「夏は、ずっと苦手でした」
暗転した舞台にスポットライトが当たる。そこには一脚の椅子だけがポツンと置かれていた。足音が響き、石楠花ユリアがステージへと現れる。ゆっくりとした足取りでステージの中央へと歩みを進めると、椅子の前に立ち一礼してから着席する。
《きたあああああああああああ!!》
《お嬢!可愛いよお嬢!!!》
《椅子は有るのにピアノはないのか……》
椅子に座ったまま、ユリアは微動だにせず前を向いていた。足音が響く。正時廻叉がしっかりとした足取りでステージの中央へと歩みを進めると、石楠花ユリアの隣で一礼した。ユリアは表情一つ変えない。廻叉へと視線の一つも向けはしなかった。そして、廻叉もまたそれが当然かの様にユリアの座る椅子の背後に立って表情一つ変えぬまま前を見据えた。
《執事ー!》
《やっぱ雰囲気あるなぁ、この二人……》
《さっきのNDXがどんちゃん騒ぎだっただけに、落差が凄い》
《見入ってしまうな》
最初に歌い出したのは、ユリアだった。座ったまま、簡単な手振りを付けながらワンフレーズを歌うと、そのまま動きを静止する。廻叉が歌い出す。同じように、小さな手振りと視線を向けるだけの即興のような振り付けだった。
そのまま、ラリーのようにワンフレーズずつ歌い続ける。3Dモデルを用いたライブにも関わらず、二人は最初の立ち位置から変わらない。ユリアは椅子に座ったままで、廻叉はその背後に控えたままだった。二人で歌っているというよりも、それぞれが再生と停止を繰り返すようなパフォーマンスだった。
《なんだこれ……すっげぇ……》
《3Dって動き回ってナンボだと思ってたけど、こういうやり方も出来るのか》
《まぁ派手にダンスをするタイプの二人ではない。ってか二人とも歌上手くなってない?》
《早口の活舌は執事が、極端な高音はお嬢が担当してるの、合理的過ぎる》
《交際宣言してる二人が最初のパフォーマンスで目も合わせないとは》
曲が終わり、アウトロも鳴り止むと再び舞台は暗転した。しかし、暗転は一瞬だった。明転すると廻叉とユリアが隣り合って立っていた。そのまま、改めて深々と一礼する。
「改めましてご挨拶させて頂きます。Re:BIRTH UNIONの正時廻叉と申します」
「同じくRe:BIRTH UNION所属、石楠花ユリアです」
いつも通り恭しく名乗る廻叉に対し、ユリアは少し緊張しているようだった。こうした挨拶は練習を重ねた部分ではなく、ほぼアドリブで行われている事もあってか、何を言おうか迷っているようにも見えた。
「お嬢様、落ち着きましょう」
「あ、ありがとうございます。何か、上手く言葉が出てこなくなってしまって……始まる前までは、視聴者のみなさんにどんな風に話そうかとか、色々考えていたんですけど……」
「我々の場合、ライブをトークで盛り上げるのは不向きですからね。龍真さんのライブや歌枠で勉強はしていますが、『仮にこれを私がやっても違和感しかないのではないか』という疑念が拭えませんでした」
「確かに……ライブ向きではないですよね……私は、どちらかというとコンサートみたいな空気になっちゃいますし、廻叉さんは舞台ですし……」
「その通りです。ですので、じっくり落ち着いて見て頂ければ幸いです」
《てぇてぇ……》
《もっとイチャついてるかと思ったら、普通に執事とお嬢様してるのな》
《公私の区別しっかりしててえらい》
《違和感は草》
《まぁ客を煽ってブチ上げるタイプではないわな、二人ともw》
《割とさっきまで叫び過ぎてたところあるからちょっと助かる》
「次は……廻叉さんのソロ、ですよね。音源で少しだけ、私もお手伝いしました」
「はい、他の楽曲の練習もある中でご協力いただきました。それでは、少々お待ちください」
二人が揃って一礼すると、舞台はゆっくりと暗転していった。
※※※
ステージライトすらも消灯され、完全に真っ暗な中で雨音が響く。明度の低いスポットライトに照らされた正時廻叉の姿は、強い雨脚によって霞んでいるようにも見えた。黒い雨傘を差しながらぼんやりと空を眺めているように見えた。遠雷の音も、雨音に掻き消されて微かにしか聞こえなかった。
《雰囲気あるなぁ》
《滅茶苦茶派手なステージ見てたから、これでもだいぶ抑えてるように見える》
《夏フェスは暴風雨に見舞われてナンボよ》
《湿度が高い》
「私は、雨の日が好きではない」
ぼそりと呟いた声は、憂鬱さを隠そうともしていなかった。
「私にとって雨は、行く手を遮るものに思えた。雨雲が空を覆いつくしているのを見ると、そのまま押し潰されてしまいそうに思えた。雨音に全てを塗りつぶされて、耳を塞がれているように思えた」
《台詞読みが上手い》
《心の声》
《もうナレーターやん》
《良くも悪くも普段からフラットな人だから、こういう弱音や愚痴みたいな事を言ってるのが新鮮だわ》
一歩、二歩と進むたびに水たまりを踏む様な音が響く。演出らしい演出は、ライトの色調と明暗。そして効果音だけだった。それでも、ライブステージは舞台になっていた。
「意外だろうか。私が青空を好むことが。何も不思議ではないはずだ。蒼穹の果てには、無限の星空が広がっているのだから。そもそも、機械の体に湿気は大敵だ」
雨音が止み、雲間から陽射しが差すようにスポットライトが廻叉を照らす。傘を閉じて、空の向こうを眺めるかのように光の差す方へと顔を向けた。
「だから私は歌おう。あの空へ向かって」
《!?》
《おおおおおお!!!》
《トークで盛り上げるのは苦手でも、歌で盛り上げられないとは言ってないもんな》
《元々表現力持ってる男が歌唱力まで上げてきた》
《表情は変わらないしオペラマスク付けてるし、それでも身振りで感情がガンガン伝わってくる》
《エモい……!!!》
正時廻叉の一人舞台が終わり、ギターの音色が響く。日本語の歌詞だけで構成された、ロックナンバーだった。決まった振り付けがある訳ではなく、視聴者にアピールするような事もしない。歌詞がそのまま台詞であるかのように、ミュージカルやオペラを演じるかのように歌う。間奏のモノローグは、淡々としながらも身振り手振りで切々と訴えかける様に語ってみせた。サビにはユリアのコーラスも混じり、視聴者を大いに沸かせた。
雨空のような、薄暗いステージで始まった舞台は、青と白のライトに照らされていた。
「――ああ、空が青い」
歌い終わり、正時廻叉がそう呟くと同時に舞台は再び暗転した。
※※※
《いやー、すげぇもん見たな……》
《まさか執事があんな火力高い曲を歌うとは思わなかった》
《次はお嬢のソロか?デュエットか……?》
真夏の太陽が燦々と照りつけるかのように、ステージはこれまでよりもずっと明るく照らされた。ステージの中央には、キーボードが置かれている。足音と共に、真っ白な日傘を差した石楠花ユリアが現れる。キーボードの前へと立つと、空を見上げて眩しそうに目を閉じた。
「夏は、ずっと苦手でした。暑さに弱いのは、昔からでした」
《お嬢!!》
《白いパラソルが似合っておられる……!》
《小道具も傘二つか。シンプルでいいな。DJDの時とか、どこで用意したってくらい銃火器いっぱい出て来たもんな》
《可愛い……でもユリアはもう執事のなんだ……》
「……太陽が輝けば輝くほどに、外の世界から拒まれているように感じていました。ずっと、私は部屋の中で夜を待っていました」
告解するように呟いて、日傘を閉じた。キーボードに触れる。電子ピアノの音で、サビのワンフレーズを弾いた。音を確かめると、備え付けられた椅子に腰を下ろした。
「でも、今は少しだけ夏も太陽も好きになれました。だからこそ、夏が嫌いだったころの気持ちを忘れたくない。ネガティブな私も、今の私に繋がっている大事な存在だから」
《あっ……》
《ヤバい、またエモ曲だ!!》
《お嬢、意外とロック好きよね》
《頑張れ……!》
「聴いてください――」
ロックサウンドに、弾き語りのピアノを織り交ぜてユリアは歌う。夏の気怠さに自己嫌悪を溶かしたような歌詞を、噛み締める様に歌う。演出らしい演出は無かった。歌が進むにつれて、背景のライトが少しずつ赤に染まっていった。
太陽が沈み、夕日に染まっていくように。
ユリアが歌い終わると、疲れ切ってしまったかのように背もたれに身を預けて眠るように目を閉じた。
少しずつ日が沈んでいく。ステージライトは、黄昏色になっていた。足音が響く。黒の雨傘と、白の日傘を持った廻叉が現れる。無防備に眠るユリアの姿に、少し困ったような逡巡を見せた。
「……お嬢様」
小さく、声を掛ける。そっと肩に手を触れて、少しだけその身を揺らしながら。ユリアが浅い眠りから覚めるにはそれだけで十分だった。
「……廻叉、さん」
自分が眠っていたという意識すら希薄なユリアが、寝ぼけたように呟く。その声色は、彼がこうして迎えに来る事を分かっていたようだった。
「廻叉さん、私、星を見に行きたいです」
真っ直ぐに廻叉を見て、ユリアは小さな我儘を呟いた。
次回は20日以降になりそうです。
改めまして、本日情報解禁となりましたのでご報告させて頂きます。
拙作「やさぐれ執事Vtuberとネガティブポンコツ令嬢Vtuberの虚実混在な配信生活」がTOブックス様より、2024年1月20日に発売となります。また、本日より予約受付も開始しております。
イラストは駒木日々様に担当して頂いております。TOブックス様オンラインストアの他、公式Twitterにて表紙イラストが公開されていますので、是非ご覧ください。
今後も情報があり次第、筆者のTwitterでも発信する予定となっています。
筆者Twitter:https://twitter.com/Mizkey_Siz_Q
TOブックス様公式Twitter:https://twitter.com/TOBOOKS
担当編集様、駒木日々様、そして何より読者の皆様のお陰でこうして書籍として発売することが出来ました。心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
御意見御感想の程、お待ちしております。
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余談:どうしてもXって呼び方に違和感があります。