「……まだ、内緒」
結論だけ端的に言ってしまえば『デートしたいからこの日をオフにしてくれ』という交渉は無事に成立した。その代償として、休暇の日取りと理由が同僚どころか株式会社リザードテイル全体にバレてしまうという問題こそ発生したが、廻叉にとってはそんなものは精神に欠片のダメージにもならない。ユリアに関してはダメージを受けるだろうが、後でフォローすればいい。
それよりも問題となっていたのは、先輩からのアドバイスとも言えない「ちょっとした気がかり」の方だった。
『お前、身バレ対策大丈夫か?』
三日月龍真に尋ねられ、昼の配信を切り上げて美容院の予約を行った正時廻叉こと境正辰。全く配信の関わらない完全プライベートのデートに、自分の想定以上に舞い上がっている自分に気付く。
「髪型自体はまぁ、今の感じのまま毛先を整えてもらって……あとヘアカラーを……色はダークアッシュ系で。はい。予約の時にお願いした感じで……」
龍真に紹介された美容院で完全に借りて来た猫と化している姿は、ユリアだけでなく同僚や同業他社のVtuber、全ての視聴者に見せられない姿だった。
※※※
石楠花ユリアこと、三摺木弓奈は毎度毎度律儀に自宅の最寄り駅まで迎えに来てくれる境正辰を待つ時間が好きだった。こうしたプライベートでの外出以外にもスタジオ収録や、事務所での様々な作業の日程が被る度に、彼はいつでも時間通りに改札の奥で待っていてくれていた。
何度か「たまには自分が迎えに行きたい」「いつも早く来てもらって申し訳ない」と伝えた事もあった。しかし、その度に彼は――配信上で見せる姿からは想像がつかないような――笑顔で首を横に振る。
「早く会いたくて俺が勝手に早く来てるだけなんだ。弓奈さんに会うのが楽しみで」
こういう事をしれっと言ってのける相手に弓奈は何度赤面したかわからない。照れ隠しに「前の彼女さんにも同じような事を言ったんですか?」と聞いたことがある。しかし、少し思い返すような顔で「……どうだっけ……そもそも最後に付き合ったの五年か六年くらい前な気が……」と思考に沈み始めてしまったので、慌てて止めた。もしかしたら思い出したくない記憶かもしれないし、過去の恋人と比べられたらと思うと、怖くなってしまったのもある。
同接何千人以上の視聴者の前で交際宣言した以上、自分だけが彼の恋人だという自覚はあるが、ベストの恋人であるかはまだ自信がない。
「……あれ?」
暑さとネガティブな思考で精神が渦巻く感覚を覚えながら最寄り駅に到着する。待ち合わせの時間より少し早いが、この時間になれば正辰はもう待っていてくれている。何なら数分前に到着した旨のメッセージが届いていた。しかし、改札の向こうに居るはずの青年は居ない。
その代わり、全く同じ顔立ちで髪色と服装の雰囲気が違う青年が居た。
「……正辰さん?」
半信半疑で話しかけると、いつも通り微笑んで頷いた。
「……いや、付き合ってるってバレてから二人で出かけるの初めてだからさ。身バレ対策に髪染めて、服装も廻叉っぽくない感じにしてみたんだけど……大丈夫かな?」
「に、似合ってます!ちょ、ちょっとビックリしただけで!!」
「そ、そっか、良かった……!いい歳のおじさんがハシャいでるって思われたらどうしようって……!」
「おじさんだなんて、そんな……私からは、お兄さんです。お兄さんです!」
「そんな念押しみたいな言い方しなくても……いや、嬉しいけどね」
身バレ回避が理由とは言え、イメージチェンジした姿は贔屓目を抜きにしても実に似合っていた。染めたとはいえ、そこまで派手な色でないのは正辰らしくもあった。一方で自分はどうだろう、と弓奈は考える。精一杯のお洒落はしているつもりだが、微妙に地味ではある。ファッションに疎い自覚がある故に、親友である如月シャロンに自分が持っている服を全部写真に収めてコーディネートを考えてもらい選んだのが今日の服ではあるが「もっと明るい色の服を買おう?」とダメ出しを受けてしまった。
「私も身バレ対策した方がいいでしょうか……?」
宇羅霧クロスの配信などの影響で、どちらかといえば正辰の方がよほど身バレの危険性は高い。一度見せてもらった劇団員時代の写真と比べるとイメージがだいぶ変わっているが、整形手術をしたわけではない以上気付かれない可能性はゼロではない。そして、正辰と行動を共にしている自分が石楠花ユリアだとバレる可能性も同様にゼロではないのだ。
「そうだね……サングラスや伊達眼鏡、帽子とかを買おうか。買い物は今日のプランに入ってはいたけど、何を買うかまではしっかり決めてはいなかったからさ」
俺もサングラス買おうかなぁ、などと呟きながらホームへと向かう背を追いかけながら、弓奈は嬉しそうに微笑む。たとえ身バレ対策のグッズとしてであっても、一緒に選んでくれるという事実が弓奈には嬉しかった。
※※※
「……どう?」
「その……似合ってはいますけど、ちょっと怪しい人っぽいです」
「確かに映画に出てきたらあくどい事してそうな感じではあるけども」
レンズ部分の丸いサングラスを試着した正辰を見て、弓奈が率直な感想を述べた。似合ってはいるが、どこか闇商人感が出てしまっている気がしてならない。真っ黒なレンズだったのも、余計にそんな印象を強めているようにも見えた。一方で弓奈が選んだのは、プラスチックフレームのファッショングラス、早い話が伊達眼鏡だ。フレームのカラーバリエーションも多く、そしてブルーライトカットのおまけつき。値段も手ごろなのも嬉しい。
「どうでしょうか……?」
「今日は敬語無しでいいって、電車でも言ったのに。まぁ、それはさておき似合ってるよ。なんだろう、やっぱり眼鏡一つで印象ってだいぶ変わるね。あ、でもこっちも良さそうじゃない?」
「わ、可愛い色のレンズ……正辰さん、丸いレンズに拘りがあるの?」
「なんか漫画とかアニメで出てくるキャラで、こういうのしてるタイプが好きでさ……」
「お二方ともよくお似合いですよ」
丸いレンズに対する並々ならぬこだわりを語る正辰の姿に苦笑していると、店員が微笑みながら話しかけてきた。親切ではあるのだが、似たタイプのオススメとして持ってきてくれた商品が自分たちの選んだものより若干高い商品だった辺り、流石にしたたかではあった。
「ありがとうございます。でもせっかくなんで自分たちが選んだのにしときます。あ、ケースだけ選んでもらってもいいですか?」
「そうですね、普段から持ち歩くのならこちらの軽量でコンパクトな方が……」
店員の話にただただ相槌を打っていた弓奈に対し、正辰はまるで昔馴染みであるかの様に話を進めていた。年齢だけでなく、人生経験の差が如実に出ているような気がする。自分が今の正辰の年齢になった時に、同じように落ち着いた対応が出来るだろうかと考える。
「なれるかなぁ……」
「普段眼鏡を使われない方は最初は違和感があるかもしれませんが、ご心配なさらずともすぐに慣れますよ」
「あ、はい!ありがとうございます……!」
内心でボヤいたつもりが口に出ていたらしく、店員から返事が来て思わず反射的に弓奈の背筋が伸びた。配信上であれば鳴き声と称される奇声を発したところだったが、なんとか堪えきれた。
※※※
「カラオケも久々だなぁ……」
「私も、年始にシャロちゃんたちに誘われていったのが最後だから……」
眼鏡だけでなく何着か弓奈の服を買った後、定番といえば定番のカラオケへと入った。夏休み中とはいえ、平日の昼下がりは客も少ない。いわゆる激安店を避けたのもあって、値段こそやや嵩むもののプライバシーの保護という観点で言えば申し分ない。
「仕事の事は忘れて……って言いたいところだけど、ちょっと練習も兼ねてって感じでね。リハーサル用にスタジオの予約も取れたし、いきなりそこで合わせるよりはね」
「まだ二人で歌う曲、決めてないし……正辰さん、何か歌いたい曲、あるの?」
「リクエストだけは滅茶苦茶来てる曲があるんだけどね……オーバーズや個人勢で定番化してるあの曲」
「あー……手書きアニメの可愛いPVの曲、ですか?」
「まぁ折角だし、ファンサービスって事で……後々、動画にしてもらおう。うん。ゲスい言い方するけど、絶対再生数が回るし」
「それは……私もちょっと思いました……」
そう言いながら、該当の曲を入れる。明確に恋愛をテーマにした楽曲だけに、一回目はお互いに照れが隠しきれていなかった。それぞれ別の楽曲を入れたりしながらも、何度も同じ曲を流してはどこで失敗したかを確認しながら歌っていた。
「本当はこの曲を一緒に歌いたいんだけど、これはもっと大事な時にとっておこうか」
フロントから十分前を告げる電話が鳴ったあとに正辰が入れた曲が、弓奈には印象的だった。これもラブコメ系作品のアニメソングであったが、二人との関係というよりも二人の人生を歌ったような楽曲だった。正時廻叉と石楠花ユリアであり、境正辰と三摺木弓奈の曲だった。
「素敵な曲ですね……私も一緒に歌えるなら、嬉しいですけど……その、大事な時って?」
「……まだ、内緒」
何かを言いかけて必死に飲み込んだように見えた。正辰が隠し事をするのは珍しいが、自分ではそれを引きずり出すほどの話術も無い。泣いて喚けば教えてくれるかもしれないが、それをするのは余りにもみっともない。とはいえ、彼がうしろめたさ故に隠している訳ではない事だけは分かるのだから、いつか伝えてくれる日を、その『大事な時』が来るのを待とうと思った。
※※※
『はい、旭です』
「お疲れ様です、境です。こないだ教えてくれた洋食屋、美味しかったです。弓奈さんも気に入ってくれました」
『そりゃよかった。たぶん、正辰もああいうタイプの店が好きだろうし、彼女さんがガチお嬢様だったら高級店とか行き飽きてるんじゃないかと思ってな』
「むしろ一流フレンチとか高級店に気後れするタイプですよ、あの子は。俺もですけど。お陰で、ゆっくり落ち着いて食事も会話も出来たので……俺らも行きつけにしちゃっていいですか?」
『はっはっは、そりゃ勿論。メディアに興味がないタイプの御主人だし、仮にお前や彼女さんがVtuberだってわかったところで興味ないだろうしな。芸能人のサインとか取材に来た系のステッカーとかも無かっただろ?』
「確かにそうですね。良い意味で気兼ねせずに行けるお店が出来て嬉しいですよ」
『……まぁ似たような店は他にも知ってるけど、敢えてあそこを教えたのは隣にジュエリーショップがあるからなんだが』
「……今後二人で行くのに気兼ねする要素を出してきましたね。行った日は、たまたま休みでしたけど」
『まぁ、お前さんの事だから考えてはいるだろうなって予想しててな。先輩なりに背中を押す準備は出来てるぞ、っていうメッセージだよ』
「外堀を埋める為に重機に乗って来た旭さんの姿を幻視したのですが」
デートの翌日、店を紹介してくれた旭洸次郎に連絡を入れたところ、余計な気を回してくれていた事が発覚し、正辰は閉口した。
とはいえ、いつか来るであろう『大事な時』の為に、あの洋食屋とジュエリーショップの場所は絶対に忘れないようにしようと心に決めた。
何でしょうね、『大事な時』って。お好きなルビを予想してください。たぶん合ってます。
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