「日常と非日常、太陽と月」
当作品に登場するVtuberは基本オリジナルですが、ある程度のモチーフは存在します。
とはいえ、そのまんまという事はほぼ無く、自分の考えた素体に実在のVtuberさんの要素を少し加える形になっています。
正時廻叉こと境正辰くんの東京道中二日目です。
熱帯夜が続くような季節だからこそ、熱中症防止と快眠のために一晩中エアコンを入れたまま眠るというのは、割とよくある話だ。むしろそうしないと本当に一睡も出来ないくらいの蒸し暑さに襲われることも多々ある。一方で、エアコンが効き過ぎてしまって朝になると寒さを感じる事もある。
正時廻叉こと、境正辰は目を覚ますと寒さと暖かさを同時に感じていた。具体的に言うと背中や足元は寒く、頭と胸元は暖かかった。頭を起こそうとすると、頬に柔らかさと硬さを合わせもつ何かに顔を抑えられた。そちらに腕を伸ばすと、もふ、という触感。どうやらこの家の飼い猫が自分の頭を枕にしていたらしい。鬱陶しそうに猫が廻叉の手から逃れながらその場を離れると、今度は視線を胸元に戻す。
「……事案だぁ」
ピンク色のパジャマを着た、小学生くらいの女の子が正辰の胸元にガッシリとしがみ付いて幸せそうに寝息を立てていた。なんとか少女を起こさないように、自分の体を起こすと、ガチャリと部屋のドアが開いた。
「……正辰くん、申し開きはあるかな?」
部屋のドアの前に、明るい茶髪の女性が一切目の笑っていない笑顔でこちらに問いかけた。
「無実です」
正時廻叉として、答えた。無感情ながらも、真剣な眼差しだった。胸元の少女は、いい笑顔で寝息を立てていた。
※※※
魚住キンメこと清川芽衣は東京郊外の事務所から車で数十分ほどの隣県に一軒家を構えており、東京住まいのRe:BIRTH UNION1期生の二人(特に丑倉白羽)は何度か遊びに来ているという。在宅勤務のWebデザイナーである夫、小学一年生の娘、猫一匹が同居人だ。親睦会の意味を込めて、芽衣は正辰を含めたRe:BIRTH UNIONメンバーを自宅に集めた。ステラ・フリークスこと星野要のスパルタボーカルレッスンが長引いた上に無連絡だった事で全員正座で説教をされたりするハプニングがあったものの、清川夫妻の好意で漫画喫茶で夜を明かす予定だった正辰を自宅に泊める提案をし、それに乗っかった三日月龍真こと弥生竜馬、丑倉白羽こと白金翼、そして星野要という大お泊り会と相成った。最終的に男性陣二人はリビングのソファーを使い、女性陣は芽衣の部屋で、清川一家はそれぞれ寝室で、という形で就寝した。
が、起きたら清川家の一人娘、清川亜依と飼い猫が二人揃って正辰にしがみ付いていた。自室から居なくなっていた娘を探しに来た芽衣によって発見され、朝から裁判が行われた。正辰は一貫して無罪を主張し、清川家の主であり亜依の父である清川秋良もこれを支持、竜馬・翼・要は面白半分で有罪を主張した。なお、「ペコ(飼い猫・正式名称『イーペーコー』)が夜中に部屋から居なくなって、探しに行ったら正辰お兄ちゃんの胸元で寝てた。こっちに来てくれないから一緒に寝た」という証言で正辰は無罪放免となった。裁判中、終始正座していた正辰の膝にペコが我が物顔で鎮座していた事も証言の裏付けとして採用された。
「正直ペコと亜依が二人とも懐くって珍しいんだけどね。ペコは威嚇しまくるタイプの猫だし、亜依は人見知り気味だし」
「ねー、私たちがペコちゃん呼んでも威嚇されるし」
「俺に至っては後ろ足で砂かける動きされたぞ……」
「子供と動物に懐かれるのは悪い事じゃないさ」
雑談交じりに朝食を取る7人と1匹。そのまま配信してしまえば話題になりそうな面々ではあったが、時期も相まってお盆に集まった親戚一同のような雰囲気だった。そんな調子で各々今日の予定を立てていく。
「境くんは今日もレッスンね。直接指導できるタイミングは逃さないよ?」
「有難い話ですが、新幹線の時間にはせめて間に合うようにお願いします……」
要と正辰は地獄のボーカルレッスン二日目。
「俺、昼からMCバトル配信にゲストで呼ばれてるんで帰るわ」
「丑倉……じゃなくて、私も今日はアコギ弾き語り配信予定してるんでー」
「私は配信夜からだから、昼の間は家事かなぁ」
それぞれ配信予定のある竜馬、翼は帰宅。芽衣はそのまま自宅待機と相成った。なお、秋良と亜依親子は以前から映画を見に行く約束だったらしく、亜依に至っては既に出発の準備まで済ませていた。
「正辰お兄ちゃん、またね!また遊びに来てね!」
「うん、また来るからお母さんとお父さんと仲良くね。もちろん、ペコとも」
「はは、娘がごめんね、正辰くん」
清川父娘がそれぞれ遠方からの来客である正辰へと名残惜しむように言ってから家を出た。亜依に至っては朝以来の熱烈なハグもあった。先輩や同期から「モテる男」だの「罪作りな男」だのと散々に揶揄われたが、ロから始まる四文字を口にしない事から、正辰は彼らの善性のようなものを感じ取った。
「そんじゃーな、マサ。お前の歌がどれくらいになってるか楽しみにしとくぜ。あと、ラップも覚えてくれると俺が助かる。コラボ相手的な意味でな」
「境さん、ギターやる?ベースでもドラムでもいいよ?」
「この後、地獄の特訓が待っている人間に言う事がそれですか?」
お互い自分の領域に引き込もうとする1期生達が自分の配信の為に帰宅。軽いノリでの勧誘であったが、二人して目がマジだったな、と正辰は思った。正辰と竜馬はほぼ同年代という事もあり、現時点では白羽は最年少という年齢差を感じさせない良い意味で気安い関係を築けているが、やはり二人は心の底からミュージシャンなのだとこういう時に実感する。現在の肩書はVtuberであるが、芯の部分に音楽が深く根差しているのを短い付き合いながらも正辰は感じ取っていた。
「さあ、それじゃあ私たちも行こうか。そろそろスタジオの準備が出来るらしいからね」
「了解しました。それじゃあ芽衣さん、本当にありがとうございました。秋良さんと亜依ちゃんにもよろしくお伝えください」
「いやいや、いいんだよ。わざわざお土産まで持ってきてくれて、逆に気を使わせちゃったかなって思ったくらいだし。本当に親戚の家に遊びに来る感覚で来てくれていいからさ。是非また来てよ。……あと、その、背中に張り付いてるペコは持って帰らないでね?」
思い切り服に爪を立てられてしがみ付いているペコ、本名・清川イーペーコー(オス・2歳)が飼い主の手で引き剥がされ、なんとも締まらない調子で清川家を後にする。ここからは公共交通機関で事務所に行き、ボーカルレッスンと最終打ち合わせを以て、正辰のプチ上京は終了だ。
この時点では、もう一つ大きな初顔合わせが残っている事を正辰は知る由もなかった。
※※※
事務所に付くと、どこかざわついた雰囲気だった。いつも無駄にギラついている社員たちがどこか動揺している様な、落ち着きの欠いたような表情で仕事をしているのが見て取れる。しきりに奥のミーティング室を気にかけているような、そんな調子だった。しかも、良く見ればそんな状態に陥っているのは、ほぼ全員がVtuber事業の担当スタッフたちばかりだった。リザードテイル自体は映像企画会社であり、Vtuberと関係のない事業も行っている為、Vtuber関連の仕事にほぼノータッチのスタッフも存在する。そんな彼らも、Vtuber事業のスタッフが目に見えて狼狽しているのを、どこか不思議そうに眺めている。
「岸川さん、何事ですか?」
「……あー、境さん。実はちょっと来客で……今、社長と佐伯さんが対応中なんすわ」
「佐伯さんだけでなく社長も?」
「来客って誰なんですか?社長が対応するって相当ですよね……?」
スタジオで音響などを担当しているスタッフの岸川に尋ねれば、更に困惑を増すような返答が帰って来た。要と正辰はお互いに顔を見合わせる。お互いに怪訝な顔を隠せずにいた。すると、ミーティング室のドアが開き困った様に笑いながら社長が、そしてどこか疲れたような、それでいてどこか高揚しているような顔の佐伯がまず出てきた。その後ろから、スーツにメガネを掛けたビジネスマンの典型例のような服装の男性、更に後ろから年若い――遠目に見ても中学生くらいにしか見えない――少女と、モデルのような体型の背の高い女性が現れた。
「あー……なるほど、社長が対応するわけだ」
「……どなたです?」
要がその質問に答える前に、少女が先に要を見付け――花が咲いたような笑顔を浮かべ、狭いとは言わないが広くもない事務所を突如駆け出し、要へと抱き着いた。
正確に、かつ専門性の高い描写をするならば、少女は要にプロレス式のタックル、技名で言うならばスピアーを叩き込んだ。飛び込んできた少女程ではないが、成人女性としては小柄な要はそのまま後ろに倒れそうになり、ギリギリのタイミングで反応した正辰と岸川が後ろから支える事で彼女は事なきを得た。なお、椅子から立ち上がりかけという中途半端な姿勢だった岸川だけはバランスを崩して肘と背中を強打して声も無く悶絶していた。
「だ、大丈夫ですか……?!」
「お、ぉぅ……だぃじょーぶ……」
「ステラちゃーん!ステラちゃんステラちゃん久しぶりー!!この前のスマイルムービーのイベント以来!?だよね!?まさか会えるなんて思わなかったよ!!!」
「ちょ、おま、何してんの!?他社さんの事務所だぞここ!!」
「岸川ー!?しっかりしろ岸川ー!!」
「へ、へへ……佐伯さぁん……俺の肘は、もうダメだ……俺の分まで甲子園で投げてくれ……」
「OK、余裕ありそうだから捨て置け」「了解」「心配を小ボケで返すな馬鹿野郎」
「アホやなぁ……とびっきりのアホやなぁ、あの子は……」
「……色んな事が起こるなぁ、この業界」
心配する正辰、ダメージを隠し切れない要、テンションの高すぎる少女、慌てふためくビジネスマン風の男性、派手に倒れた部下を気遣う佐伯、ボケで返す岸川、それを見て業務に戻る同僚たち、少女の猪突猛進具合に軽く引いている背の高い関西弁の女性、遠い目をしているリザードテイル代表取締役社長。
この日の出来事を配信で話せば、それだけで大量の切り抜き動画が作られるだろう混沌がそこには広がっていた。
※※※
地下一階、スタジオ。事務所での大騒動がようやく沈静化し、とりあえずの状況説明を求めた正辰に応じる為、またミーティング室に入り切らない人数を収めるためにスタジオへと移動した。なお、社長のみ別の仕事の為この場には居なかった。リザードテイル代表取締役社長、一宮羚児。38歳独身、性格は苦労性である。
「えーと、そんじゃ説明というかまず紹介からだね。先に言っておくけど、Vtuber関係者。というか、同業他社の企業さんって言った方がわかりやすいかな?そういう訳だから、ここからはVtuberとしての名前で呼ぶよ?」
「了解しました、それでは俺……いや、私から自己紹介を。Re:BIRTH UNION2期生の正時廻叉と申します」
「あー!執事くんだ!凄い!ステラちゃんだけじゃなくて他の人にも会えるなんて思わなかった!」
「いや、先に自己紹介せーやアホ。すまんな、正時くん。ウチらは――『エレメンタル』所属のVtuberや。ウチが月影オボロ。そんで、この騒々しいのが……」
「照陽アポロです!!よろしくね執事くん!!」
「本当にすいません、色々と……!あ、エレメンタルのマネジメント部の塚原と申します」
「っ……!まさか、たまたま東京に来た日に、雲上人にお会いするとは……」
「ふふっ、流石の廻くんも動揺が隠せないか。まぁ、そうだろうね。業界でもトップ層のエレメンタル、そこのツートップと呼ばれる『太陽と月』の揃い踏みだ。まぁ、私は月に座って地球を足蹴にする女だけどね」
アイドル系Vtuber事務所、エレメンタルは業界の最大手の一角だ。所属しているのは女性のみ、その個性の強さとタレント性の高さから一気に人気を伸ばした事務所だ。そして、今この場に居る二人は最初期にデビューし、現在チャンネル登録者数が10万人を超え、そろそろ20万人も視野に入っている文字通りのツートップの二人だった。『元気の擬人化』と称されるハイテンション少女、照陽アポロ。『俺達の姐御』と呼ばれ親しまれている関西弁を隠さない美女、月影オボロ。対照的な二人がお互いに切磋琢磨し、年齢も性格も違うにも関わらず親友である事を示し続けた事で多くのファンを獲得してきた、現在の業界におけるトップランカーと言っても過言ではない。
「ステラさぁ。あのPV、一部で邪推されとったん知ってる?月影オボロ潰す宣言やって」
「関係ないね、実際の私たちはこんなに仲がいいじゃないか。出会い頭に胴タックルをブチ込んでくるくらい」
「本当に申し訳ございません……!後日改めて書面にて弊社社長より謝罪を……!」
「ごめんねステラ!久しぶりに会ってテンション上がっちゃった!」
月と星が雑談を始め、塚原マネージャーが土下座どころか切腹すらしかねない顔で謝意を表明し、元凶である太陽は楽しそうだった。廻叉は自分が嵐の中、小舟で漂流しているような幻覚を見た。
「あー、塚原さん、そこまでしなくてもいいですから、ね?案件の生放送中でのハプニングとかではないですし、幸いステラも無傷でしたし……」
「うう……佐伯さんだけが私に優しい……アポロとオボロ、私の胃に優しくない……」
「初対面の私が言うのもなんですが、本当にお疲れ様です……あの、それでどのような御用件でこちらに?」
こうなると男同士で話がまとまってくるのも自然の摂理と言えた。何せ、Vtuberとしての名とはいえ、太陽と月と星を冠する女性陣が好き勝手に喋っているのだ。誰も止められない。廻叉がようやく本題を聴いたところで、はっとしたように塚原が書類を取り出した。
その書類は、巨大な祭への招待状だった。
「今日は弊社主催の年末の特別番組のオファーに伺ったんです。VCF、Virtule CountDown FESという事で、企業個人問わず、2D3Dも問わず、大晦日の昼から年明けまでブッ続けてライブをやってしまおうという企画となっています。……是非、リザードテイルさんにもご協力をお願いしたい、と弊社は考えております。具体的に申し上げますと、ステラ・フリークスさんを始めとした、Re:BIRTH UNIONの皆様にも舞台に立っていただきたいのです」
ヒロインが出ないのに話の風呂敷が着々と巨大化し続けています。
とはいえ、ヒロインは必ず出ますので気長にお待ちいただけますと幸いです。
御意見御感想お待ちしております。