「別々の道を歩きながら、同じ場所を目指して -緋崎朱音の場合-」
「あれ?千ちゃん社長ー、3番ブースって今日一日埋まってる?」
Vインディーズ所属の男女混成ロックバンド『ラウドゾンビ』ボーカル担当、レディ・スカルは本日のスタジオ使用予定表を見て驚いた。Vインディーズ所属者だけでなく個人運営のVtuberを対象とした貸しスタジオの事務所で作業中の千条寺クリアに対し、ホワイトボードを指差しながら説明を求める。
「ああ、説明してませんでしたか?クリスティーナさんがオフの日にボーカルレッスンやってるって話」
「なんかDirecTalkerにそんなようなのを見た気がする!」
「相変わらず曖昧な記憶力ですね……ま、まぁ御自身のスケジュールを忘れていないのであれば、問題はないですが……」
「そうそう、問題なしなしー。っていうか、クリス姉さん凄いよねー。デビューしてから出す曲全部バズり散らかしてるじゃん」
「正直、遅かれ早かれあの方の実力であれば伸びるとは思ってましたが……想定以上の速さでしたね」
「大人の女性の歌声ってVの界隈だと少ないからねー」
二人の話題は2019年の11月にデビューし、Vインディーズの期待の新星として一気に界隈から認知度を得た女性バーチャルシンガー、クリスティーナ・ブロッサムだった。Re:BIRTH UNION四期生オーディションでは最終選考まで残るも落選、その後は紹介状を持ってVインディーズに加入。パワフルな歌声と、年齢が「40歳手前」と公表したことが話題を呼び、歌唱力と豪放磊落な性格からファンから尊敬と親愛の情を向けられている。
「最初はバーチャルの世界に馴染めるか、ちょっと不安ではあったのですが……杞憂でしたね。むしろ、今現在の時点で我々の精神的支柱になっています」
「クリス姉さん、Vディーのみんなにウルトラ愛されてるよねー。いい意味で親戚のおばちゃん感あるというかなんというかー。あ、そうそう、今年お年玉貰ったよクリス姉さんから」
「ぶっちゃけ私も貰いました。最初は遠慮したんですが『若い子が遠慮しない!』の一言で押し切られましたね……私、来年三十になるんですが」
「千ちゃん社長、バーチャルでもリアルでも若く見えるもんねー。むしろ、リアルのが若く見えるというかー、超童顔。あ、今日レッスン受けてるのってVインの子たち?それとも個人勢?一応、場合によっては同業他社もOKだっけ」
「言わないでください童顔気にしてるからバーチャル世界で大人にしたんです!……今日は、一日中同じ人です。たまたま空いてたとはいえ、まさかの貸し切りですよ」
千乗寺の言葉にスカルはあからさまに怪訝な顔をした。いくらVtuberとしては未だ新人の域に入るとはいえ、元プロシンガーのレッスン一人占めである。まさかとは思うが、ファン心理を満たすために予約を入れたのではなかろうな、スカルが無用の心配をしてしまうのも無理のない話だった。
「ちゃんと朝・昼・夜の三コマ分のレッスン費も頂いてますし、全日空いてる日を希望されてましたからね。熱意が凄かったよ」
「で、それどなたなの?」
スカルの疑問に千乗寺は笑みを浮かべて答えた。
「Re:BIRTH UNIONの緋崎朱音さんですよ」
※※※
緋崎朱音はアイドルである。Vtuberでもある。だが、それ以上にアイドルである事に拘っていた。一部からは『だったらリバユニじゃなくてにゅーろでよくない?』という声もあった。また、自分だけでなく他のRe:BIRTH UNIONのメンバーをアイドル化しようとする彼女の言動に反発するリスナーも少数ではあるが存在している。
そんな声を朱音は一笑に付す。その程度の声で止まらない、止まれないからこそ彼女はRe:BIRTH UNIONを選択した。
「うーん……三コマ目まで教えてから言うのもなんだけど、そこまで教える事ないんだよね。基礎も出来てるし、普段から練習もしてるように思えた。だからこそ応用編メインで教えたわけだけど、朱音ちゃんとしてはこれで足りたかい?」
夜の部のレッスンを半ば終えたタイミングで、クリスティーナ・ブロッサムは朱音へと飲み物を差し出しながら問い掛けた。地力という点では明確な足りない部分は無いという判断から、朝のレッスンの時点で応用課題へと切り替えていた。そして、朱音はそれに付いて行ってみせた。
「いや、まだまだです!体に覚え込ませて、自然に……いや、無意識に出来るようにならないと!」
「普通に歌う分には、十分すぎるほど上手いと思うけどね」
「でも、歌って踊るんですから!ダンスも歌も、曲を聴いて反応できるくらいまで覚え込ませたいんです!そうすれば、意識はファンサやカメラ映りとかに集中できますから!」
「……なるほどね。ふふ、私じゃなくて朱音ちゃんがリバユニ合格した理由は、そういうところだろうね」
クリスティーナはあくまでも歌手である。身振り手振りこそあるが、振り付けを付けて踊りながら歌う事は少ない。レコーディングは勿論、ライブであっても歌う事だけに意識を集中できる。3Dアバターを持たず、2Dアバターしか持ち合わせていない事もあり、より歌だけに集中できる状況かだ。
しかし、朱音は違う。3Dアバターのお披露目配信が待っている。そうなれば、歌とダンスの両方を魅せる必要があると朱音は考えており、そして自分に要求する水準が著しく高い。更にアイドルらしいファンサービスや配信上での自身の映り方に至るまで、思考を巡らせている。
「なんていうか、努力できるのが嬉しいんですよ」
「へえ。そういう言い方をするって事は、したくても努力できなかったってことかい?」
「あー……クリスさん……っていうか、果奈子さんになら、話して良いかな」
ブース内に備え付けられた椅子に腰を下ろし、クリスティーナ・ブロッサム……『桜田果奈子』の正面に座った緋崎朱音は、『安芸島結』としての話をする。
「私、地元で本当にインディーズ……いや、ドインディーって言っていいレベルの地下アイドルだったんです。中学の終わりごろに面接受けて、高校一年生になると同時に正式加入くらいの感じだったかな」
地域密着型と言えば聞こえはいいが、実際には地元の小さなライブハウスやCDショップのイベントスペースが主戦場となるような地下アイドル。アイドルとしてのステージに立ちたいと考えていた結にとって、規模は関係などなかった。最初こそ上京してメジャーアイドルのオーディションを受けようと思っていたが、両親から『せめて高校を出てから挑戦してほしい』という反対意見を貰い、折衷案として地元で出来るアイドルを始めた。それでも、多数のオーディションに落ち続け、それでも歌とダンスを磨き続けた。その結果辿り着いたグループだったからこそ、彼女はさらに努力を重ねた。
「で、まぁ今ほどじゃないですけど歌もダンスも頑張って頑張って……で、当時のスタッフさんとかは凄く良い人ばっかりだったんで、凄く褒めてくれて。立ち位置もセンターかそれに近いくらいの位置まで上げてくれたり、歌もダンスもソロパートが増えて……」
自身の成功を語っている。内容だけで言えばそうだが、果奈子から見れば『思い出したくもない過去』を語っているようにしか見えなかった。
「メンバーとファンから滅茶苦茶嫌われました」
「その表情から、そうなんだろうなとは察しが付いたけどね。理由は、嫉妬あたりかい?」
「そっちのがマシでしたね。『お前だけ上手いと私たちまで練習しないといけなくなる』って理由でした」
「……プロの考えじゃないね、それは」
「ファンの人も自分の推しのパートが減るのは『ゆい』のせいだって感じで、人気も落ちる一方でしたよ。スタッフの人も、良い人過ぎてそっちの意見をシャットアウトすることも出来なくて……ま、受験を表向きの理由にして辞表叩き付けてやりましたけど」
自分の中で熱意を絶やさないための薪以上には決してならない思い出も、こうしてVtuberとしてのほぼ同期であり歌手としての、そして人生の先輩に話すことで結の心に残っていた憎悪がわずかながらに解けていくような感覚を、結は覚えた。
「ま、正解だと思うよ。現状維持はいずれ下り坂に向かうだけだからね」
「かもしれませんね。私が消えてから、ライブの曲数減らしてチェキ会の時間が増えたらしいですし」
「それが運営判断だとしたら、相当残酷だね。私には『お前らの歌とダンスは客に見せるに値しない』って言ってるように聞こえるよ。……で、結ちゃんはバーチャルの世界にアイドルの理想を見出した……って言ってたよね。最終面接の待ち時間だかなんだかの時に」
「ですね。最終的にRe:BIRTH UNIONに行こうって決めたのは、廻叉兄さまが色んな事務所に付いて語ってる配信でした。自分のやりたい事に、100%集中することをファンの人からも求められてる場なんだって、それが決め手だったと思います」
ようやく笑みを浮かべて結が立ち上がると、既にそこには緋崎朱音が立っていた。
「なので、私は私のリスナーさんや……凪くん、リンネくんのリスナーさんからも認められるような、最高のアイドルをまず私自身が見せつけて!そして私が指導することで最高のアイドルになった凪くんやリンネくんを見たいって二人のリスナーさんからも思わせられるだけの説得力を持つ!それが今の私の目標です!」
「全員アイドル化するとは言ってたけど、そこまでの熱量持ってるのはしらなかったね。……リバユニ落ちて良かった、とは思わないけどさ。朱音ちゃんと同じ事務所じゃなくて良かったとは少し思ってるよ」
「ええええ!?そんな酷い!!」
「でも、もし同じ事務所だったら私がいくら年齢を理由にしたってアイドル化に手を染めてただろう?」
「当然じゃないですか!今や40代越えてもアイドル出来る時代です!」
「それ、男性アイドルのメジャー所の話だからね。上澄み中の上澄みを引き合いに出したらダメだよ、本当に」
最早狂気すら感じる眼差しと笑顔を向ける朱音に、クリスティーナは恐怖した。
※※※
「と言う訳で、明日からリハが入るのでその際に私主導のボーカルアドバイスとか色々入れるからね!」
「ええええええ……」
「朱姉ちゃん。一応俺、学生。定時制だけど学生。リハ出れる日限られてる」
その日の深夜。丸一日ボーカルレッスンに費やした朱音が自宅に帰って来た時に、真っ先に行ったのは同期二人と通話を繋げてリハーサルにレッスンを組み込むという宣言だった。
「まぁでも二人とも必要だとは思ってるでしょ?」
「それはそうだけどさ。俺も歌う予定はあるし。朱姉ちゃんと凪兄ちゃんに至ってはデュエットするらしいじゃんさ。そりゃやらなきゃなーとは思ってるよ」
「そう、だね。素人のカラオケ上手、よりはプロにしては下手、くらいまで持っていきたいかも。いきなり朱音さん程は無理でも、いずれは……とは思ってる」
「…………」
二人の意見を聞いて黙り込んだ朱音に気付いているのかいないのか、男性陣二人は『三人で歌う曲』と『ソロで歌う曲』についての進捗状況を語り合っていた。
緋崎朱音はアイドルになりたかった。だが、それはソロのアイドルではなくユニットとしてのアイドルだった。
「朱音さん?」
「ん……私、SINESで良かったな、って」
「何を今更。あと、たぶんそれ、これから先ずっと言い続ける事になると思うから」
「凪兄ちゃんがなんか超カッコいい事言ってる……!!」
普段は違う方向を向いていても、こうして同じ方向を向くことを厭わない仲間を得た事を、緋崎朱音は幸運であり、幸福であると思っていた。
流石にこんな露骨に「楽してチヤホヤ」を体現してる地下アイドルは居ないと信じています。
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