「前夜祭」
Re:BIRTH UNIONの会見配信を翌日に控え、正時廻叉は境正辰として三摺木弓奈の自宅を訪れていた。弓奈の両親と兄に現状を報告し、同時に交際をしている事も伝えた。殴られる、とまではいかずとも苦言やお叱りの言葉を覚悟していた正辰ではあったが、拍子抜けするほどにあっさりと交際を認められた。曰く、弓奈の反応を毎日見ていれば家族が気付かないはずがない、との事だった。
「配信も見させてもらっていてね、境くんが仕事にも弓奈にも責任を自覚している事はよくわかっているつもりだ。……どうか、娘をよろしくお願いします」
「……はい。まだ弓奈さんには話していませんが、ゆくゆくは籍を入れる事も考えています。少なくとも、私から彼女の下を去る事はない、です」
「あら、べた惚れなのね」
「恥ずかしながら」
柔和そうな父親と、明るい母親の姿に正辰は自分が築くべき家庭の理想像を垣間見つつも、今はそれは重要なことではなかった。
「それで、弓奈さんは……」
「凹んでますね。ファンの人に酷いことを言ってしまった、とは言ってたけど……ああ、俺はネットニュースになってるのを見たから、大方把握はしてるけど……誹謗中傷は、芸能人と同じようにあるんだな、って」
「おそらく、現実問題としてVtuberを続ける上で避けては通れませんから。……様子を見させて頂いても?」
「ああ、君ならきっと私たちよりも詳しい話をしやすいだろうね、弓奈も」
「それに境くんなら私たちが家に居る事を分かってておっぱじめたりしないって分かるものね」
「母さん?」
「それは勿論。では、弓奈さんの部屋にお邪魔させていただきます」
リビングのソファから立ち上がり一礼すると、正辰は弓奈の部屋へと向かった。背後から聞こえてくる、父親と兄が母へと猛抗議する声と、母親が豪快に爆笑しつつ家族だからこそ言えるド直球な数々の単語から耳を背ける様にして。
※※※
「……どうぞ」
ノックに対する返答は、沈み切った声だった。だが、入室を拒否しないという事はまだ底値ではないんだろう、というのも正辰には感じ取れた。ドアを開けると、吸音材で埋め尽くされた壁と配信用の機材、相当に使い込まれたであろうPC接続用のキーボードが目に入った。そこに彼女は座っていない。視線を動かせば、部屋着のままベッドに寝転んでいる三摺木弓奈の姿が目に入った。
「座っても?」
「はい……」
ベッドに腰を下ろし、小さくため息をつく。
「大変な事になっちゃったね」
「怒っちゃったんです……正辰さんの事を嫌な風に言われて……」
「うん、それは嬉しかった。俺の事、大事に思ってくれてるんだなって」
頭部に柔らかいが質量のある何かが当たる。起き上がった弓奈が枕を持っている辺り、これで殴って来たようだった。
「……正辰さん、そういうとこです」
「まぁ、そういう奴だからね。知ってるでしょ?」
「知ってます」
「そりゃ何よりだ。明日、行ける?」
「…………」
いつもの調子で話せるようになった弓奈の姿に少し安心したが、明日の会見の話になると黙り込んでしまう姿に廻叉は首を捻る。さて、どうするか。
「弓奈さん、こっち向いて」
「………………」
「考えたんだ、色々と。だから、明日の会見で付き合ってるって言っちゃおうかなって思ってる」
「え!?」
「ただ、それをするのはやっぱりリスクがある。弓奈さんが嫌だって言うんなら、やめておくけど」
一度火が付いた疑念は収まる事が無い。疑惑が疑惑のまま残る以上は、燻り続けるという事を正辰は理解していた。それに、何より好意を抑え続ける事が出来そうにないという理由もあった。
とはいえ、それに弓奈を一方的に巻き込むことは出来ない。彼女の同意が得られなければ、どうにか誤魔化し続ける道を選ぶつもりだった。弓奈はしばらく黙って考え、顔を上げると同時に正辰の手を握る。
「…………言います。きっと、隠し切れないから」
視線が重なる。不安と決意が綯い交ぜになった表情で、弓奈は小さく微笑んだ。
「廻叉さんが、正辰さんが好きだって気持ち、隠し切れないです」
「奇遇だね。俺も弓奈さんが好きだって気持ちは隠し切れないし、私もお嬢様をお慕いする気持ちを隠したくありません」
「……明日が、ちょっと楽しみになってきました」
「そうだね、俺もだ」
※※※
「しっかしアレだよなぁ。執事さんとこがあそこまで燃え広がってるの初めて見たよ、俺」
「あ、触れるんだそこ」
「オーバーズとも縁が深い皆さんですしね、俺も含めて」
「あれ、そうだっけ?」
「こいつ、リバユニの推薦状持ってきてウチ入った奴よ?」
「そうでーす。最終で落ちたんですよ、俺」
紅スザク主催の飲み会配信でRe:BIRTH UNIONの事件について語り始めたのは、自身の炎上未遂をネタにしていた秤京吾のトークが切っ掛けだった。現在進行形の炎上、それも他事務所の話をするのは基本的には推奨されないが、当のRe:BIRTH UNION所属であり現在の炎上事件の主要人物である三日月龍真と正時廻叉がその手の話を無遠慮・無配慮・無忖度で話すラジオ番組をしている事もあり、セーフという判定が視聴者からは下された。
そして、今回初ゲストとして呼ばれた音無ミクロはRe:BIRTH UNION四期生のオーディションで最終選考まで生き残り、落選したものの推薦状を持ってオーバーズへとやってきた新人だった。
格闘ゲームやFPSゲームをメインに、流暢な実況で様々な事務所内企画に早くも多数呼ばれている期待の新人という事で呼ばれたが、話の流れ上難しい話題に当たってしまった事を若干同情されつつあった。
「明日の会見、実は楽しみなんですよね。俺が好きなリバユニが見れそうってのもありますし」
「あー……ちょっと分かるかも。絶対にタダじゃ起きないってイメージあるから」
「だよな。メンタル面での強さはマジでVtuber界でもトップよ、あの人ら」
「実質同期の凪くんもド直球で返してたの見て、何で俺が落ちたか分かった気がするっていうか……」
「一番大人しそうな子が一番強烈な言い方してたよね」
「リバユニ怖ぇよ。絶対敵に回しちゃいけない人らだわ、マジで」
《ミクロくんもだいぶ拗らせてない?》
《リバユニに応募するメンツってどっか突き抜けてる部分あるよな》
《それはそう>メンタルの強さ》
《会見を例のアレの配信時間被せて来たのに殺意を感じる》
《草》
《月詠凪、恐ろしい男よ……》
《フィジカルだけじゃなくてメンタルまで強いってどういう事なんだよ》
《SINESってよくも悪くもネットにスレてない感じがするから、ああいう言い方もしちゃうんだろうなって思ったわ》
※※※
「という訳で、明日の会見で交際宣言しますね」
「お、おう……すげーっすね、先輩」
「私たちはそれでいいけど、社長や他のスタッフには言ったのかな?」
「はい、ちょっと難しい顔されてましたけど……でも、サポートするって言ってくれて」
正時廻叉と石楠花ユリアの言葉になんとも言い難い反応を示す二人。その時、DirecTalkerでの作業部屋に居たのはステラ・フリークスと逆巻リンネの二人だった。廻叉は、自分たちが入ってくるまでに二人がどのような会話をしていたのか気になったが、今するべき話ではないとして呑み込んだ。
「変に隠し立てするより、この方が私たちの精神衛生上も良いと思いまして。敵も増えるでしょうが、味方になってくださる方も増えると思いまして」
「あー……確かにそうかもっすね。二人を応援したり、味方になる根拠が出来ますもんね」
「確かに悪い判断ではない、か。ただ、例の彼が何か不穏な事を言っているようだけど?廻くんは対策はあるのかい?」
「基本的には法務担当チームの方にお任せしてます。ただ、私の前世を知る人間ってそれこそ身内か、Vtuber関係者か、以前の劇団関係者だけなんですよ。おそらく、劇団絡みの人間だとは思います」
半ば消去法での推理ではあったが、廻叉としてはある程度の確信を持っていた。一部の『熱意はあるが、劇団全体の事まで手を回さなかった少数』と『芸能人気取りがしたかっただけの大多数』によって崩壊した劇団。自分が一度死んだと認識するほどに、精神を削り取られた過去。
とはいえ、そこまで深い仲だった者は数少ない上に、暴露に手を染めるタイプではなかったと考えている。だとすれば、ただ『同じ劇団だった』というだけの相手がそれである可能性は高い。
「こればかりは、当時の劇団を知る方から反論が出れば嬉しいな、くらいの考えですね。最悪、法廷オフコラボに持ち込んでも全く構わないと思っていますが」
「……廻叉さんは、それでいいんですか?」
「それしか出来ないんです。わざわざ、例の人と直接絡んで再生数や登録者数を増やす要因にしたくありませんからね」
「宇羅霧クロスでしたっけ?あのゴシップ屋Vtuber」
「そうそう。私がパワハラしてるってネタで配信してたね。こちらのファンは大体鼻で笑ってたけど」
「一応興味本位で調べたんですけど、当たってる所なんてほぼ個人勢の所でしたね。割とシャレにならない話になるとさっさと切り上げてる印象でしたけど。なんかこう、とりあえずバラすだけバラして何の解決もせずに次のネタ、って感じで」
「なんか……嫌な人ですね」
VtuberでありながらVtuberのアンチと野次馬を自身の客層にしている男に対し、この界隈に居る者は誰一人として好印象を持っていない。宇羅霧クロスが活動を開始した当初は正面から喧嘩を売る者も居たが、今となっては存在そのものを黙殺している現状がある。
ごく一部ではあるが、メンタル強者集団と認識されているRe:BIRTH UNIONと宇羅霧クロスのどちらが勝つか、という不毛な楽しみを覚えている視聴者層も存在している。
「界隈の規模が大きくなっている以上、彼のような動きはそろそろ出来なくなっていくでしょうね。既に誰もノウハウの無かった黎明期ではないのですから」
「そうだね。訴訟リスクと向き合う気があるのか無いのかは、私たちからでは測りかねる部分はあるけれど。ああ、でも企業のスタッフ側のゴシップには手を出さない辺りはリスクヘッジが出来ている、とでも褒めておこうか。もちろん、皮肉だけど」
「測んなくてよくないっすか?なんていうか、俺よりよっぽど年上なのにああいう真似してるのクソダサいじゃないですか。アイツが何歳とか割と興味ゼロっすけど」
「いい歳だからやってるんですよ。平均年齢の若い界隈だから簡単に掌で転がせる……とでも思っているのでしょうね。残念ながら、ちゃんとした大人も居るわけですが」
話のメインが宇羅霧クロスへの皮肉の応酬へとシフトしてきたタイミングで、廻叉の私用スマートフォンに着信が来ていた。通知された名前に「以前もこんな感じで急に電話があったなぁ」と思いながら、電話を取った。
『よう、久しぶり。大変そうだな』
「分かってて掛けてきますか」
『まぁこうして電話したのはイジるためじゃないんだよ。昔の劇団の奴から、俺に連絡があってな。前の劇団にさ、小道具の三岳っていただろ?』
劇団時代の先輩であり、同じ舞台を踏んだジャンル違いの友人でもある旭洸次郎からの連絡は、当日の爆弾をさらに増やすものだった。
『どうもお前の正体が売れたって吹いてる奴が居てな。明日、配信でバラすってゲラゲラ笑いながら言ってたんだとさ。そんな話を聞かされた三岳がドン引きして、俺に相談してきたんだよ』
「へぇ。三岳さんを連れまわしてたって事は、あいつですか。今はホストなんでしたっけ?『エメラルド』なんて源氏名だったという噂は覚えてますよ。本名は忘れましたが」
『正解。ホストでも上手く行かなくて、だいぶ不満貯めてるらしくてな。そんな中、正辰の炎上で正時廻叉を知って、声でピンと来たらしい。どういう伝手でゴシップの人に辿り着いたかはわからないけど、そういう事だ。……という訳で、正辰。俺はお前に協力したいんだけど、誰に話を通せばいい?』
ホストの人に本名を与えなかったのは、名字や名前が被るとちょっと嫌な気分になる人がいるかな、という観点です。HNがエメラルド、またはそれに準ずる名前の場合は……その、ご容赦ください……!