「打ち合わせと初顔合わせ」
今回は完全にオフラインでのお話です。Vtuberにおける魂の姿が出て来ますのでご注意ください。
都内、やや郊外にあたる地区のオフィスビルに映像企画会社リザードテイルの事務所はあった。七階建てで地下階も存在し、リザードテイルはその三階に事務所を構え、地下一階に収録・撮影用のスタジオを保持している。Vtuber正時廻叉のキャスト、境正辰は何度も電車を間違えそうになりながらもようやく事務所へと到着した。
内心、東京の鉄道には慣れないと思いながらも、この仕事が軌道に乗ればいずれ上京も視野に入れなければならない、とも考えていた。何にせよ、人生の大半を地元で過ごしてきた正辰にとって、東京は未だに旅行先という認識であった。実際、今回の上京も一泊二日を予定している。
「佐伯さん、お疲れ様です」
事務所に入ると同時に、目に入った男性に軽い調子で挨拶する。イヤホンを付けてモニターと睨み合っていた男性は挨拶に反応する事もなく、唸ったり首を傾げたりしている。
「佐伯さんっ」
正辰が椅子の後ろに回り込み、背もたれ部分を掴んで揺らす。ぐひゃあ、という奇声がオフィスに響く。思った以上に注目を集めてしまったらしく、正辰は思わず周囲に申し訳なさそうに一礼した。
「あ、ああ境くん……び、ビックリした……」
「お久しぶりです。あ、これお土産なんで皆さんで」
「いやいや、いつも悪いね!あと気付かなくてゴメンね」
「何見てたんです?」
イヤホンを外した佐伯が画面を指さす。見慣れたTryTubeの画面だった。見ているのは5分少々の動画であり、タイトルには『Re:BIRTH UNIONオーディション用動画、よろしくお願いします』とあった。
「一次選考中」
「ああ……」
見れば他のスタッフたちの大半がヘッドホンやイヤホンを付けてモニターを注視している。全員が全員、3期生オーディションの仕事をしている訳ではなく、内外問わず発注された動画編集を行っている者も居れば書類仕事に勤しむ者も居た。以前に正辰が事務所を訪れた際には、もう少しスタッフ同士の会話などがあったはずだが、どうもそんな余裕はないらしい。
「まぁその辺の進捗も含めて、打ち合わせと行こうか。本当ならダイレクでもいいんだろうけど、境くんだけは直接顔合わせて話す機会が滅多にないからね。了承してくれて、みんな喜んでるよ」
ダイレク、とはVtuberや配信者、オンラインゲームユーザーに人気の通話ソフトだ。正式名称は「DirecTalker」という日本製のソフトである。その使い勝手の良さから、世界的にも少なくないシェアを獲ったソフトで、Re:BIRTH UNIONでもこのソフトを使って普段は打ち合わせや配信時の通話に使っている。
つまり、本来の打ち合わせならばRe:BIRTH UNIONで唯一関東圏外に住む正辰がわざわざ東京の事務所にまでやってくる必要はない。
「歌コラボについて直接話したい、ってステラ様に言われたら断りませんよ。それに他のみんなも集まってくれるって言うなら、是非も無しって奴です」
正辰が東京までやって来た理由は、ステラ・フリークスとの直接の打ち合わせだった。既に他の三名との打ち合わせは終わっているらしく、そちらも直接面会をしたと聞いていた。
ならば廻叉とも話したいというのがステラの要望らしく、リバユニメンバー、特に1期生の二人からも直接会いたいという希望があり今回の上京と相成った。ちなみにキンメとはオーディション合格後、契約の際に既に会っている。
「それじゃあ、会議室に行こうか。そろそろステラも来るはずだ。ああそうだ、たぶんその時に彼女から本名名乗ると思うから、1期生達と外に食事に行くときはそっちの名前で呼んでね?」
「身バレ対策ですよね、勿論心得てますよ。龍真さんと白羽さんの本名は事前に伺ってますし」
雑談をしながらミーティング室に入ると、既に一人の女性が居た。どこにでも居るような、可愛らしい女性だった。とはいえ、あまりにもオフィスに馴染み過ぎていて「新しい社員さんかな?」と正辰は考えた。その考えが覆されたのは、次の瞬間だった。
「やぁ、廻くん。初めまして。ステラ・フリークス、本名星野要だ。よろしくね」
「……あ、はい、初めまして。正時廻叉です。本名は境正辰です」
内心では絶叫する程驚いていたが、瞬時に正時廻叉としての精神性に切り替える事で動揺を抑え込んで見せた。自分自身もそうだが、Vtuberとしての姿と現実世界の姿は同一視していないし、むしろするべきではないと考えている。だが、彼女とのネット上での通話や、歌動画からの印象とあまりに違っていた。どこか超然とした雰囲気を纏っていたステラ・フリークスと、今目の前に居るメガネを掛けた小柄で可愛らしい、だが芸能の世界に身を置いている雰囲気が一切ない女性・星野要とが全く繋がらなかった。ただ、その声は間違いなく何度も何度も聞いて来た声である事は間違いなかった。
「流石だね。廻くんは驚かなかった。いや、驚いたけど飲み込んだ、かな?」
「……後者が正解ですね。歌や通話した時の印象で、勝手なイメージを作っていました。申し訳ないです」
「いや、いいさ。龍くんもキンメちゃんも声出して驚いてたからね。ああ、白ちゃんだけは『可愛いー!!』って泣き叫んで抱き着いてきたけど。流石に声を掛けただけで泣かれるとは思わなかったし、あんな勢いで距離詰めてくるとは思わなかったよ」
「流石白羽さん……」
まるで慣れた事のように要はケラケラと笑う。一方で遠慮と人見知りという概念を持たない丑倉白羽のノリに対し、正辰は呆れと感心の入り混じったような表情を浮かべていた。
「まぁ、とにかく初めまして。今後ともよろしくね」
「ええ、こちらこそ。この場でもステラ様とお呼びしても?」
「面と向かっての様付けは流石にちょっと恥ずかしいから、遠慮してもらえると助かるかな」
「ではステラさんで。それで、この前の公式配信で言っていた歌コラボの件ですよね?」
「うん。実際に廻くんがどれくらい歌えるのか知らないし、その上でどういう曲を歌うか、レッスンがどれくらい必要なのか、を考えたくてね。それに、廻くんだけは住まいが東京近郊じゃないから、どうしてもリモートになってしまうのもあるし、直接じゃなきゃ教えられない部分は今日明日でやっていこうかな、と」
「お気遣い頂いて申し訳ないです……」
初対面とはいえ、既に配信という表舞台で会話をしていたのもあってか、打ち合わせは和やかに、かつスムーズに進んでいった。正辰には演技の経験こそあれど、歌の経験はそれこそカラオケや、学生時代の合唱コンクール程度だ。それも部活動ではなく学校行事としてなので、歌を体系的に学んだ事は一切なかった。とはいえ、音楽自体に興味がない訳ではなかったので好きなアーティストの話などにも花が咲いた。しかし、最も話に熱を帯びたのは同業者たるVtuberの音楽活動についてだった。
「やっぱり初見さんを引き込むには歌は重要ですよね。程度の差こそあれ、配信のアーカイブに比べると歌動画の再生数が文字通り桁が違うなんてザラにありますし」
「運営側の意見としても売りにしやすいってのもあるんだよ。広告で流すなら雑談や企画系よりも歌の方がやっぱツカミやすいから」
「普段歌をやらない人が歌って、しかも上手いと話題性が凄い事になるからね。オーバーズのリブラくんとか
ゲーム配信しかしてなかったのに、歌動画が爆発的に再生されたもんねぇ」
「新人さんでも異様に歌が上手い人増えてきてません?個人勢界隈の大型新人なんて言われてる篠目霙さん、デビュー配信直後の歌動画でいきなりハーフミリオンですよ」
「いやはや、群雄割拠の時代だなぁ……!だからこそ、リバユニもステラとのコラボに踏み切った訳だけどな。正直、ステラから打診があった時に思ったよ、『渡りに船!』って」
「いや、本当に申し訳ないです……」
「でも廻くんの配信、同業者もファン多いよ?エレメンタルの木蘭カスミちゃんが君の大ファンなんだってさ」
「え?!エレメンタルってアイドル系Vtuber事務所じゃないですか……それ、配信で言ってたとかじゃないですよね……?」
「配信で言ってたら今頃燃えてるよ、廻くんのチャンネルとSNS。ちょっと前にネットライブイベントにお呼ばれした時に通話してね。彼女も演劇やってたらしいから、すごく勉強になるって」
「ははは……元役者としては、有難い話です。もしお話しする機会があったら御礼言っておいてもらえますか?」
「まあ直接話したら火種になりかねないし、運営的にもステラが間に入ってもらった方が安心できるかな……あ、勿論ファンの目に触れるところでは言わないように」
「わかってるさ。ウチの事務所やオーバーズさんみたいに男女コラボに寛容なファン層じゃない所も多いのは重々承知してる」
その後も、打ち合わせよりも業界トークの方が盛り上がってしまってはいたが、何の曲を歌うかまでは決める事が出来た。十年以上前に動画サイトを中心に絶大なブームを巻き起こした音声合成ソフトを使った楽曲、その中でもやや初期の楽曲だ。当時から熱心だったファンほど刺さる――そんな楽曲だ。やや暗い世界観も含め、正時廻叉の歌う曲としてはこれ以上ない様に思えた。
「それじゃあ、早速下のスタジオで練習してみようか。龍くんたちが迎えに来るのは18時だから……驚いた、なんと四時間もあるんだよ。たくさん練習できるね」
「わぁ、本気だぁ……」
「程々にな……俺は仕事があるから、スタジオのスタッフ連れて行ってくれる?おーい、岸川ー!スタジオの機材の準備頼むわー!」
「ういーっす」
佐伯がミーティング室から出るなりスタッフを呼ぶと、どこか気の抜けたような男性の返事が聞こえた。要が苦笑いをしているあたり、彼はいつもこんな調子らしい。二人も部屋を片付けてスタジオへと向かう。その途中、とあるスタッフが見ているオーディション用動画が正辰の目に入った。
実写の映像だった。定点から撮影されたピアノの鍵盤と、その上を軽快に踊る女性の指が見えた。動画の再生時間が半分ほど進んでいる事も見て取れたことから、これは通ったかな、と正辰は考える。動画選考においては、大体開始十数秒で足切りラインがあるという。仮にその十数秒で名前を名乗ったり、今から何を行うかを喋るだけでも、マイクを通しているにも関わらず声が小さすぎたり、逆に大きすぎたりする人も居る。あるいは加工をしている訳でもないのにノイズだらけで聞き取り辛かったりする場合もある。
この辺りは機材の知識面が不足しているだけという可能性もある為、相当酷くない限りは多少大目にみられることはある。最も高い確率で足切りをされるのは『台本を用意しないで喋ろうとして、内容がごちゃごちゃになっている人』である。実際のVtuberの配信のようにやろうとして失敗しているにも関わらず、それに気付かないというパターンに陥っているものが非常に多い。オフレコという約束で佐伯が話してくれたので、少なくともRe:BIRTH UNIONにおける書類・動画選考の中で重要な判断基準となっているのは間違いないだろう。
スタジオへと向かいながら、正辰は先程ちらりと見たピアノの演奏動画を思い出していた。男性か女性かもわからないし、音声も聴いていない。だが、Vtuberのオーディションにも関わらず実際に弾いている場面を録画して送るという自分のアピールポイントを前面に押し出す姿勢は、境正辰個人としても、Vtuber正時廻叉としても非常に好ましい姿勢だと思えた。
もし、自分があのピアノの人と通話面接をする事になったら――少し楽しみだ。そんな風に思った。
なお、この後五時間に及ぶ地獄のボーカルレッスンによってそんな思いをした事も記憶の奥深くへと落ちていった。なお、この時点では事務所まで迎えに来た三日月龍真・丑倉白羽も巻き込まれ、自宅で食事の用意をして待っていた魚住キンメとその旦那に四人揃って陳謝する羽目になる未来を、境正辰はまだ知らなかった。
ステラ・廻叉組で歌う楽曲名は伏せました。他の歌ってみた系でも同様の扱いになる予定です。
自分の中では「この曲だ!」というのはありますが、我々の居る世界とは似て非なる別世界なのでその曲は存在していない、という形にしようと思っております。
もし希望があれば活動報告などで発表したいと思います。
メタ的な話は活動報告、小説の世界観の範疇に収まるならば連載内で行うというスタンスで当面は進行させて頂きますのでご了承くださいませ。
ブックマーク数やユニークユーザー数が自分でも信じられないくらい増えていて毎日驚いています。
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