「SINES」
タイトルは誤字ではありません。
「結論から申し上げますと、合格です」
「っ、ありがとうございます!!」
オフィスの会議室。カジュアルな服装の三十代くらいの男性がそう告げると、もう一人の青年は心底から安心したように表情を明るくさせた。
「こちらこそ、我々を選んでいただき本当にありがとうございます。それでですね、デビューに向けての準備や手続きなどもありますのでデビューは早くても来月――そうですね、1910組としてデビューという形になると思います。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いえ、とんでもないです。むしろ、イレギュラーなタイミングでオーディションまでして頂けて……オーバーズさんには、感謝しかないです」
「Re:BIRTH UNIONさんの紹介状の件は、我々運営側にも話題でしたから。実は、社員の間でも『もし持ってきてくれたら嬉しいね』と話すほどだったんです。そんな中、本当にRe:BIRTH UNIONさんから千堂さんを紹介して貰えましたからね。これは、是非お会いしたい、と」
オーバーズ運営の社員である男性が、嬉しそうに――その上で、Re:BIRTH UNION四期生オーディション最終選考に落選した千堂将文を気遣うように、彼との面談に踏み切った理由を告げると、将文もまた、嬉しさと悔しさが入り混じったような表情で頷いた。
「正直に言えば、最初は紹介状自体も辞退しようかと思ったんです。実際、あの日一緒に最終選考に挑んだメンバーは、これだっていう強みが明確でしたし、自分はその強みを上手く表現できなかったように思えたんです。でも、二次選考で同席してくれた丑倉白羽さんから『君の実況を求める事務所は間違いなくある。それに、君の能力は本番の舞台上でこそ磨かれるものだ』と言ってくださって。なので……オーバーズでの大会実況、是非自分に任せてください」
そう言い切った時には、その顔に迷いは一切なかった。
※※※
「という訳で、俺もVtuberになりました!」
「ほほう、では今日から私を姉と思うでないぞ…!」
「姉ちゃん、何の漫画読んだんだよ」
葉月玲一が部屋で配信準備中だった姉にRe:BIRTH UNION四期生としてVtuberデビューを報告すると、彼女はVtuber七星アリアとしてそう返した。突如鶴の構えを取った姉に玲一は困惑するが、姉の奇行はいつもの事であるため、すぐに平静を取り戻した。
「ともかく、これからは大枠で後輩になりますのでよろしくお願いします」
「……やや真面目な話をするからちょっとこっちに来なさい」
「100%真面目な話をしてほしいんだけど、弟としては。ま、いいや。お邪魔します」
七星アリアとして活動開始以来、玲一は姉の私室に入らなくなっていた。だが、その姉が直々に許可を出した事もあり部屋へと足を踏み入れる。以前には存在していなかったパソコンがあり、さらにはデスクにはモニターが三枚。マイクも明らかに業務用のそれだった。必要な備品などについて教えてくれるのかと思えば、彼女はモニターの一つを指差す。
表示されているブラウザのタブには【オーバーズアンチスレ】とあり、玲一は眼を疑った。
「たぶん、デビューしてVtuberとして活動していくと沢山の人が褒めてくれて、好きだって言ってくれる。玲一も病気が治って、高校に入ってから明るくなったから好印象は与えると思う。でもね。その分、玲一の事を親の仇か何かみたいに嫌ってくる人も居る。こんな風にね」
姉の言葉を耳にしながら、視線は匿名掲示板の見るに堪えない罵詈雑言、妬み嫉み、悪意ある嘲笑から外せずにいた。
「ま、リバユニさんはこれ見てゲラゲラ笑いながら酒が飲める人たちだから、向き合い方は先人に学びなさい」
「……姉ちゃんは、なんでこれ見てるの?」
いつも誰かを楽しませることに全力を注ぎ、生きる気力を失いかけていた自分を全力で励ましてくれていた姉の真剣な声に、玲一は困惑するように尋ねた。スレッドの書き込みには自分のこと以上に怒りや悲しみが湧いてくる。
もしかしたら、自分自身が多くのファンを抱えているからこそ、調子に乗らないように、自分への戒めの為に見ているのかもしれない。そうであってほしい、と願うような問いかけだった。
「え?そりゃ私の為に貴重な時間を無駄にし続けて、おまけに逮捕チキンレースまで繰り広げてる『超面白い人たち』を見て楽しんでるんだけど。ちなみにこないだ一人、ブレーキミスって書類送検されたの聞いて大爆笑したとこ」
「なぁ、俺の心配を今すぐ利子付けて返せよ?!」
利子の代わりに、中古のオーディオインターフェースを貰えたので玲一の姉への尊敬ポイントが大幅に上昇した。
※※※
「いやぁ……凄いなぁ……」
「マジ凄ぇわ……大迫力……」
Vインディーズ代表取締役社長・一条寺透……バーチャルシンガー・千乗寺クリアとしての顔を持つ彼がその歌声に圧倒されていた。彼自身も優れたロックシンガーではあったが、それでも年齢は二十代の半ば、キャリアもまだ十年には達していない。もちろん、もっと若くてキャリアの浅い面々が多いVインディーズという事務所内においては彼も大ベテランになるが、その彼が完全に聞き入ってしまっていた。同じくVインディーズに籍を置くMIX師系VtuberであるDJフェムトも同様の反応を見せていた。
「はっはっは、若い子らのその顔を見ると私もまだまだ捨てたもんじゃないって思えるね!」
録音ブースから出てきた女性が満足げに笑いながらそう言うと、勝手知ったる我が家かのようにソファへと腰を下ろした。テーブルの上には、ステージドレスを身に纏ったの女性のイラストと、詳細なプロフィールが描かれていた。
「まだちょっと実感がわかないけど、この子がバーチャルの世界での私になるんだね?」
「ええ。そちらが、桜田さんのVtuberとしての姿……クリスティーナ・ブロッサムです」
「可愛らしい、というより綺麗な子だね。私の若いころみたいで……ここ、笑いどころだよ?」
「すいません、笑っていいかわからない言い方でした」
桜田果奈子が自分のジョークに対して微妙な反応を見せる二人の青年に苦笑いを浮かべて見せた。フェムトが正直に心境を話せば、苦笑いは呵々大笑へと早変わりした。
「まぁでも、私がまだキャリアを積み始めたばかりのころに夢見たシンガーの姿にそっくりだよ。この年になって、十代の頃の夢というか、想像が叶うなんて思わなかった」
「Re:BIRTH UNIONさんの紹介状システムを考えた人に、本気でお礼を言いたいですよ、私は。貴女ほどの実力と経験を持った女性をこうして迎え入れることが出来た。……桜田さん、いえ、クリスティーナさんはVtuberとしては新米ですが、シンガーとしてはVインディーズ……いえ、Vtuber全体で見ても、大先輩です。どうか、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「ふふ、Re:BIRTH UNIONになれなかったのは残念だけど、ここはここでやりがいがありそうだね」
深々と頭を下げるクリアと、それに釣られるように頭を下げたフェムトの姿を見て果奈子はニヤリと笑う。
「望むなら、私が培ってきたものを全部教えるさ。その代わり、パソコンや配信に関してはサポートお願いするよ。ねぇ、社長」
※※※
「ユリアさん……お願いがあります!」
「な、何かな?」
デビュー一周年記念用の楽曲の収録の為、リザードテイル本社テナントビルの地下スタジオに来ていた石楠花ユリアは、同じくデビュー配信用楽曲の収録に訪れていた四期生、安芸島結と遭遇していた。マネージャーからの紹介という形で顔合わせと挨拶を済ませ、楽曲収録もいい機会であるというマネージャー判断から二人でスタジオに入ることになったのが、一時間ほど前の事である。
それぞれが収録を半ばほど済ませて、休憩になったタイミングで結からの突然のお願いにユリアは困惑しながらも聞くことにした。同業他社の所属や個人運営にはすでに後輩と呼べるVtuberが居るが、直属の後輩は彼女にとっては初めての存在だ。だからこそ、そんな彼女のお願いは聞き届けたいという意識がユリアには自然と働いていた。
「あの、デビューしたら先輩方の事を姉さまって呼びたいんです!」
「……え、私も?……その、見た感じ年齢はさほど変わらないはず、だけど……」
「芸能界では一日でもデビューが早ければ先輩であり、姉です!そう、私は妹!妹系アイドルになります!!」
通話面談で出会ったハッキリと物を言う、執念染みた情熱を燃やすアイドル志願の少女が突如妹を名乗る不審者に変貌した事で、ユリアの混乱は増すばかりだった。だからこそ、会話はツッコミ不在の混沌へと転げ落ちて行った。
「え、じゃあ、白羽さんやキンメさん、ステラさんも……?」
「もちろん姉さまです!」
「龍真さんや廻叉さん、四谷くんも……?」
「基本形は兄さまと呼ぶ予定ですが、ご本人様が望むのならば姉さま呼びも辞さない所存です!」
「そ、そっか……たぶん、望まないから大丈夫だと思うけど……」
龍真辺りは面白がって姉さま呼びをさせそうだ、という言葉を何とか堪えたユリアだった。何にせよ、自身の方向性をすでに大まかに決めている事にユリアは感心もしていた。
「私は、その、アイドルはよくわからないけど……結ちゃんが望むとおりの姿にきっとなれるよ。それが、Vtuberで、Re:BIRTH UNIONだから」
「……はい!!」
キラキラとした笑顔と、ギラギラとした眼差しで答える結の姿に、ユリアは頼もしささえ感じていた。
「そして、いつか姉さま達と全員でキュンキュン系のアイドルソングやります!」
「え、それは、結ちゃんの中では確定事項なの……?」
同時に末恐ろしさも感じていた。
※※※
「……落ちたんです、僕。割と自信あったのになぁ」
「こればかりは、俺がどうこう言える話じゃねぇからな。合否に関しては、俺は一切関知してない。信じても居ない神様に誓ったっていい」
「そこは疑ってませんよ。龍さん、そういうの一番嫌いでしょ」
DirecTalkerの新規通話ルームには、三日月龍真とill da ringの二人だけが入り、入室制限のためのパスワードまで掛けられていた。そもそも、このルーム自体がこの通話の為だけに作られたものだ。滅多なことが無い限り、他の誰かが入ってくることはないが、念には念を入れていた。
そして、話の内容は最終選考に落選したill da ringから今後についての相談が中心となっていた。
「紹介状を辞退した訳じゃねえんだろ?お前ならどこでも行けると思うけどな。それこそVインディーズとか」
「Vインディーズには桜田さんが行きました。それと、千堂くんはオーバーズです」
「あー、その辺把握してんのな」
「葉月君のおかげで、だいぶ打ち解けましたからね。……彼のおかげで、悔しいけど憎たらしいとか恨めしいって気持ちにならずに済んでる気がします」
「ありゃ天性の人たらしだからな……で、どうすんだ?お前の事だから、紹介状の辞退はしないだろ?」
「当然でしょう。一番欲しい椅子は取り逃がしましたけど、これも僕が勝ち取った物です。……エレメンタルさんの男性部門、マテリアルに紹介状持って応募したいと思ってます」
既に新しい道を決めていた後輩の頼もしい言葉に、龍真は笑みを浮かべた。尤も、通話越しにはそれが伝わることはないが。
「まぁ、お前は俺らの下に入るよりも、先頭に立って引っ張る方が似合ってるよ。マテリアル一期生にお前の名前か、お前っぽい名前の奴が居ることを楽しみにしとくわ」
「ill da ringって名前気に入ってるから、なんとか残してもらえたら嬉しいですね」
その願いが叶うことを、二人はまだ知る由もなかった。
※※※
「……わぁ……!」
「ここは防音もしっかりしていますし、左右の部屋はリザードテイルの社員さんが住んでいるので、音漏れ対策だけでなく生活上で困ったことがあってもすぐに相談できる環境になっています。もちろん、配信上での質問もできるのですが――そこは、お二人が残業中でない事を祈りましょう」
Re:BIRTH UNION四期生としてVtuberデビューにあたり、友人宅での居候生活から一人暮らしを始める事になった水城渚は、新居への引っ越しの真っ最中だった。自室にセッティングされた配信用のパソコンや機材一式に目を輝かせる様に、引越しの手伝いと機材の説明のために同行していた正時廻叉はまるで弟を見るような目で渚の姿を眺めていた。
「ただし、友人の方を自宅に招待するのは禁止です。完全にプライベートで遊びに出向くのは、節度を持ってという大前提の上で認められています。渚さんの友人を疑う気はないのですが、そこはご理解いただければ」
「ええ、勿論です。その、友達にVtuberになった事までは報告していいって言ってくれたのも、かなり譲歩してくれたんだなって、分かりますから」
「……お友達は、喜ばれていましたか」
「はい。……ここだけの話、泣いちゃいました。あはは、ちょっと恥ずかしいな」
照れくさそうに渚が言うと、廻叉は首を横に振る。
「何も恥ずかしくなんてありません。貴方は、ありのままの姿をファンの皆さんに見せてあげてください。きっとお友達もそれを望むはずです」
「はい……あの、その友達なんですが」
真新しいゲーミングチェアに腰を下ろし、まだ見ぬ未来を楽しみにするかのように電源の落とされたままのディスプレイを渚は眺めていたが、ふと思い出したように廻叉へと向き直った。
「……友達の内、何人かが個人勢としてVtuberデビューするらしいです……その、こっちでも渚と遊ぶぞー!その為にもリバユニとコラボできるくらいバズるぞー!って張り切ってます」
「……愛されてますね」
「ええ、ちょっと重いくらいに」
※※※
その動画は、Re:BIRTH UNION公式チャンネルでアップロードされた。つい数日前に、Re:BIRTH UNION三期生である石楠花ユリア、小泉四谷の一周年記念配信の告知動画がアップロードされたばかりであり、ファンたちは驚きと共に、期待を持ってその動画を再生した。
――都会の雑踏、喧騒の中に紛れる黒い影に赤い光が当たる。スクランブル交差点の中心で、まるで自分が世界の中心であるかのように、その少女は立っていた。
炎のように赤い髪はツインテールに纏められ、ルビーのような深紅の目は自信に満ち溢れているかのように輝いていた。黒を基調に、ブロンズカラーを所々にあしらったゴシック調のドレスは、彼女のアイドルとしての正装だった。
街頭ディスプレイが、全て彼女の姿に切り替わっていく。喧騒が、歓声へと変わる。
『 緋崎朱音 - Akane Hizaki - 』
――夜の海、波音だけが響いていた海岸に、砂を踏む足音が聞こえる。ぼんやりとした人影、白い月明かりがその姿を照らす。
濡羽色の髪に、左目は黄色、右目は青色のオッドアイの少年。大人しそうな表情とは反するイメージの、派手な柄シャツに八分丈のハーフパンツ姿。海沿いに住む少年、と説明されても納得してしまいそうな風貌だった。
ただ、オッドアイと月明かりを浴びて怪しく光るアクアブルーの勾玉のネックレスが、彼をどこか浮世離れした存在に見せていた。
海鳴りが響く。月明かりは彼を照らし続ける。まるで、今この瞬間に、月と海によって産み出されたかのように。
『 月詠凪 - Nagi Tsukuyomi - 』
――真っ白な空間に、時計の音が響く。チク、タク、チク、タクと。映し出された懐中時計は、規則正しく、左回りに秒針が進んでいた。
画面がノイズと共に一人の少年が姿を現す。銀色の髪に、金色の目。シャーマン、あるいは祈祷師や呪い師のような衣装を纏った少年は、楽しそうに笑っていた。
真っ白な世界が、巻き戻る。未来都市、現代の街中、近代、中世、古代―――。
再び、真っ白な世界へと戻ってきた少年は、笑みと共に姿を消す。そして、暗転――。
オフィスにあるパソコンのディスプレイ、学校の机の上に置かれたスマートフォン、どこかの家庭のテレビ、車のカーナビ、ありとあらゆる映像機器ーーそれぞれに、祈祷師の少年が映る。
『 逆巻リンネ - Rinne Sakamaki - 』
『Re:BIRTH UNION 4th STARS』
『 The SINES 』
『 Coming Soon 』
sine:正弦、サイン
三人である事から、三角、あるいはそれに類する言葉を付けようと思ってました。
署名という意味のSign、罪を表すSinとも掛けています。
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