「The SINES 3D Live ShowCase -1-」
運動神経に自身のある方であっても、凪が行った企画は真似しない方がいいと思います。怪我されても、筆者は責任取れません。
月詠凪というVtuberの印象を視聴者に問うと、その答えは「物腰の柔らかい好青年」「フィジカルスーパーエリート」「珍しく清楚寄りの男性」という物が大半を占める。一方で、近しい関係者――例えば、それは同期のVtuberであったり、現実世界で交友のある人物からは別の印象が浮かぶ。
「凪兄ちゃんってさ、凄い良い人だけど多分俺や朱姉ちゃん以上にヤバいところあると思うんだよね」
凪のソロコーナーに移行するため、一度スタジオから前室で待機中の逆巻リンネは、対面の椅子に腰を下ろして振り付けの動画を確認している緋崎朱音へと呟いた。
「……根拠は?」
「まぁ割と直感。そもそも、俺らが知ってる表面的な情報だけでもとんでもなく重たい過去背負ってるでしょ、凪兄ちゃん」
「まぁ……それは否定しない」
父子家庭、高校卒業後に父との死別、更には内定取り消し。事実上の天涯孤独に近い身の上。それでも友人や周りの助けによって曲がらずに生きて来たのが月詠凪というVtuber、水城渚という青年だった。だが、曲がってはいないだけで、歪みが存在しないという訳ではなかった。
「リハの歌とか、演出とか台詞とか。あれ、今まで凪兄ちゃんが一度も見せてこなかった顔だったからさ。なんか、気になっちゃって。俺、聞いたんだよ。『それが凪兄ちゃんの素の姿なの?』って」
「リンネくん、怖いものなしなの?」
同じく凪の演目を知っている朱音は呆れたような顔でリンネを見据えた。トーク能力に長けた弟分ではあるが、若さゆえの無遠慮を諫めるのはこれが初めてではない。
「むしろ怖いものを知ったまであるよ」
「キレられたとか?あんまり想像つかないけど」
「笑ったんだよ」
訝しむ朱音にリンネは被せる様にそう言った。怖がっている素振りこそないが、苦笑いを浮かべて思い返す様は本当にその時に恐怖を感じたという軽口が事実である裏付けになっていた。
「なんだろうなー……リバユニに入れるだけの人だなって。いつもは優しい笑顔の凪兄ちゃんがあんな怖い笑い方するんだーって。俺らが見てきた凪兄ちゃん……いや、渚兄ちゃんって、表面だけだったのかなって少し思った」
「……いずれ話してくれる。それまで、信頼を積み上げればいいの。今は自分たちの演目に集中。スタッフさんに聞いたら、現時点で同接五千人超えてるんだって。五千人の前で半端な事したい?」
「したくない。OK、この話は今度じっくり三人で話そう。ごめんな、朱姉ちゃん」
「私よりも凪くんに謝るべきだってのは理解してるよね?若さゆえのノンデリカシーは私もやりかねないから何様って話だけど……トークメインのリンネくんは、一歩間違えればあっという間に炎上沙汰だからね?」
「そりゃあもう重々承知してるよ」
※※※
「はい、という訳で。月詠凪が3Dでやりたい事――まぁ、色々と動き回りたいっていうザックリしたことしか思い浮かばなくてさ。スタッフさんと一緒に色々考えて、一つ企画を持ってきました」
月詠凪が立っているのは先ほどまでのステージと同じ場所である。ただ、ライトが全て付いていて、先ほどまでステージ上に存在しなかった物が多数置かれていた。
《もう既に片鱗は見せつけられたけどな》
《世が世ならアクションスターか忍者だな》
《他に使いどころがなさそうな備品がいっぱいあって草》
「身体能力をアピールするのに一番いいのは、体力測定。ただ、普通にやったんじゃ面白くないのでエクストリーム体力測定をやります。っていうか、一度参考記録出すためにやってるしね」
《草》
《まぁ3Dの定番だよな。なんならお嬢もやってたし》
《そういえばお嬢の時の参考記録でボール投げと50メートル走してたな》
《エクストリームの単語が不穏過ぎる》
説明もそこそこに、ステージ奥に置かれた子供用の跳び箱、クッションを分解してステージの中央に運ぶ凪。もくもくと組み立てると、カメラの真正面に笑顔を向けた。
「第一種目、反復横跳び箱」
《ちょっと待てい》
《何を言ってるの?》
《ははーん、さては凪くんお馬鹿さんだな?》
「ルールは簡単。反復横跳びです。ただし中央に、近所の子供向け体操教室から借りて来たクッション跳び箱を設置して、跳びます。跳び方は自由。それじゃよーい、スタート」
明らかにおかしなことを言っているにも関わらず、ナチュラルなテンションのまま凪は動き始めた。最初はハードルを飛び越える様に、次第に片手を付いての飛越、跳び箱を踏み台にしてのジャンプと、様々なレパートリーを見せた。最後の方は側転や前方宙返りも自然と混ぜ込んでいた。
《は?》
《ええええええええええ?!》
《すげぇ》
《めっちゃ軽やか……》
《子供用の三段の跳び箱とか逆に低すぎて難しいのに》
《ジャンプが高すぎて一瞬凪の体バグって草》
《それでもあの動きについていける機材を褒めるべき》
《うーん、モンスター……》
《てか、マットくらい敷いてくれ。俺らは事故が見たいわけじゃないんだ》
「うーん、勢い付きすぎて反復横跳びとしての記録が伸びなかったね。残念残念。ふふ、やっぱ体を動かすのはいいね。なんていうか、解放される気分になる」
《ひぇ……》
《凪が悦楽系の笑い方しとる……》
《やっぱVtuberって、そしてRe:BIRTH UNIONってヤベー奴らしかいねぇんだな……》
「続いての競技も跳び箱使いまーす。題して、バック宙幅跳び」
《もうフィジカルバカの考える競技で草》
《凪が何をやるかは分かるけど、凪が何を考えてるのかわからない》
《これ、体力系TryTuberが普通にパクりそう。今のうちに特許出す?》
《草》
《落ち着け、本当に運動神経良い奴じゃないと怪我人続出するタイプの競技ばっかだぞ》
「えー、まず跳び箱の上に立ちます。で、ここからバック宙しての距離を競います。参考記録はありません。さっきの反復横跳び箱もだけど、俺が世界記録保持者です。あ、一応マットは敷いてるから安心してね。まぁマットより遠くへ飛びたい気持ちはあるけどね。ふふふ」
コメント欄の興奮状態と恐慌状態が入り混じった狂騒には目もくれず凪は跳び箱の先端に立ち、後ろを向く。カメラもそれを横から捉えるアングルに切り替わった。
「それじゃいきまーす、せーのっ!」
踏み切りの足音と同時に、両手を広げて凪は宙を舞う。伸身の後方宙返りだった。プロレスファンであれば、ムーンサルトプレスと同じ跳び方だと気付くだろう。力強い踏み切りとは裏腹に、凪は高く、静かに飛んで見せた。そして、危なげなく着地して体操選手の様に両手を広げた。
《おおおおおおおおおおおおお》
《美しい……》
《まさかこんなにフワッと飛ぶなんて思わなかった》
《今の切り抜いてショート動画にしてくれ。毎日見たい》
《もっと勢いよく吹っ飛ぶくらいのを想像してたからビビった》
「距離は……ええと、1メートル……と、62センチ。んー、着地に重点置きすぎたかなぁ。高く飛んじゃったせいかな。まぁ失敗して大事故映像お送りするわけにもいかないなぁ。ふふ、うふふ。もう一回くらい飛んでもいいけど、時間が時間だから……次が最後の種目なんだけど、あースタッフさんありがとうござます」
《笑顔が怖いのよ》
《その距離が良い記録なのかどうかもわからない》
《なんか運ばれてきたぞ》
《筋トレ用の道具?ってかぶら下がり健康器?》
コメントにもある通り、スタッフが運び込んできたのはぶら下がり健康器だった。スタッフが3D画面上では映っていないため、器具が自走してセンターに鎮座している様に若干視聴者がざわついていた。
「えー、最終種目ですが――逆さ吊り上体起こしです」
《名前で何やるかは分かるけどさぁ……w》
《本来の使い方じゃないんだよ》
《草》
「まぁ膝でぶら下がって腹筋運動って事で……よい、しょっと」
逆上がりの要領で体を持ち上げると、そのまま膝の裏で棒を挟んで逆さまの状態になった。ゆらゆらと凪が揺れる様が画面上にも映っていた。
「一応、スタッフさんが支えてくれてるんで倒れたりはしないと思います……それじゃ、スタートっ……!!」
あとは、ひたすらに腹筋の運動である。それまでのアクロバティックな動きに比べれば、ひたすら地味な画ではあった。スムーズに動いていたのもわずかに4回ほどであり、その後は逆さ吊りのまま藻掻くだけの姿が映し出されていた。普通の筋トレであれば百単位の数もこなせる凪ではあったが、膝で体重を支えている事と、ここまでの運動での疲労もあった。そして何より、リハーサルではぶら下がっても器具が損傷しない事を確認するとすぐ降りてしまっていたので、実際にやったのがこれが初回だというのが問題だった。
「……きょ、今日はこれくらいで勘弁してあげようかな……!この後は、俺のソロ歌……!」
《草》
《派手に始まって地味に終わった》
《平地での腹筋とは訳が違ったか》
《格闘漫画の主人公の修行回でやる奴だったもんな……》
《ソロ歌楽しみ》
※※※
待機画面が切り替わると、そこはステージではなかった。夜の海が見える、堤防の突端に月詠凪は立っていた。左右で色の違う眼が、月明かりの中で輝いていた。
「ここは、俺の始まりの場所。ずっとここから、外の世界を想像していた」
離島生まれであることは、既に明かしている。そして、この場に来ている視聴者もそれは把握している。普段の配信でも、夜の海が見える背景を愛用している事から、月詠凪と夜の海は深く繋がっている事は、誰の目にも明らかだった。
「故郷が嫌いな訳じゃない。友達も、俺の事を可愛がってくれる大人も居る。……親も、居た。でも、俺は外の世界を知りたかった。それでも、どこか孤独だったのは――俺が、故郷を離れたいという気持ちがずっとあったからなのかもしれないね」
《過去形……》
《察してしまった》
《なんていうか、自然体だからこそ胸に来るものがある》
「俺の名は月詠凪。夜の海に孤独に浮かぶ月。この歌は、昔の自分を重ねた歌。どうか、聴いてください」
イントロが流れ出す。同時に、凪の歌声が響く。
その歌声は、例えばステラ・フリークスや緋崎朱音の様に才能と技巧に溢れている訳ではなかった。
或いは、正時廻叉や石楠花ユリア、小泉四谷の様に表現力に長けている訳でもなかった。
ただ、等身大の青年が、自分の内面の痛みや苦悩を歌に重ねて謳い上げていた。
《いい……》
《泣いてないのに、泣いているみたいな歌声》
《凪くんの過去に思いを馳せてしまうな》
《あかん、こっちもなんか泣けて来た》
《この曲めっちゃ好きだから嬉しい。でも、凪がこの曲に何を重ねたか考えると苦しい》
振り付けも特にない。ただ、感情の赴くままに声に合わせた動きが出るだけだった。自然と、胸を掻きむしるような動きになってしまっている自覚はあった。心の痛みに耐えるように。心の奥に居る水城渚としての感情が表に出過ぎないように。
最後に振り替える。曲の終わる瞬間に海を背にして、凪は笑って手を振って――――
そのまま、倒れ込む様に海へと落ちて行った――――
《あああああああああああああ!?!》
《落ちた!?》
《これ、PV再現じゃん!!》
《うわあ……最後の笑みが、いつもの笑顔だったのが辛い……》
《メタい事言うと、撮ってるのはスタジオだから舞台っぽい段差から倒れたんだろうけど、なんであんなに怖がらずに倒れられるんだ?恐怖心とか無いんか?》
《なんだろう、月詠凪の身体能力は知れたけど、内面がわからなくなった感はある……》
視聴者の困惑を残したまま、画面は次の演目を知らせる待機画面へと切り替わっていた。
『NEXT......逆巻リンネ、ソロ企画&ライブ』
イメージ楽曲は「veil/須田景凪」です。某アニメのEDで知ったので、後でバルーンさんだと気付いて驚愕した思い出。
凪の過去、色々と考えていたら無限に膨らんでいったので、いつか発表出来る機会があればいいなぁとか思っております。
ご意見ご感想の程、お待ちしております。