の意思で開けろ、という意味なのか、スタジオ内からこちらへの呼びかけといったアクションは一切ない。
「……生まれ変わる、生まれ変わるんだ、私は」
意を決して扉を開く。そこには―――
※※※
DirecTalker上に開設された「作業の片手間に話す用」という身も蓋もない名前の通話ルームには、正時廻叉と魚住キンメが入室していた。廻叉は動画作成、キンメは依頼のあった丑倉白羽の放送用サムネイル作成に勤しんでいた。お互い、配信などはしておらずプライベートでの通話。話題は、今日行われている最終面接についてだった。
「昨日が元地下アイドルの子で、今日が廻叉くんの悩み相談切っ掛けで応募したピアノの子だっけ」
「そうですね。二人とも頑張って欲しいです」
「……でも、廻叉くん的にはピアノの子、えーっと、三摺木さん、だっけ。彼女に、肩入れしてるよね?」
「それはそうでしょう。正直に言えば、自分に審査の決定権が無くて本当に良かったと思っていますよ」
「まあ、私が廻叉くんの立場でもそう思っちゃうだろうからなー……」
「通話面接の時の事ですか。なんで私より先にキンメさんと龍真さんが泣いたのか」
「あれは仕方ないってば」
最近になってRe:BIRTH UNIONの新しいルールとして『配信の有無に関わらず、オンライン通話の際に本名で呼び合う事の禁止』が明言された為、二人もVtuberとしての名前で呼び合っていた。理由はオフラインで全員が直接顔を合わせた事により、今まで以上に距離感が縮まった為である。本名をうっかり口にしてしまう可能性が増えたのだ。逆にオフラインで直接会う場合は本名呼びが推奨されている。理由は単純に身バレ防止だ。
「今年は最初からステラ様の参加が発表されているので、我々が受けたような心臓に悪い出来事は起こらないでしょうからその点では安心ですが……」
「例年通りなら、みんなアレをやるんだろうね。まあ、アレを乗りこなせる人しか、ウチの社長とか佐伯さんとかステラ様は欲しがらないと思う。ステラ様も、今回は最初からいる事を前提に何かしらやってくるだろうしね。やらないはずがないもん」
「……なんかこう、ステラ様がどんどん黒幕化している気がするんですが。例のPDF見てから、余計にそう思えてくるんですよね」
わざとらしく乾いた笑い声を響かせながら廻叉が溢せば、キンメからも苦笑いが帰ってくる。
「あー、あのPDFかぁ。うちの会社狂ってるねー。下手すりゃ爆発炎上ものだよ、あれ」
「元は私が作っている動画の、ちょっとしたサプライズとして企画プロットを提出したんです。そうしたらステラ様が想像以上に乗り気でして……まさか全社的なプロジェクトに進化するとは」
「うっわ、廻叉くんステラ様をそういう目で見てたんだ……」
「そういうキンメさんはどうなんですか?」
「超が付くほど解釈一致。サンキュー執事」
「ウチの御主人候補の口癖真似しないでもらえます?」
廻叉は、自身の配信でよく見かけるコメントを口にするキンメに嘆息しつつも、今現在東京で行われているであろう最終面接に思いを馳せる。自身の動画の為に考えたアイディアが、自身の想定を遙かに上回る流れになってしまった事からの現実逃避という側面もあったが、それ以上に三摺木弓奈という少女の成功を本気で祈っていた。正時廻叉のお蔭で救われた、と話した彼女に、廻叉自身も救われた部分も少なからずあった。
「弓奈さんなら大丈夫です。根拠はありませんが、私はそう思っています」
※※※
スタジオには、音響機材のセッティングを行っているスタッフが一人いるだけだった。場所を間違えたのだろうか、と弓奈は一瞬考えるが、案内をしてくれたスタッフは間違いなくここの扉を示していたはずだ。
「おはようございます。三摺木さんですね?最終面接を行いますのでブース内にお願いします」
機材の前にある分厚いガラスの向こうには、ミュージックビデオやアニメのアフレコ風景などで見るレコーディングブースを小規模にしたものがあった。その中には、二人の成人男性がパイプ椅子に腰かけている。恐る恐る、空け広げられていたブース内への扉を潜り、小さく一礼する。
「み、三摺木弓奈です。本日は、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。リザードテイル代表取締役社長、一宮羚児です」
「Re:BIRTH UNION統括マネージャー、佐伯久丸です。よろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、音響スタッフの手によってブースの扉が閉められた。同時に、ブース内に設置されていたモニターの電源が入る。
「こんにちは、三摺木さん。ようこそ、Re:BIRTH UNION3期生オーディション最終面接へ」
2Dモデルの、ステラ・フリークスがそこに居た。特徴的な金色の目が、真っ直ぐにこちらを射抜いたような感覚に襲われ、弓奈は息を呑んだ。
「ふふ、緊張する事はないさ。周りをよく見てごらんよ。君にとって、馴染み深いものがそこにあるだろう?」
未だに上手く反応を返せない弓奈は言われるままブース内を改めて見渡す。そして、何故気付かなかったのか不思議に思えた。ブース内の中央の位置に、電子ピアノと椅子がそこにあった。
「あ、あのこれって……」
「ええ、色々と聞きたい事もあるでしょうし……まずはそちらのピアノの前の椅子に座ってください」
笑みを浮かべている一宮に促されるまま弓奈がピアノの前に腰を下ろした。自分が使っている電子ピアノとは別のメーカーの物だが、恐らくもっと高性能なものだろうことは察しがついた。
「最終面接は質疑応答よりも、オーディション参加者の皆様に……自由にパフォーマンスをしてもらう事を重視しています。Vtuberである以上、配信とは切っても切れない関係にある。カットや撮り直しの効く動画では既に、ここまで選考を通過した皆さんには一定の力量があると我々は判断しています。――ですが、我々はまだ皆さんの配信においての実力を見ていない」
未だに戸惑いの色が隠しきれていない弓奈へと、今度は佐伯が最終面接の意図を説明する。配信は、現在のVtuberの主流になりつつあるジャンルだ。ゲーム実況、歌枠、雑談、トーク企画と多種多様な配信が、恐らくは今この瞬間も、Vtuberが配信を行っている。Re:BIRTH UNIONが特殊な人材を求めているとはいえ、いざ配信で全く話せない、何も出来ないでは意味がない――その様な理由で、最終面接は常にフリーパフォーマンスがメインだった。
「改めて最終面接の内容を説明いたします。今から、初配信のつもりでこの場でパフォーマンスをして下さい。時間制限は最短でも30分以上、最長でも60分までとします。普通にトークをしてもらっても構いませんし、そちらのピアノはご自由に使ってください。内容は公序良俗に反しない程度なら、何でもありです」
「……そ、それが最終面接、なんですか?」
信じられない、という表情で弓奈は佐伯へと問う。しかし、佐伯は小さく頷くだけであり、一宮も静かに微笑んで見守っているだけだった。つまり、自分はこれから少なくとも30分の間、配信をしているという設定でピアノを弾くなり話すなりしなくてはならない。実際にピアノを弾くかもしれない、という想定はしていたが、それはあくまでも普通の面接の間に1曲か、あるいはワンコーラスだけ弾くような形だと考えていた。
何も浮かばない。最終面接で、何をしていいのかわからない。弓奈は、全身から血の気が引いていくのを感じた。
「ふふ、最終面接に来ると、みんなそんな風になるんだ。まぁ参加者にも内容については緘口令を敷いているから、こういう形での最終面接だなんて調べようもなかったし、考えもしなかったんじゃないかな?調べても、私が最終面接に不意打ちで現れたって情報くらいさ」
どこか楽しそうにステラが言う。弓奈がそちらに視線を向けると、モニターの上部にWebカメラが取り付けられているのを今更ながら見つけた。彼女も、どこかで自分を見ているのだ、と改めて自覚する。
「今のRe:BIRTH UNIONのメンバーもみんなそうだった。まず私が出てきた事に驚いた。そして内容に面を喰らって、狼狽した。ちょうど、三摺木さんと同じようにね。君がここに来た理由である廻くん……正時廻叉くんも、そうだった」
「廻叉さん、が……?」
「そうさ。ただ、いざ始まったら怒涛の一人芝居で危うく制限時間をオーバーするところだったけどね。配信のつもり、という前提すら忘れてしまったのは――ああ、全員そうだった。龍くんはまるでライブ会場に居るみたいに熱量のあるラップをしてみせたし、白ちゃんもほぼ60分フルで色んな曲をギターで弾いていた。キンメちゃんも、ずっと喋り倒しながら私のイラストを描いてくれたよ」
どこか恍惚としたような声色で、過去の最終面接合格者たちのパフォーマンスを、ステラは思い出していた。弓奈は何も言えず、ただモニターを見つめていた。
「三摺木さん。――君の憧れである、正時廻叉はやってみせたよ?だからさぁ……」
金色の目の瞳孔が開き、弓奈を射抜いた。
ステラ・フリークスは、ありったけの期待を込めて弓奈へと告げた。
「生まれ変わって見せろよ、三摺木弓奈」
これが、Re:BIRTH UNIONです。